第57話 たった一人の王子さま I

 



「ゲイリー…先生……」



 立ち尽くすあたしに、声をかけてきたのは。

 先日、研究室で手を握られて以来、なんとなく気まずくて避けていた…ゲイリー先生だった。

 そうか、彼も来ていたんだ…そうだよね、学院の行事なんだから。

 いつもは白衣姿の彼も、今日は黒いタキシードに身を包んでいる。背が高くてハンサムだから、まるで舞台俳優のようだ。


「また、元気がないようですね」

「え?」


 前回に引き続き落ち込んでいるのを見抜かれ、内心どきりとする。

 彼はにっこり微笑むと、


「もし、ご迷惑でなければ……僕と、踊っていただけませんか?」


 自身の胸に手を当て、礼をするようにそう言った。

 あたしは慌ててパタパタと両手を振る。


「い、いえっ。お誘いは嬉しいのですが……あたし、踊ったことなくて…」

「嬉しい?それはよかった」


 そう言った瞬間。

 振っていた手を掴まれたかと思うと、ぐっと腰を引き寄せられ、



「僕は、『体術』の専門家ですから……リードなら、お任せください」



 顔を寄せて、そう囁かれた。


「や、あの、ちょっと!」


 抵抗する間もなく。

 あたしは、回りながらフロアの中央へと導かれ。

 彼のリードに合わせて、踊り始めた。


 ベアトリーチェさんとの練習の成果か、ゲイリー先生のリードが上手いのか、足が自然と動いてしまう。


 すごい。あたし。

 周りと同じように、舞踏会の中心で、踊れている。


 戸惑いながらも、ほのかに高揚感を抱くあたしに、


「そうそう。お上手じゃないですか」


 白い歯を輝かせながら、ゲイリー先生が笑いかける。

 そして、ダンスの足を止めないまま、彼は声をひそめて、


「…なぜ、あんなに寂しそうな顔をしていたのですか?」

「………」

「また、理事長先生に叱られたのですか?」

「…ち、違います」

「酷い人だなぁ。こんなにも魅力的に着飾ったあなたを悲しませるなんて…」


 そして腰に回した手を、さらに引き寄せられながら、


「僕ならそんなこと……絶対にしない」


 青い瞳で、射抜くようにそう言われ。



 その時、あたしは。

 気がついた。

 ゲイリー先生の気持ちと。

 あたし自身の気持ちに。



「フェレンティーナさん……よかったらこの後、僕と二人で抜け出しませんか?」


 そう、耳元で優しく誘われる。


 背が高くて、かっこよくて、

 女の子の気持ちに気付いてくれる、優しい人。

 こんな人、きっと誰もが好きになる。

 こんなことを言われたら、きっと誰もが「はい」と答える。


 けれど。



「……ごめんなさい」


 あたしは、違うのだ。

 あたしが欲しいのは、あなたじゃない。


 いじわるで、気まぐれで、へそ曲がりで、全然構ってくれなくて。

 でも時々、ヤキモチを妬いたり、膝枕で甘えてきたり、「彼女だ」って言ってくれたり。

 泣きながら眠っていれば、「君は悪くないよ」と、そっと抱きしめてくれる。


 クロさんだけ。

 あたしの中には、クロさんしかいないのだ。

 彼以外には心を揺さぶられなくなってしまったのだと、はっきりと気付かされた。



 だから、


「あたし……やっぱりあなたとは、踊れません」

「え?」


 足を止め、ゲイリー先生から離れる。

 それから顔を上げ。

 あたしは、笑顔を向ける。


「ありがとうございます。でも、もう戻ります」

「そんな……待ってくれ」


 去ろうとしたあたしの腕を、ゲイリー先生が急に引っ張ったので。

 ただでさえ慣れないヒールで、慣れないダンスを踊ったあたしの足は簡単にもつれ…


「いた…っ」


 少し嫌な音を立てて、捻ってしまった。


「す、すみません。大丈夫ですか?」


 痛みに足を止めると、ゲイリー先生が支えるように肩を掴んでくる。

 すると、その時。



「──ねぇ」



 後ろから、声がする。

 聞いただけでわかる。怒りと殺気を孕んだ、低い低い声だった。


「……ウチのレンちゃんに、なにしてんの?」


 先に、ゲイリー先生が振り返る。

 あたしは、なんとなくそちらを見るのを躊躇ためらった。

 だって。

 声の主は、もう、聞いただけでわかっていたから。


「これはこれは、理事長先生。すみません。ちょっとダンスにお付き合いいただいたのですが…彼女、足を痛めてしまったようで」


 ゲイリー先生が、明るくそう返す。

 恐る恐る、そちらへチラリと目をやると。


「僕には、君が無理矢理引っ張ったように見えたけど?」


 見たことがないくらいに、鋭く冷たい視線を向けるクロさんがいて……

 しかしゲイリー先生は、肩を竦めてそれを受け止め、


「彼女が寂しそうにしていたので、放っておけなくて…声をかけてしまったのですよ。一体、誰のせいなのでしょうかね…?」


 なんて、挑発的なことを言う。

 それにクロさんは何も答えないまま、あたしの方へと歩み寄り。


「わわ…っ」


 ふわっ、と。

 いきなりあたしを、お姫様抱っこした。

 周りで踊っていた学生たちもそれに気付き、にわかに騒めく。

 ゲイリー先生は「ふっ」と鼻で笑ってから、


「そんなに大事な秘書さんなら、目を離さない方が賢明ですよ」


 背を向け去っていくクロさんに向けて、そう言った。

 クロさんは一度、くるりと振り返って、




「秘書である前に……これ、僕のものだから」




 そう、はっきりと言い放って。


 目を見開くあたしを抱いたまま、スタスタとその場から離れて行った──


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