第20話 偉人は耳を疑う
――偉人、ユリウス=アルノート。
王都ストラドスにおける魔法学校の現校長。歴代で最長の任期をこなす。
着任以来、生徒の魔法レベルが大幅に上昇したことは周知の事実。
アルノートは若かりし頃に魔王城四天王の一人、ガールブ――獅子のキメラ――を倒したことから有名になる。
パーティ『紫電』の中でも強力な魔法を使えた彼は『人類の懐刀』と呼ばれ、冒険者引退までの数十年、Sランクに君臨し続けた――
とまあ、この学校の教科書にはこんな感じの説明が載っている。
幼少時代の生い立ちも含めれば長くなるが、テスト問題で出題されるのはほぼこの内容だ。
今となってはそのアルノートも弟子を取り、日々後任にふさわしい人材を育てているといったところだ。
「アルノート様、手が止まっておりますが」
わしの動作を監視している者が平坦な声で告げた。
離れた場所にある机で仕事をこなす銀色の髪を束ねた女性秘書――ケーテ=ルネリタ――は、書物から目を離していないのにこっちが見えているらしい。
まだ年頃の娘だが、弟子の中でも一際有能な人材。
厳しい性格を除けば、保有しているマナ量、魔法の技量、身体能力のどれをとっても隙が無い。
昔の自分を見てるようだ。
そして、わしを監視する目にも一切の隙が無い。
思わず聞こえないように嫌味をつぶやく。
「お主だって、トマトは嫌いだろうが……」
「まったく食べないわけではありません」
しっかりと聞こえていたらしい。地獄耳め。
その間も無表情に書物をめくっている。
わしは小さくため息をつき、握っていたフォークでレタスを突き刺した。まだキュウリのスライスもセロリも残っている。
「わしにサラダはいらんと言ったはずだがの」
「もうお歳なのですから、ご自身の体には気を遣ってくださらないとダメです」
「今さら野菜なんぞ食っても食わんでも変わらんと思うがの」
「…………早く食べてください。次の授業に差し支えます」
「……はい」
ほんとうに厳しい。
とうにわしの教えられることは教えたはずだが、まだ弟子でいたいらしい。そろそろ独立して何かやって欲しいところなのだが……
「そういえば、この間辞めた者の後任は見つかったのかの?」
「後で報告しますので、先に食べてください」
「…………はい」
肉メインの料理だけで良いと言っておるのに。
どうあっても、食べるまではこの部屋から出してくれそうにない。
何度か野菜を口に放り込み、一気に水で流し込んだ。
***
「で、報告とは何かの?」
「まずは後任の件ですが、急げと言われておりましたが、まだ見つかっておりません」
「……魔王が滅んだ以上は、大事な分野なのだがの」
「まだ滅んだと決まったわけでは――」
「ルネリタ」
「…………申し訳ありません。軽はずみな発言でした」
秘書が銀髪を揺らしながら頭を下げた。
魔王の死体は発見されていない。それは王やわしら一部の者のみが知る事実。勇者一行と口裏合わせをしてまで言い切っておることだ。
魔王が愛用していた武器や装備がぽつんと残っていたらしいが、あれを手離してきまぐれで旅に出るなど考えられない。
まず間違いなく何かで死んだはずだ。
内輪もめか…………それとも……
わしが現役ならば確認しに行くところだが、まだ四天王も残っているはずだ。彼らが無事だとすると調査だけでも半端な戦力では危うい。
「とりあえず、後任探しを急いでくれ。週に一時間とは言え、いつまでも穴を空けるわけにはいかん」
「アルノート様のお話も生徒には人気のようですが」
「あんなもの、年寄りのかび臭い昔話に過ぎんよ。生徒のためにはまったくなっとらん。…………で、もう一つの報告は?」
ルネリタが銀フレームの眼鏡の位置を整え、手元の紙に視線を落とした。
「商店通りに、野菜を売る店が増えました。セドリック商店という店名だそうです」
「……それで?」
珍しくもなんともない話だ。
あの通りは廃業と開店の繰り返しだ。日々熾烈な商売が行われている。
だが、そんなことはルネリタもよく知っているはず。
「気絶者が続出しているという報告が上がってきています」
「…………なんだと?」
「何でも、『レジェンド野菜』なるものを試食した客がその場で気絶していたそうです。それ以来、セドリック商店の評判が一気に上昇し、商店通りで注目されています」
「……待て待て。もう少し分かるように説明してくれ」
「つまり、新しい店ができた。『レジェンド野菜』を売っている。客が食べる。気絶する。ですね」
「……か、簡潔ではあるがの。その『レジェンド野菜』とはなんだ?」
「掴めておりません。どうも毎日入荷しているものではないようで。確認できているのはたった一日だけです」
「その一日で気絶者が出たのか?」
「はい。分かっているだけで二十人近く」
「にじゅうにんっ!? ――いたたっ」
思わず膝を机にぶつけてしまった。
本当なら大事件だ。
野菜を食べて気絶することなど有りえない。一番可能性が高いのは……薬。
「新しい魔法薬でしょうか?」
「…………お主もそう思うか? まともな思考なら、人目のある場所で危険な実験をするとは思えんが……まあ、何にせよほっとくわけにはいかんの。生徒に被害が出ても困る」
「騎士団も同様の報告を受けているようですが、困惑しているというのが本音のところだそうです。私が直接見てきましょうか?」
「お主なら危険はないと思うが……まあ、念の為わしが行ってこよう。魔法薬ならばよく知っているからの」
「ではお願いいたします」
「うむ。では、ルネリタには午後の授業の代行を頼むからの」
「…………別に今からでなくとも良いのでは?」
「なにを言うっ!? こういうことは迅速かつ最大戦力で攻めるのが鉄則だ」
「……野菜相手に、伝説に等しい『人類の懐刀』が全力を?」
「相手は『レジェンド野菜』。相手に取って不足はないの。じゃ、そういうことで後は頼んだからの」
「やはり私が――」
ルネリタがそう言った時にはもう遅い。聞こえたのは遥か後方だ。
わしは一目散に部屋を飛び出した。
皿の上にサラダを少し残したまま。
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