第59話 虫の聲

 テレサと二人で夕食を取っていると外から『リリリリリー』と虫たちの鳴く声が聞こえてきた。


 俺は皿に盛った野菜を口にかっ込み席を立った。


「そんなに慌てて、どうしたんだ?」


 テレサが不思議そうな顔をしながら食事を続ける。


「ちょっとばかし庭に出てくるが、ゆっくり飯を食べていてくれ」


 彼女にそう言い残し庭に向かった。ランプを片手に庭先の草むらに光を当てる。光の先には食べ終わった甘瓜の皮が照らされた。その皮の上には黒や緑の小さな虫が集まっていて、それを皮ごとヒョイと袋に入れる。数十分の作業を終えると、袋の中にはうじゃうじゃと沢山の虫が動いていた。思った以上に簡単に採集できたなと、一人でつぶやきながら袋をもって部屋に戻った。


 俺は集めた虫を幾つかカゴに分けてリビングに戻った。テーブルではご満悦そうテレサがプリンを食べていた。彼女はテーブルに乗せたカゴを一瞬見て悲鳴を上げる!


「む、むしィィィィィィィ~」


「悪いーーテレサは虫が駄目な奴か……」


 「ああ……駄目な方かもしれない。あのウゾウゾとした動きが受け入れられないのだ」


 そう言いながらも、プリンを美味しそうに食べるテレサを見て少し吹き出した。テーブルに乗せたカゴの中から『リリリリリィー、コロロロロ』と様々な虫が鳴く。


「この鳴きを聞いてどう思う?」


 彼女は何を聞かれたの分からずキョトンとする。


「この虫のはどう聞こえる?」


「どうと聞かれると難しいな……」


「俺の故郷では虫が出す音を楽器が奏でる音色の様に例え、虫の声といってその音を楽しんだ。しかし、他国では虫の音は雑音にしか聞こえないのだが、テレサにも雑音に聞こえるか?」


「雑音ではないな……虫さえ想像しなければ悪くもないと思うぞ」


 そのときカゴの中から突然『ピルルルルーピルルルルー」と少し高い音が部屋に響いた。俺はその音を出した虫を確認し、別のカゴに分け入れた。虫は二センチほどの緑の羽根をしたバッタであった。


「此奴はそんなに気持ちが悪いとは見えないがどうだ?」


 彼女の前にカゴをツイと差し出す。テレサは目を背けながら怖々とそれを見た。


「ギリいけるかもしれん」


 カゴの中から『ピルルルル-』と虫が鳴いた。


「笛の音みたいな鳴きおとがするな!」


「ああ、こう羽根を立てながら擦すり合わせることでこんな音が出る」


  彼女は感心しながら、カゴの中のバッタを凝視した――


           *     *     *


 翌日、俺は山には行かずに虫かごをもってタリアの中心街まで足を運んだ。高級住宅街の中でも一際大きいデルモント伯爵邸は、いつ来ても近寄りがたい。俺は門番にデブリンに会いに来たことを伝え部屋に通された。


 部屋に入るとぷよぷよと腹を揺らしたデブリンが嬉しそうに近づいてきた。そして挨拶もそぞろに虫の話を捲し立てる。俺はそれを聞きながら彼の頬をムズリとつかんで、テーブルで話そうと笑った。


 メイドが紅茶と焼き菓子を運んでくる。相変わらずここのお菓子は見るだけで高いのが分かる。俺はダブリンの話を聞きながらお菓子とお茶を楽しんだ。


「で、今日は何のようでここに来たんでおじゃる?」


 ようやく自分の話を満足に終えた彼が俺に話を振ってきた。テーブルに虫かごを置きダブリンに見せた。


「バッタの一種でござるな」


「この名前は分かるか?」


「甲虫以外は門外漢なので、図鑑を見ないと分からないでおじゃるよ。おっちゃん氏はこの珍しい虫の名前を聞きたかったんじゃな」


 そういうとメイドに図鑑を書斎から持ってくるように即した。


「いや、たぶんこの虫はそれほど珍しくはないと思うぞ。ただ、この前話していた悩みの突破口にはなるかもしれない」


「悩み??」


「虫マニアが少なすぎ、冷たい扱いをされるのでどうにかしたいと言うことだ」


「ああ、そんな話をしたでおじゃるな。それでこのバッタが一役買うと?」


 ダブリンはカゴを持ち上げながら虫をジッと見つめていると、メイドが図鑑を運んでダブリンに手渡した。彼は本のページをぺらぺらめくり名前を調べ始めた。


 カゴの中から『ピルルルルーピルルルルー』と虫が鳴きだした。ダブリンとメイドはギョッとした顔をしてカゴに目を飛ばした。


「俺の故郷では虫の鳴き声を、鳥のように楽しみ愛でる習慣があった。そこでこの風習を広めれば虫好きの底辺が広がるのではないかと思ったのよ」


「面白い発想だが、荒唐無稽な計画に思えるのじゃが……」


「この虫の由来を知っているか……」


 俺は語り出す――


 ある国に若い男女が愛し合っていました。男は笛を吹く名人でそれは綺麗な音色で彼女を楽しませていた。彼女は彼の吹く音を聞くだけで幸せだった……しかし、そんな幸せは突然終わりを迎えた。彼は戦争で彼女から離れなければいけなくなった。彼はまた直ぐ会えると笑って彼女の手を握り、絶対戻ってくるよと笛を吹いて戦場に向かった。


 戦争は壮絶を極め彼のいる部隊も疲弊する……そんな戦場で彼が吹く笛は一服の清涼剤だった。笛の音色を聞くと戦闘で荒んだ心が綺麗に洗われた。激しかった戦争もやがて終戦を迎え兵隊達は故郷に帰ることが出来た。彼もまた彼女のもとに帰ることが出来た。


 彼の笛だけが――――


 彼女はその笛を握りしめワンワン泣いた。その悲しみは涙を流し続けても消えることはなかった。最後に「直ぐに会える」そういって笛を吹いた彼の姿が忘れられない。彼女の涙は何日たっても枯れることはなかった。ある日の夜、外から『ピルルルルー』と笛の音が聞こえた。彼女は慌てて外に飛び出し辺りを見渡したがそこには誰も居なかった。彼女は肩を落とし部屋に戻ろうとしたとき『ピルルルルー』と足下から笛の音がした。下を見ると小さな緑のバッタから笛の音色が発せられている。彼女はそっと虫の前に手を差し出すと、ぴょこんと虫は手のひらに飛び乗った。手のひらのバッタを見つめると『ピルルルルー、ピルルルルー』いつまでも美しい旋律を彼は彼女にぶつけた。


「なんていい話でおじゃるぅ~」


「おっちゃん様……切なく素敵なお話しですね」


 ダブリンとメイドはその話を聞いて涙ぐんだ。


「まあ、俺のでっちあげだが!」


 そういてって俺はゲヒヒと笑った。


 メイドの好感度は0になった――


         *       *       *


 まずはこのバッタを量産する。こいつの腹を見てくれ、尻尾のような針が突いてあるのが産卵管だ。これを地中に埋め卵を産む。だからこれが沢山卵を産む環境をつくってバッタを増やす。そしてこの虫の鳴き声の良さを世間に広めるため『虫屋』を開業する。そこで、さっきした話を絵本とセットにして市場で売り出す。もちろん最初は虫など売れないと思う。しかし、この絵本は違う。ダブリンも感動したようにこれを配れば話は世間に浸透する。そして虫屋はかならず成功する。


「おっちゃん氏、口を挟んで悪いんじゃが絵に描いた餅にも思えるの」


「ああ俺もそう思う。しかし、虫を育てる人など一日に黄銅貨数枚の賃金でどこでも見付かる。しかもバッタを育てる環境は、砂と安い野菜だけでいけるとしたらやって損はないと思わないか?」


「虫屋が成功すれば、虫の価値も自ずから上がるという訳か! その企画に乗るでおじゃる」


 ダブリンは真っ白なもちもちの頬をプルプル震わせながら俺に賛同した。


 十年後――『虫の聲』という逸話は国中に広まることになる。


『ピルルルルーピルルルー』居間から虫の声が聞こえる。俺はベットの上から、その鳴き声をまどろみながら聞き入る。


 ピルルルルーピルルルルー部屋に笛の鳴き声が静かに流れる


「うるせーんだよ! 眠れねーぞ!!!!」


 隣の部屋からレイラの怒号こえが聞こえた……

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