泉の精と聖なる斧

伊藤マサユキ

第1話 泉の出会い

「貴方が落としたのは、この金の斧と銀の斧、どちらの斧か――――」

「だから、俺は斧を落としてねえ」


 小さな泉のほとり、水際に立っている俺は、さっきから何度となく続く質問のやり取りにイライラしていた。


「それでは、こちらの――」

「何度言ったら気が済むんだテメエは。俺は斧を落として・・・・なんか、いねえ」


 最初は向こうの質問を一応は聞いていたものの、違うと言えばまた質問の初めに戻り、一向に問答を終わろうとしない目の前のにいい加減腹が立ってきていた。別に仕事熱心なワケでもないが、午後やろうと思っていた仕事もまだ残っている。


「――こほん、そうですか……貴方はとても正直な人間です。その清い心を見込んで、さきほどあなたが落とした斧を含め、この金銀の斧をあげま――」

「だから落としてねえ――――っつってんだろうが!! 大体、金の斧なんて何の役に立つんだ、趣味ワリい」

「…………その、例えばですが……売ってお金にするとか?」

「蓄えもあるし仕事もある。別に金に困ってねえ」


 はじめは泉の精霊よろしく、流暢りゅうちょうで静かに喋っていたが、目の前のコイツの態度は段々とざっくばらんな感じになってきていた。


「そうですか……」


 もはや落胆を隠すことすらしない女は、態度こそ残念なものになっていたが見るからに精霊のような姿をしている。ぼんやりと光る全身、絹のような長い金髪、羽衣のような薄く綺麗な着物をまとった若い女の姿をしているが、全身はうっすらと透けており、午後の日の光を浴びた泉が透けた姿のその後ろに見える。


「もう行っていいよな? まだ仕事が残ってんだわ」

「ちょっ、ちょっちょっちょっ、ちょっと待って下さい〜〜〜〜!!」


 ぜえはあと息を荒げながら、きびすを返そうとする俺を静止する。呼び止める声を無視してさっさとその場を立ち去っても良かったが、奥歯を噛み締めながら足を止めた。


「……まだ何かあるのか?」

「その…………今なら、オリハルコン・・・・・・の斧を付けることもできて、その……お得かと思いますが」


 女の態度は、もう話し方にも身振りにも、威厳いげん欠片かけらもなくなっているが、その言葉に少し驚いた。


「オリハルコン、だと?」

「はい……」

「そいつは凄え。伝説級の代物シロモンじゃねえか」


 俺が返した言葉に、うつむいていた女の耳がウサギのようにピクリと動いた気がした。がばっと上げた顔の中で、二つの瞳が爛々らんらんと輝いている。


「で、ですよね!! 凄いですよね!? オリハルコンの斧なんて見たことないですよね!? そ、それじゃあ受け取って貰えるので――」

「いや、別にいらねえ」

「えええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 女の絶叫が森に響いた後、辺りはチュンチュンと鳴く鳥の声と共に静寂が訪れた。


「……じゃ、もう行くぞ――」

「ちょ、ちょっちょっちょっと待って下さい!! なんでいらないんですか!? オリハルコンの斧ですよ!? 戦士の方なら欲しがるのは勿論ですし、売ってお金にすれば一生どころか、10回くらい生まれ変わっても遊んで暮らせるんですよ!?」

「戦士でもねえし、別に遊んで暮らすのにも興味ねえし」

「え、ええええーーーー……」


 俗物ぞくぶつのような物言いに、精霊みたいなキャラ設定が完全に狂っているところに突っ込みたい気持ちもあったが、語彙ごいも怪しくなってきた女の声を最後に、再び静寂が訪れた。女はあんぐりと口を開けたままの顔で固まっている。


「もう話すことはないな? 行ってもいいか?」


 さっきまでかなり苛ついていたものの、困っていますと顔に書いてあるような奴を置いていくのも忍びなくなり、話すことはもうないと念押しすることにした。呆然とした様子だった女は、少しの沈黙の後、ぽつりぽつりと喋りだす。


「あの、聞いてもいいです?」

「何だ?」

「その……別にお金に困ってなくても、貰えるものは貰っとけとか……そんな風には考えませんか?」

「考えねえな」

「そう、ですか……いや、もういいんですが……」

「いいのかよ。というか、どこから出てくるんだ、その俗っぽい知識とか考えは。仮にも精霊を自称してるんだろ、お前は」

「いや〜〜、でも分からないですわ〜〜。そうそう、だって仰るように私、精霊なんですよ? 泉の精霊ですよ? 斧もお金もいらないってのは百歩譲って、まあそういう人もいるのかなって思いますけど、もう少しこう……『ひえ〜〜、女神様!! ありがたやありがたや!!』みたいなリアクションとかあってもいいんじゃないですかねえ……」

「精霊なあ」


 もう斧を渡すことは諦めたのか、恨み言のような話になってきた女だが、俺が返した言葉に引っ掛かったのか、露骨なしかめっ面になる。


「……何です?」

「いや、精霊つってもなあ。見た目だけはぽい・・っちゃぽい・・が、お前全然精霊に見えねえぞ。精霊どころか、無理やり高価なモンを押し付けようとしてくるあたり、悪魔・・か何かじゃねえの? モノ貰ったら魂取られる的な?」

「ぎ、ギクゥーーーーーーーー!!」


 変な叫び声に引きつる顔、段々と申し訳ない気持ちにもなってきた。


「何だ、その反応は。図星か?」

「い、いえそんなことはありませんよ? 変なことを言う人間ですね……オホホホホ……」

「口調も変わってるし、キャラ定まってねえぞ」

「キャ、キャラ? キャラって何です? 精霊にキャラなんてありませんよ、おかしな人ですねえ。おかしな人です、うんうん」

「喧嘩売ってんのか、テメエは」

「い、いやいやいや、そういう意味でなくて!! ユーモアのある人間ですね、と!! 私が言いたかったのはそういう事でして!!」


 胸の前で腕を伸ばし、手をぶんぶんと振る女。

 どんどんと反応が変わってくるので、少し面白がる気持ちも出てきた。もう放っておいても良かったが、少し気が変わったのでもう少しだけ話を続けることにする。


「で、悪魔なんだろ?」

「いや〜〜、そんなワケないじゃないですか〜〜、悪魔ってのはアレですよ? もっと怪しくて意地悪い顔してて、金品を餌に人間の魂を取っちゃう的な、そんな存在ですよ?」

「金品を餌に、ってとこがモロじゃねえか。語るに落ちてるぞ」

「あ、しまった」

「しまった?」

「いやいやいや、違います違います。しまった・・・・って言うのはその〜〜、とても引き締まった・・・・顔をされていて、とてもダンディな方だなあと」

「つまんねえし、何だそりゃ。喧嘩売ってんのか、テメエは」

「だから売ってないですって!! どっちかっていうと褒め言葉じゃないですか!! 何ですぐ怒るんですか!?」

「いや別に怒ってねえけど。冗談だ」

「え、ええーー……」

「まあ話すことも特にないし、もう行くぞ」


 ものすごく疲れた顔を見せる自称泉の精霊。話すのがちょっと楽しくなってきていたが、無駄話をしていても日が暮れるだけだ。話を切り上げ、そろそろ仕事を再開しようと思った。


「はい……」

「それじゃあな」

「はい……」


 話を切り上げ、商売道具が置いてある家へと向かった。と言っても、湖とは言えないほどの大きさの泉の、そのすぐそばに建てたばかりの家なので、少し歩くだけで着く。

 家のドアを開けようとした所で、外に置いておいた伐採用の斧が目に入ったが、すぐに仕事を再開する気も失せていた。そのまま戸を開け、棚の酒瓶を手に取ると、窓際のいつものスペースに置いた椅子にどかっと座り、瓶の蓋を開ける。


「まだいるな……アイツ」


 ぐいっと酒をあおりながら外を見ると、窓の外に広がる泉のほとり、一人ぽつんと寂しげにたたずむ女が見える。こうやって見ると泉の精霊と言われて納得感があるかも知れない、儚げな感じではある。


「まあ、普通に悪魔なんだろうな」


 この世には、悪魔や魔物なんてものはうようよと湧いて出るが、神や精霊と言ったようなガキ向けの童話の中にだけ出てくるような存在を見たなんて話は、聞いたことがない。あったとしても、教会の坊主の胡散臭いお説教・・・・・・・や、吟遊詩人のしょうもない・・・・・・歌の中だけだ。それに、神や精霊なんてもんがいたら――こんなどうしようもない世の中じゃないはずだ。


「何してんだ、アイツ……」


 酒のツマミ代わりに、泉のそばで何をするわけでもなく立っている女を見ていたが、さっき俺に渡そうとしてきた金の斧を手に持ち、やりように困っているように手の中でくるくると回している。少しの間そうしていたものだが、すぐに飽きたのか泉の方に放り投げると、ぼちゃんと音を立てて金の斧が沈んでいった。


「……捨てんのかよ」


 何がしたいのかよく分からない女の動きを見て、自然と独り言を口にしてしまう。

 そんな自分が少し可笑しく思え、少し笑ってしまった。


 さっさと消えればいいものを未だ泉の傍に立ち、何もせずに空を見上げている女を見て、平和な箱庭のようなこの空間を楽しんでいた。耳に入るのは、鳥の声と、魚が水面を跳ねる音くらいのものだ。


「平和だな」


 そんな独り言を口にしながら、また一口と、俺は酒をあおった。

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