あとさきもなく

第1話







疲れた。

好きで就いた仕事だったけど、ときどき、自分は向いていないんじゃないかと思うことがある。

同期がどんどん大きな仕事を任されていたり、後輩に抜かされたりすると、特に。

怒鳴られたりすることにはもう慣れたけど、出来ない奴だと烙印を押されるのは堪えた。



だけど、もう30。

向いているとかいないとか、そんなことを言える年ではなくなってしまった。

これしか、やってこなかったのだし。




週の真ん中にもならない火曜日。

何かを背負っているような気持ちで、下を向きながら歩いていると、肩にドンッと衝撃が走って、直後にバラバラっと小物が落ちる音がした。

見慣れない化粧ポーチや財布が、道に散らばっている。

「す、すみません!」


自分が落としてしまったそれらを慌てて拾っていると、上から舌打ちがふってきた。

思わず顔を上げると、そこには夜なのに真っ黒なサングラスをつけた派手な装いのけばけばしい女。

目が合う前に慌てて顔をそらし、拾うのに集中する。


女はため息をひとつ吐いたかと思うと、ダルそうにしゃがみこんだ。

細くて、きれいな指先。

一瞬しか見ていないからよくわからないけど、尋常じゃないほど小さい顔。

しゃがむと、その長さが強調される脚。

何故だかはわからないけど、予感があった。



「…すーちゃん?」


女が勢いよく顔をあげて、私の目をみる。

サングラス越し、確かに目があった気がした。

おそらく私を認識したであろうその人は、荷物を拾うのもそこそこにいきなり立ち上がり、駆け出してしまった。


やっぱり。

すーちゃんだ。



「待って、待ってよ!」

彼女が残していった携帯を手に、追いかける。

ピンヒールを履いていた彼女と、いつ呼ばれても走って飛んでいけるようにスニーカーで出勤している私。

どっちが早いかなんて、試してみなくてもわかった。

裏路地で彼女の細い手首をつかまえる。


「っ、はなしてっ!」

「やだ。放したらすーちゃん、どっか行っちゃうでしょう?」

「…」

「…心配してたんだから」

「…」

「すーちゃん」

少し強めに呼びかけると、彼女がゆらりと顔をあげた。


「…その呼び方、やめて」

「え…?」

地をはうような低い声に少し驚く。


「そんな子供っぽい呼び方、やめてよ!」

「子供っぽいって…」

こちらを睨む彼女に気おされる。


「…わかった。なんて呼べばいいの?」

「…りか」




それは昔、彼女が呼ばれるのを嫌がった名前だった。

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