第58話 晴れのち曇り 

 ベットから身体を起こすと、昨日までの長雨がまるで嘘みたいに晴天の兆しをしていた。玄関の扉を開けて外に出てみると、雲一つない夜明けの空が一面に広がっていた。俺は簡単な朝食を四人分作り、黙々と食べ始めた。残った朝食にフードカバーをかけ、冒険に出る支度を始める。


 久しぶりにがっつりと山には入る為の防具を装着し、肩から鞄をかけると年甲斐もなくワクワクしてしまう。玄関にある小さなボードに冒険に出かけると書き込み、薙刀を握りしめ狩り場に出かけた。


 山道に入るとまだ道はかなりぬかるんでいて滑りそうになる。下を見ると真新しい人の足跡が先に続く。良い狩り場に早く行くほど、銭が落ちているのは冒険者の理。心の中で先行者が薬草狩りでないことを祈る。幾つかの分かれ道を進んでいくといつの間にか足跡は消え、身体を覆い隠すぐらい草が茂っており行き道を遮る。濡れた草木を掻き分けながら先へと進み、いつもの倍くらいの時間をかけようやく狩り場に辿り着いた。


 十日以上もの間、誰も訪れなかったその狩り場には薬草が青々と生えていた。俺はにんまりとしながら新鮮に育った薬草を次々と狩っていく。ソリには高く売れそうな薬草が積まれていく。この調子で狩り続ければ夕方までには運びきれないほど収穫できそうだ。しかし、俺は摘むのに夢中になりすぎて狩りの基本をすっかり忘れていた。


 草木がガサガサと倒され近づく音を完全に聞き逃していた。小鬼の群れが目前に迫ってきて、初めて自分の失態に気がついた。俺は薙刀を握り小鬼の群れを睨み付けた。小鬼はギャッギャッという嫌な鳴き声で俺を威嚇し逃げる気配は全くない。それどころか更に仲間を呼ぶように雄叫びを発した。


 小学一年生ぐらいの大きさをした一匹の小鬼が飛び掛かる――薙刀を力強く小鬼に浴びせかけたが、刃先から力が伝わらない。小鬼は身体を右に飛ばし攻撃をかわしていた。不味いと思った瞬間に、小鬼は俺の懐に飛び込んできた。腹から小鬼の重さが加わり腹が裂けた気がした。しかし、裂けたのは腹ではなく肩からぶら下げていた自分の鞄だった。小鬼はかじりついた鞄を口から離さず、首を左右に振りながら引きちぎろうとする。俺は鞄に噛みついたままの小鬼を、頭から地面に叩きつけた。鞄の下でグギャという不快な音が森に響く……小鬼は身体をピクピク痙攣させながら動きを止めた。


 小鬼の群れが一瞬怯んだ……。両手で薙刀を握り直し、身体を後ろに数歩運んで攻撃を誘う。少し前に出てきた小鬼の腹に向けて、刃をえぐり突くと血を噴き流し崩れ落ちる――薙刀が軽い。


 ドワーフに打って貰った薙刀の力が存分に発揮している事を実感する。


 まだ二匹の小鬼しか倒していないのだが、俺の圧に小鬼達が飲まれているのが手に取るように分かる。それを払拭するべく群れの中で頭一つ大きな小鬼が、犬歯をむき出し飛び掛かってきた。身体を中段に構え、小鬼の動きに合わせ薙刀を軽く振る。刃は小鬼の首に吸い込まれ首が飛んだ。ころころと地面に転がったそれは、小鬼の足下でぴたりと止まった。残った小鬼らはそれを見て恐れをなし、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 転がった首から『見事だな……。しかし、おっちゃん、自分の力で勝ったのではないぞ、その薙刀の性能のおかげだという事を忘れるな!』そう言われているように思えてならなかった。


 修羅場が過ぎ去り冷静になって周囲を見渡せば、さっきまで青々とした薬草は、小鬼と自らの足で踏み倒されていた。しかもひっくり返ったソリからこぼれ落ちた薬草は、泥まみれになって売り物にならなくなっていた。俺はヘナヘナと膝から崩れ落ちる……。この後、薬草狩りを続ける気持ちにはなれず、空になったソリを引きずりながら足取り重く帰路についた。


 タリアの町に着いた俺は、小鬼に引き破られた鞄を店に預ける。修理は一時間ほどで終わると言うことで店の前で時間を潰す。空を見上げると太陽が西に沈みかけていた。鞄を受け取り家に着いたときには辺りは真っ暗になっていた。家の扉を開き部屋に入ると誰も居なかった。玄関のボードを見ると、ルリとレイラは冒険に出かけ、テレサは夜勤で今日は帰らないと書かれていた。


 部屋に明かりを灯し風呂に火を入れ、夕食の準備をしようと台所に入ったが、料理を作る気分ではなかった。一風呂浴びた俺は棚の上に隠していた上等な酒を取りだし、皿に干し肉を盛りリビングに運んだ。静まりかえった部屋の中で、一人で酒をちびちびと飲みながら干し肉をかじる自分は、完全におっさんだと苦笑した。普段はさほど広い部屋とは思っていなかったが、一羽の雛鳥もいないとかなり大きく感じた。室内には彼女たちが勝手に持ち込んだ、使い方の分からない異世界の道具があちこちに転がっていた。


 異世界にきて荷物運びをしていた頃、汚い四人部屋で夢ならさめてくれとぼやきながら一人寂しく酒を飲んでいた。その時より環境はかなり良くなっているというのに、酒の味が同じように苦く感じた……。ボンヤリと黄昏れていると突然、背中に柔らかい物があたり、後ろから甘臭いレイラの匂いがした。


「何、一人で黄昏れてんだよ」


 後ろから俺に手を回し身体を縛る。彼女に体重を預けながら


「冒険に行ったんじゃねえのか?」


 ぶっきらぼうに尋ねると


「今日はメンバーの打ち合わせだけで、後は飲み会だったので抜けてきたよ」


 レイラに抱きつかれたまま、干し肉を取ろうとした自分の右手は彼女に払われ、彼女がつかんだ干し肉は俺の口に運ばれた。俺は彼女の指ごとそれを咀嚼する。口の中で細い指を溶かすように舐める。


「んあっ……」


 レイラが小さな吐息を漏らす。俺は左手に持ったグラスをレイラの口に注ぐ。俺の耳元でグビグビと喉の音が聞こえる。俺の指先に生暖かい舌の感触が伝わり、空になったグラスが床に転がった。俺の指はレイラの口の中で舌が絡み取られる。焦らすように、舌先がチロチロと指にまとわりつきくすぐったい。


 俺は負けじと彼女の指を甘噛みをしながら、指先から根本までねっとりと出し入れする。唇から離れた指からどろりと唾液が糸を引く……。一本の指が二本に変わり、指の根本を舌でなぞると、背中からブルッとレイラの気持ちが伝わってくる。


 肩越しでお互いに見つめながら、わざとジュブジュブと唾液を増やし指を舐め合う。ときおり指先から彼女の吐息が掛かる。


 部屋にピチャピチャとした淫靡な音色が静かに響き、酒と干し肉をお互いの口に運びながら、この二人羽織の狂演は酒が無くなるまで続いた。

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