第5話 魔法の解けたあと
……というのが、ちょうど一週間前の出来事。
言葉を選ばずにあえて言うのなら。
めっちゃ、ラブラブだったのだ。
それが、その翌日から……
事態は、急変するのである。
* * * * * *
彼にこの城へ連れてこられた日の、翌朝。
バァンッ!!
と、突然部屋のドアが開き、あたしはその音で目を覚ました。
がばぁっ、と起き上がってみると、ワイシャツにネクタイ、襟の高いかっちりとしたジャケットを羽織ったクロさんが無遠慮にヅカヅカと入り込んできていて。
シャッ、とカーテンを素早く開けてから、こちらを振り返り、
「行くよ」
「へ?どこに?」
「仕事。これ着て」
朝日を背に受けながら淡々と言うと、彼は服のようなものを放り投げてきた。
毛布に足を突っ込んだまま、あたしはそれを広げる。
これは…女性ものの、スーツ?
「今日一日で仕事覚えてもらうから。はい、四十秒で支度」
「ちょ、ま、え??」
戸惑うあたしを残し、彼はドアを閉めて出て行った。
「…………………」
言われるがままにスーツに着替え、廊下で待っていた彼に連れられ向かったのは、城内にある会議室だった。
扉を開けると、そこには…
屈強そうな、いかにも軍人らしい眼つき・顔つき・体つきの男性が数十名揃っていて。
その人たちが、現れたクロさんを見るなり、
『おはようございます!クローネル指揮官!!』
一斉に立ち上がり、敬礼をしたものだから。
あたしは、目を丸くした。
く…クローネル…指揮官……?
呆然としていると、クロさんは顔色一つ変えずに首だけをこちらに向けて、
「じゃ、終わるまで待ってて。その間にコレ、把握よろしく」
そう言って、一冊の手帳をあたしに差し出すと。
重厚なドアを閉め、会議室へと消えていった。
「…………………」
な、何がなにやら……
頭に疑問符を浮かべるが、何もかもが突然すぎて処理が追いつかない。
え?昨日のラブラブな雰囲気はどこにいった?
仕事?会議?指揮官??
ていうかあたし、部屋の鍵閉めてたよね?ひょっとして合鍵持ってるんですか??
……とりあえず。
と、手渡された手帳に目を落とし。
廊下に立ったまま、そのページをめくってみた。
それは、クロさんのスケジュール帳だった。
いつ、どこで、何をしなければいけないのか、仕事の予定が流麗な文字で簡潔に記されている。
しかもそれが、向こう三ヶ月先までビッシリなのだから。
「…………こんなに忙しいんだ、この人」
あたしは、愕然とした。
確かにこの一ヶ月、一度も顔を見せに来てくれなかったから、「戦争終わったばかりで、そりゃあ忙しいよね」とは思っていたが。
スケジュールを見返しても、本当に一日も休みがないのだ。
唯一、昨日の夕方以降を除いては。
「……………………」
ようやくできた休みを、あたしに。
あたしを迎えに来るのに、使ってくれた。
そのことを知って、胸の奥がきゅーっと締め付けられる。
嬉しさと、申し訳なさとが入り混じった、切ない気持ち。
どうやら彼は、あたしが思っている以上に『偉い人』のようで。
手帳には軍部の会議の予定、視察の予定に加えて、魔法学院の式典準備や打ち合わせといった文字も見られる。
昨日の夜。
あの馬車の中で、彼は言った。
『君はこれから一生、僕の専属メイドとして働いてもらうんだから』
想像していたメイド像とはだいぶかけ離れているが…
つまりは彼のスケジュールを把握し、仕事のサポートしてほしい、ということだったのだろうか。
ならば。
「………やってやろうじゃない」
せっかく、 憧れていた国の…それも、お城の中に住まわせてもらえることになったのだ。
ここに連れてきてくれた彼に、少しでも報いたい。
そう思って、あたしは。
それから一週間、必死で彼の仕事について回った。
* * * * * *
…………が。
「んあああああん!やっぱりイチャイチャできないのつらーい!!」
あたしは自室で頭を掻き毟る。
この叫びこそが、この国へ来て一週間経った今。
あたしが辿り着いた答えだった。
本当に毎日毎日毎日毎日、会議室と、お城に隣接する魔法学院とを行ったり来たり…
その中であたしは、必要な資料をまとめたり、議事録を作成したり、次の予定の日程調整をしたりと、お手伝いをしているのだが。
クロさんに触れることはおろか、仕事以外での会話すらできていない。
彼の側にいられるのは嬉しい。彼の役に立てるのは嬉しい。
けど。
「………………ああぁ…触りたい……」
なのである。
だってだって、せっかく恋人同士になれたはずだったのに!!
……あれ?ていうか、恋人同士だよね?あたしたち。
あんなディープなキスしているし、クロさんからも『君が欲しい』って言われたわけだし……
いや、待て。よくよく考えたら。
「……あたし、一度も………『好きだ』って、言ってもらえてない」
なんということでしょう。致命的なことに気が付いてしまった。
気付いてしまったからには。
……そのたった一言が、欲しくて欲しくてたまらなくなる。
という、諸々の気持ちを。
「…………うがぁぁああああ!!」
あたしはペンに火が点くのではないかという勢いで便箋に
封筒に入れ、宛名を書く。
「……ローザさん、助けて」
あたしの"実家"……色酒場『禁断の果実』にいる、姉のように慕う女性。
離れて僅か一週間で泣き言を綴った手紙を書くなんて、彼女に笑われそうだが。
あたしは、縋るように封を閉じた。後で出しに行こう。
クロさんが(口先だけの)立派な演説をした入学式を終え。
翌日の今日は、朝九時から軍部の本会議。お昼を挟んで十四時からは魔法学院の方の会議、その後は学院の講義に使う資料作り、というスケジュール。
そろそろ七時。昨日言われた通り、クロさんを起こしに行く時間である。
起こす、と言っても彼は、いつも部屋を訪ねた時には既に起きているのだけれど…
本当になんと言うか、隙がない人だと、近くで仕事ぶりを見ていてつくづく思う。
身なりも常にきちんとしているし、時間にも正確。字も綺麗で、食事や対人の所作も美しい。
これで性格さえ良ければ完璧……などとは、口が裂けても言えないが。
要するに、あたしなんかがいなくても十分自己管理できるのでは?と思ってしまうのだ。
…いや、必要とされている内が華だ。これで『やっぱりいらない』と言われてしまっては困る。彼が七時に起こせと言うのなら、喜んで起こしに行きましょう。
……たとえ褒められなくても?
イチャイチャできなくても?
なんて考えそうになる頭をぶんぶん振り払って。
あたしはすぐ隣の、クロさんの部屋の戸を叩いた。
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