サキュバスちゃんのいる日常

楠泰 ラー

第1話 夢

 ある日、夢を見た。

 重力や方向感覚の無い、暗闇の中を漂う夢。

 ふわふわと、全身が脱力し切った開放感に包まれる。

 何の意味も無い夢の中、突如、誰かの声が耳元に響いた。


「あなたの精気、とっても美味しそう。」


 耳の奥にねっとりと絡みつき、甘く包み込む様な声。

 気がつくと、俺は何かの上に横たわっていた。今度はちゃんと重力も感じる。

 何やら、腰のあたりにずっしりとした重みがかかっていることを重力が教えてくる。

 目を開けると、俺の上にピンク色のツインテールの少女が馬乗りになっていた。

 その少女は、質量を感じさせる豊満な双丘と、陰部だけを隠すような、肌色の面積の多い、黒い衣装を身に纏い、背からは蝙蝠のような、これまた黒く、小さな一対の羽が、腰からはゆらゆらと動く矢印のような尻尾が生えている。

 まるで、ゲームで見たような悪魔のようだった。

 俺の腹に片手を這わせ、もう片手を頬に当て、恍惚とした表情を浮かべている少女に、狂気めいたものを感じ、恐怖すら覚える。

 何とかこの体制を抜け出そうとするが、体は何かに縛られているかの様に動かない。


「ふふ。そんな身体じゃ抵抗出来ないわよ。」


 少女は四つん這いになって、俺の耳元に口を寄せた。


「ちょっとキモチイイことするだけ。私に身体を預けて…ね?」


 吐息が耳にかかってこそばゆい。

 少女は一度顔と体を戻すと、もしかしたら…と続けた。


「もしかしたら…キモチ良すぎて死んじゃうかも。」


(それじゃあまるでサキュバスじゃないか!)


 喉もまともに動かず、声も出ない。

 心の中で叫んだつもりが、それに反応する様にウィンクをすると、少女は目を閉じ、その端正な顔を近づけてくる。

 サキュバスは、確か性交をし、極上の快楽に溺れさせた後、死ぬまで精気を吸い取る悪魔の一種だったと覚えている。


(このまま、このサキュバスに身を委ねていたら、絞り尽くされて死んでしまう!)


 柔らかそうな、桜色をした唇が迫ってくる。

 俺の意志とは逆に、身体は吸い寄せられる様に唇を求める。

 ダメだと思っても止まらない。

 逃げられない時を覚悟し、目を瞑った時、


 PiPiPiPiPiPi…


 アラームが朝の訪れを告げた。

 仰向けのまま、手だけを動かし、枕元の時計のボタンを押し、やかましく鳴り響く電子音を止める。

 天井を見上げながら、まだ覚えている夢を思い返す。


(どうせならシちゃえば良かったか…)


 夢だし、己の臆病さを後悔した。

 あんな体験、リアルじゃ到底出来ないであろう。


「あれ…あんな体験…?」


 もう夢の内容が思い出せなかった。

 何やら、身体も重い。軽く、風邪でも引いてしまったのだろうか。

 具合が悪いから仕方ない、と、自分自身に言い訳をして、狂気が休日出勤だからこそ許される二度寝につき、夢の続きに戻ることにした。

 腹を搔き、意識の綱を手放そうとした時、持ち上げた手が腹の上の何かにぶつかる。


「んっ?!」


 首を持ち上げ、自身の身体を見ると、そこにはピンク色のツインテールをした少女、いや幼女が俺の胸に身体を預け、すやすやと寝息を立てている。

 朝おきたら、身体の上に幼女が寝ている、あまりにも非日常的な光景に眠気など吹き飛ばされてしまった。


 俺の夢はまだ終わっていなかったみたいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る