勘弁してくれバケモノさん!

タカザ

プロローグ

「ただいまー」



 退屈な講義を終えた俺が下宿先のドアを開けると、今日も背筋が凍るほどに寒かった。


 ここ数日はずっとこの調子である。今は七月の中日だ。夏とかいう名前の、リア充だけが得をしてそれ以外は熱中症リスクが高まるっちゅう難解な季節の始まる時期。いや、実はもう始まっているのかもしれなかった。


 事実、どうもじっとり暑くなっていた。


 ただし、それは外の話。


 この部屋だけが夥しい冷気に包まれている。



 靴を脱ぎ、捨て忘れたカップ麺容器が積みあがるキッチンを抜け、廊下の奥にはめこまれたドアを開けるとリビングルームだ。



「おーい、ただいまって。クーラー強くしすぎだぞー」



 だが、そこには何もなかった。


 とっ散らかった漫画雑誌。大きな声じゃ言えないピンク色の本。忘れ去られて埃を被った鉄アレイ。カップ麺の容器。


 そんな見慣れた光景だけ。



 見慣れていない『アイツ』がいない。



「……バケモノさーん?」



 名前らしくない『アイツ』の名前を呼ぶ。



「……いない?」



 その解答が得られたその瞬間俺は俺様になった!


 あのトンチキ妖怪が俺の人生に入り浸り始めてからというもの、健全な男子であれば必ず通過する例の【儀式】をずっとしていなかったからだ。爆発しちゃうっ! どこがとは言わない。


 ただ、それがズボンとパンツを脱ぎ棄てて下半身を風に遊ばせないとできない系統の儀式であることを察していただければだいたいわかるというものだろう。


 だから俺様は下半身装甲をパージして汗臭いベッドにダイブ! ついでに転がっていた桃色雑誌の中で最もお気に入りのやつをひっつかんで広げた。



「お帰りなさいませ」


「ぎゃあああああああっ!!」



 すぐ隣から声が聞こえた。


 震える首に鞭をうってそちらを見やると、真っ白けな無表情が添い寝をしてこちらをガン見しているではないか。



 なにを隠そう、彼女がくだんの『バケモノさん』であり、俺の厄介極まる同居人だ。



「ど、どこにいたんだよ! お前!」


「ご主人様がご帰宅なされたとき、背後にずっとおりました」



 なるほど、そりゃ気づかないわけだ。


 人生、後ろを振り返ってみるのも大切だってことだろう。



「なんで呼んだときにすぐ返事しなかったの」


「一度やってみたかったんです。『ビックリさせる』という行動を」


「うん、ビックリした。マジで」


「不快な気分にさせてしまったのなら、申し訳ございません」


「いや、いいよ……」



 俺が許すと、彼女はまるで宙に浮くようにベッドからふわりと起き上がり、未だ寝っ転がったままの俺を見下ろすように正座した。ドレス状の漆黒のスカートの裾から、彼女の真っ白な足が生えていた。血が通っていなさそうな白色の膝と、その奥にある太もも……!



 って、いかんなにを考えてるんだ俺はこんな得体のしれないバケモノに!


 だが、こいつは目ざといようだ。耳元に口を近づけると、囁くように語りかける。



「性欲が溜まったのならば、人間のメスの性交器官を模倣いたしますが」


「結構だ!」



 寒いのを打ち消すように、俺は毛布を頭まで被った。



 ほんの数日前まで、俺こと坂本鼓の人生は、モテないダメ男子大学生でしかなかった。


 なぜこの妖怪が俺に憑りついてしまったのか。しょっぱい涙を堪えながらここ数日を思い出してみる。





 これは、うだつのあがらない大学生の俺に厄介極まる同居人ができる話。そして、まだ知らないが色々あって友人になる話。そして……、口に出すのもこっ恥ずかしいが、『恋人』ができる、そんな話だ。


 ちなみに全員同一人物である。


 さらに言うなら『人』物ではないのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る