【短編】狼男は赤色がお好き
くーよん
第1話 狼男は騙される
「あの言葉は、嘘だったのかよ……!」
俺は、今まで信じていた物が足元から崩れ去っていくような錯覚を覚える。膝が折れてしまいそうになるほどの虚脱感を堪えながら、主君……魔王ゴルディアに問う。信じたくなかった。しかし、漆黒の鱗を持った見上げる様な大きさのドラゴンは、俺の手ほどもある牙の並んだ口を歪めて笑った。
「嘘ではないとも。お前の家族を殺した人間を滅ぼし、人間達に奪われたお前の故郷……人狼族の森も取り返してやろう。嘘ではない」
「魔王! それは詭弁だ!! 人間を滅ぼしたのち、その力で世界をも葬り去ろうとしているのだろう!!」
「それがどうした、この世など所詮は神が戯れで作り出した箱庭に過ぎん。……我はもう疲れたのだ、神などと言う訳の判らぬ者の掌の上で踊るのは。我が手で終わらせてしまえば、溜飲も下がるというもの」
俺の後ろで人間の勇者が吠える。俺の放った雷を受け、既に満身創痍のはずだ、しかしその声には怒りが漲り、立ち上がる姿は力強い。それに対して俺はどうだ、騙されていた、その事を知らされただけで自慢の毛並みに漲っていた雷が消えていってしまう。それでも、俺は希望に縋るようにもう一度尋ねる。
「で、でもよ、俺の話を聞いてアンタ、泣いてくれたじゃあねえか。俺の一族が人間の軍隊に滅ぼされそうになった時に、アンタ助けに来てくれたじゃねえか! だから、だから俺は、森を取り戻す為に……俺の一族を護る為にアンタの力になって勇者と闘い続けて……」
その声に魔王が答えるよりも先に、俺の名前を呼んだのは勇者の隣で杖を構えるヒーラーのエルフだ。俺が振り返ると、血で汚れた顔に泣きそうな表情を浮かべていた。
「……獣王アルジズ。その人間の軍隊は、そこにいるゴルディアが操ったものです。そして、あなたの家族を殺したのも、魔王だと言うのに……ああ、なんて事! 魔王……貴方は味方まで騙して、なんて酷い事を……!!」
「そんな……」
「アルジズ、お前は良く我に仕えてくれた。その功に報いり、一つ良い事を教えてやろう。安心せよ」
俺は俯いていた顔を上げる。そして、続いてゴルディアの口から明かされた言葉に、俺は頭を槌で殴りつけられたようなショックを覚え、膝を屈してしまう。
「お前が守ろうとした一族は、とうに全員喰ろうて我が力としておるわ。今更世界が滅びても痛痒1つ感じぬだろうよ!クク、ハハハハハハッ!!!」
俺は、騙されていたのだ。人間に滅ぼされそうになった一族の為に勇者達と何度も戦い、勇者達を倒す事で、また故郷に帰る事が出来ると信じていたのに。その為に、弱かった俺は必死になって自分を鍛え、痛みを堪え、闘う恐怖に立ち向かていたのに。その全てが無駄になったのだと分かった今、俺は立ち上がる事が出来なくなっていた。
「さあ来い、勇者たちよ! 獣王アルジズとの戦いで疲弊した貴様等に我を傷つける力が残っているのであるならばなあ!!」
勇者が俺の横を駆け抜け、巨龍に切りかかる。それに遅れて、勇者の仲間達もゴルディアと闘い始めた。その様子を俺はまるで別の世界の事の様に眺めていた。俺の腕を傷つけた勇者の剣は龍の鱗に弾かれる。俺の雷撃を凌いだエルフの分厚い守護防壁もゴルディアの尾の一撃で砕け散り、俺の身体を焼いた魔術師の業火も、邪龍のブレスに呑まれて消える。
戦いの騒音を遠くに聞く俺の前に、1人立ち止まった。俺はそいつを見上げる。燃えるような赤い髪、赤い瞳。傷だらけの身体を引きずるようにして俺の前に立っている女は、魔族の姫。戦う中で俺達を裏切って勇者の味方をした、オーガ一族のエオーだ。一時期は、俺と共に勇者たちの前に何度も立ち塞がった相棒だった。
「おォ……裏切りもんの鬼娘じゃあねえか。は、はは、殺すなら殺せよ、俺はもう抵抗しねえ。……する理由も、気力も無くなっちまった」
こいつの一撃は重い。力を抜いた俺の身体なんて、いつも使ってる大斧で真っ二つに出来るだろう。いっそ、そうして欲しいなんて思って俺は死刑囚のように首を伸ばして目を閉じる。しかし、いつまで経っても俺の首は飛ばない。不思議に思って見上げ、俺は目を丸くした。
「おいおい、何泣いてやがる。泣きたいのは俺の方だぜ? ……なあよエオー、せめて一息に殺しちゃくれねえか。相棒だった男の頼みだ。後生だぜ」
乾いた笑いしか出てこないで俺はそう言う。しかし、ぼろぼろと涙を零したエオーはその斧を振るわず、手放す。重い斧が地響きを立てて落ちた。そして、自由になった手でエオーは俺の頭を抱きしめた。
「お、おい、エオー?」
「……ごめん、アルジズ。私達、アンタの仲間を守れなかった。ここに来る前に、魔王が味方の魔物を全員食べて、力をつけようってしてるのを止めようとしたのに、出来なかった……。私の家族も、他の皆も、皆皆、アイツに食われちゃった……ッ、ごめん、アルジズ。ごめんなさい……ッ」
震えながら俺に何度も謝るエオーの声。豊かな胸の奥から聞こえる鼓動が、俺の耳に染み込む。ガキの頃におふくろに抱きしめて貰った事を思い出す。それはとても暖かくて、二度とは戻ってこない思い出だった。
……その温かさが凍り付きそうになった俺の心に火を灯す。エオーの身体を一度抱き締め返し、俺は立ち上がった。
「エオー、お前が謝る事じゃあねえさ。騙されてた俺が悪い。……俺が気付いてりゃあ、何か変わったかもしれねえのに、俺は結局、ゴルディアの手伝いを最後までしちまった。すまねえエオー、……有難うな」
ボロボロのエオーを見る。傷だらけで、もう戦えないのだろう。戦力を回復する余裕も勇者達には無い様だ。このままならジリ貧だ。戦力がいる。魔王を倒すための力が、勇者たちには必要だ。
俺はエオーから離れ、深呼吸して身体に力を籠める。ゆっくりと力が巡り、俺の毛並みがバチバチと放電を始める。まだだ、まだ終わらない。
「遅いかも知らんが、行ってくるよ。拭いきれない汚れだけど、ケツは自分で拭かねえとな。これ以上悔いは残したくねえ」
「ま、待ってアルジズ! アンタ、まさか……!」
俺の尻尾を握って止めようとしたエオー。その手を取れば、俺はもう一つの悔いを口にする。肩を並べて戦いながら、ずっと言えなかった言葉。
「魔族はもう、俺とお前しか残ってないんだろ? 魔王ぶちのめしたら、俺達で魔族を復興させようぜ」
目を見開いて赤くなるエオー表情を手土産に、俺は荒野を駆けだす。倒れた魔術師の横を抜け、膝をつく戦士の上を高々と飛び越す。落下しながら、自分を鼓舞するために遠吠えを一つ挙げて、魔王が勇者に向けて振るった腕を全力で蹴り落とす。魔王軍筆頭まで上り詰めた俺の全力に、流石のマオウサマも手を引く。
勇者が驚いたように俺の名前を呼ぶ。気安く呼ぶな、と俺は返す。
「……まったくよォ、ユーシャサマの癖にボロボロで、みっともねえったりゃありゃしねえ」
「君こそ、真っ白な毛並みが血まみれじゃないか」
「手前等の攻撃のせいじゃねえか、諦めの悪い人間め。お前のマントと同じ色なんて不愉快だぜ」
「僕だってごめんだよ! 最後の最後まで僕達に立ち塞がって、憎たらしい奴さ君は」
魔王の前で俺と勇者は言葉を交わす。俺は謝らなかったし、勇者も何も聞かなかった。何度も拳を交わし、命のやり取りをした間柄だ。……それだけで良かった。
「クク、ハハハハ! 人間一匹と狼一匹、今更並んだからと言って何ができる」
魔王が頭をもたげ嗤うが、俺と勇者も同時に笑う。
「ああ、そうだね。確かにただの人間と狼では龍には太刀打ちできないだろう」
「ならば、大人しく滅びるが良い。ここまで我に迫った褒美だ、せめて苦しまぬように一撃で塵にしてやろうぞ」
隣で勇者が剣を構えて気合を溜める。勇者の身体が赤く輝く。何度も見た、全力の勇者が纏う力の光だ。それを見て魔王は口を開ける。牙の並んだ顎の前に魔方陣が浮かび、けた外れの魔力が溜まっていくのが分かる。
「だがよ! 1人は人間最強の勇者サマ、そしてもう1人はその御一行様と闘い続けた最強の狼だ! ……俺たちを舐めるなよ、このクソトカゲ!!」
だから俺も息を吸い込み、体中の雷を溜める。青白く放電した俺の身体は光を纏う。そこから更に俺は唸り声をあげて力を溜めあげる。俺の身体が膨らみ、過放電した光が俺の身体を焼き始める。それに気づいた勇者が驚いて俺の名を呼ぶが、俺はさらに力を籠める。暴れだす電流で皮膚が避け、血が噴き出すが構いやしない。
「いいか、あの一撃は俺が止める。止めて見せる。だから勇者、お前は全力を魔王に叩き込め。死ぬ気でやれよ、アイツが油断してるのはこの一撃だけだ。ここでやれなきゃあお前達も、世界もおしまいだ」
「だけど、そうしたら君が!」
「うるせえ!! 俺は! ……俺は、守りたいもの全部取りこぼしちまったんだ。だからよ、……最後に一回くらい、守らせてくれ」
「アルジズ……」
それ以上は、勇者も何も言わなかった。まっすぐ魔王と睨み付け、力をためている。これなら大丈夫だろう、こいつと闘うのは初めてな魔王なんぞよりも、勇者の強さは俺が良く知っている。俺達を中心に風が吹き荒れ、勇者のマントが翻るのを見る。勇者のトレードマークの、赤。
「……その趣味の悪い真っ赤なマントさ、俺、嫌いじゃあないぜ」
俺の言葉に勇者が何かを言おうとしたのが気配で感じられた。しかし、それを塗り替えるほどの魔力が魔王の口から放たれる。俺は飛び出し、その魔力の奔流に自分の全力を叩きこむ。弾き合う魔力と電撃が辺りを真っ白に染め上げる。体中の血管が弾けるような衝撃、四肢が引きちぎれるような威力だ。それでも、俺はそこに立ち魔王のブレスを受け止める。弾くことは出来ない、しない、一歩でも退けばそのまま、ブレスは地面を抉り、勇者たちを飲み込むだろう。
「させ、るかあああああああああああああああああ!!!」
俺は吠えながら力を振り絞り、最後の火花の一粒まで絞り出しながら、両腕でその魔力を抱きつぶした。炭となり消し飛ぶ俺の腕の向こうで、魔王の目が丸くなるのが見えた。それはとても愉快で、炭化して動かない俺の口から笑う息が漏れた。
意識が遠のく。もう動かす事も出来ない目が写す最後の光景は、勇者の剣がゴルディアを頭から真っ二つにする様子。
ざまあみやがれと言おうとした舌が崩れる感触を最後に、俺、獣王アルジズの生涯は幕を閉じた。
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「と、思ったんだけど」
「おい魔物野郎! 聞いてんのか!! 言葉が分かるんなら大人しくそいつを渡してどっかへ行っちまいな!!」
俺は、周りを見回す。俺を取り囲んで武器を振り上げてる頭の悪そうな人間ども、緑豊かな森。抜けるような青空。そして最後に、俺の目の前で震える、人間の女とガキ共を。
「ああ、神よ、私達を見放したもうたのですか……前門の人買い、後門の狼男だなんて……!!」
……どうなってるんだ、この状況。俺はシスターと一緒に天を仰いだ。
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