第18話 役員集合

 卓球を終えたと思えば、変装して友人の試合を観戦しに行ったり、審判をしたり。

 果てには陸と大雅のファン達から、なぜか円まで一緒になって逃げ回ったり。球技大会とは、こんなにも疲れるものだったろうか。

 ――疲れた。お腹空いた。信じらんない。てゆーか私、何であいつらと走り回ってたんだろう。冷静に考えれば私は狙われてないんだから、逃げる必要なかったのに……。

 走りながらそう気付いたのは、体力を大分消耗したあと。

 今は彼らと離れたために、ひと気のない体育館裏に座り込んでいた。

 ――結局、試合にならなかったな……。

 既に押していた進行が、取り戻すことができないほど決定的な遅れになっただけだ。

 おそらく今後再試合となるか、そんな時間もないため放棄試合となるか。

 一般的な放棄試合では非のあるチームの不戦敗となるが、この場合どうなのだろう。

 今回の一件は、どちらかのチームが一方的に悪いわけではない。

 邪魔をしてしまった観客に原因があると言えるが、止められなかった円も悪い。アクシデントにより人数を欠いてしまったという点では、陸も大雅も悪いということになる。

 両チーム不戦敗になるか、中断された時点まで勝っていた陸のクラスの勝利となるか。

 どのような決着になるのか分からないが、原因の一端を担った円にとっても、後味の悪い幕切れになることは間違いなかった。

 荒い呼吸を整えていると、突然胸元のストップウォッチが電子音を鳴らした。試合終了時間だ。

 慌てて止めながら、円は液晶にヒビが入っていることに気付いた。

「ウッソ……」

 もちろん私物であるはずもなく、返却すべき大切な備品だ。

 おそらく先ほどの騒ぎの際、何かのはずみで傷付いてしまったのだろう。

 まさに踏んだり蹴ったり。

 ますます疲弊した気持ちになって、円はがっくりと肩を落とした。



 気が進まなくても、事情は説明しなければならない。

 重い足取りで向かう先は生徒会室だった。

 ノックすると、誰何の声が返ってくる。名乗ればすぐにドアが開いた。

「円、大丈夫だった? 大雅達から生徒の下敷きになりかけたって聞いたよ。怪我はない? 今までどこにいたの? ファンの子達に絡まれなかった?」

「――かんな」

 移動する手間も惜しいとばかり、矢継ぎ早に質問をしたのはかんなだった。

 切羽詰まった顔を近付けられ、戸惑う円は咄嗟に 言葉が浮かばなかった。

「かんな。藍原が、困ってる。それに、そこで騒ぐと、目立つ」

 彼女を宥めたのは志郎だった。

 もっともな指摘に我に返ると、すぐに円を生徒会室へと招き入れる。

 丁度彼らは遅い休憩を取っているところだったようで、役員達が勢揃いしていた。陸も大雅も無傷なようで何よりだ。

 円を以前と同じソファまで誘導すると、隣に腰を下ろしたかんなが申し訳なさそうに口を開いた。

「ごめんね、心配で」

「ううん、ありがとう。それに変装道具も、本当に助かったよ」

 大嫌いな相手でもなければ、ひねくれた円からもすんなり礼が出てくる。

 逃走中に吹き飛んでしまいそうだったウィッグと黒縁眼鏡、そして綺麗に畳んだ大雅のユニフォームを、ひとまず無事に返却できてよかった。

「とりあえず私自身は怪我もないし無事、なんだけど」

「円さん!?」

 含みを持たせた言い方に過剰反応を示したのは陸だった。

 コンビニのサンドイッチを放り出して立ち上がると、書類棚やらローテーブルやら大雅やらにぶつかりながら、円の元へ歩み寄る。

 体当たりされた大雅は、いい迷惑だと言わんばかりに頬を引きつらせていた。

「円さん、無事だけどって何? どうしたの? もしかして何かまた――」

 嫌がらせのことを言うつもりだと悟った円は、咄嗟に陸の口を塞いだ。

「こんな大勢の前で恥かかせる気?」

「恥だなんて。円さんは何も悪くな……」

「私のプライドの問題」

 志郎には現場を見られているから仕方がないとしても、大雅や優心のように事情を知らない者だっているのだ。いじめられているなんて、絶対ばらされたくない。

 円は首から提げていたストップウォッチをおもむろに外した。

「無事じゃなかったのはこっち」

 陸から離れ、部屋の最奥に据え置かれたデスクに近付くと、ストップウォッチを置く。

 そこで絢爛豪華な重箱を広げていた颯哉は、液晶のひび割れにすぐに気付いた。

「問題になりますかね?」

 弁償などの懸念もあるが、一番避けたいのは両親に報告が行くこと。あれこれ事情を聞かれるのも、心配されるのも困る。

 僅かに顔を曇らせる円に、颯哉は穏やかな笑みを返した。

「君には非がないのだから、何も問題ないよ。心配しなくていい」

「本当に? よかっ……」

「そのかわり、第三グラウンドの側にある体育倉庫に予備のストップウォッチがまだあったはずだから、それを持ってきてほしい」

「…………」

 安心するのは早かったと悟り、円は中途半端な笑みを浮かべたまま固まった。

 まだ昼食にありつけていない状態で使い走りをさせようとは、彼は本物の鬼かもしれない。生徒会室にはおいしい匂いが充満しているのだから、惨さもひとしおだ。

 絶望感からか空腹感からか分からない目眩を堪えていると、陸が再び近付いてきた。

「円さん、僕も一緒に行くよ。こんなことになった一因は僕らにもあるし」

 彼の言葉に口を挟んだのは大雅だ。

「オイ。共同見解みたいに言ってるけど、俺は少しも悪いなんて思ってねぇからな?」

 非難がましく円を睨みながらカレーパンをかじる彼のデスクには、既に空いた大きな弁当箱が置かれていた。

 さらにあと二つほどカレーパンが用意されていて、食欲に驚くべきかカレーパンへの執着を怖れるべきか悩むところだ。

「むしろ、女共の群れに俺らを蹴り飛ばして逃げてく後ろ姿を、俺は一生忘れねぇぞ」

 心当たりのある円は内心ギクリとした。

 一人で逃げた方が安全だと気付いた時、より確実に逃げ切るために陸と大雅を囮に使ったのだが、騒動が終わってもしっかり覚えていたらしい。

「偶然足が当たっただけよ。あの時は、カツラが飛んでかないように必死で押さえてたから、自分がどんなことしたのかあまり覚えてないのよね」

「偶然であんな力一杯蹴られて堪るかよ! つーかカツラって言い方はよせ、そこはデリケートな問題なんだぞ!」

「今の要点はそこじゃないし、そもそもあんたは誰の目線なのよ?」

 切実なのは彼の頭部だろうかと疑惑に満ちた視線を送っていると、大雅は守るように頭を隠した。

「お前みたいな足癖悪い女は初めて見た! 性格悪いのは知ってたけど普通蹴るか!? 人として! お前に足りないのは優しさだと思ってたけど、モラルもスッカスカだな!」

 恨み言をグチグチと言い募る大雅に、円はついに舌打ちした。

「……小さい男」

「お前、それは逆ギレだからな!?」

「そもそも巻き込んだのは僕らなのに、大雅は女々しいよね」

「何で陸がそっち側につくんだよー!?」

 藍原姉弟に振り回されてほとんど発狂寸前の大雅は、髪を乱暴に掻き乱した。

 あんなことをして頭頂部のダメージは大丈夫なのかと、他人事ながら心配になる。

 前世からの友人をサラリと無視すると、義弟の方は足取り軽やかに歩き出した。

「さぁ、行こうか」

「いやいや、何しれっと一緒に行くことになってんのよ。やめて。本当に今度こそ金輪際近寄らないで」

 騒動に巻き込まれ、かなり懲りた。

 他人という体を装っていても接触すれば無意味なのだと、今回は思い知らされた。

 陸は人前だからか白々しいほど悲しそうな顔をするが、ここでなし崩し的に頷いてはいけない。たとえ捨てられた子犬のような物悲しい風情であったとしてもだ。

 頑として譲らずにいると、傍観していたかんなが不思議そうに首を傾げる。

「もしかして、あなた達って仲が悪いの?」

「いえ。仲が悪いわけではなく、円さんは僕を異性として意識しているだけです」

「どんだけポジティブなのよあんた信じられない誤情報流さないで」

 いい笑顔で嘘を垂れ流す義弟の暴挙に、思わず一息で否定する。

「えーと。体育倉庫から取ってきたストップウォッチは、第一体育館に置いてくればいいですよね?」

 そろそろ空腹も限界だし、こんなことで時間を潰していられない。円は颯哉を振り返って確認する。

「そうだね。バスケ部員の誰かに渡してくれれば、報告はいらないよ」

「分かりました」

 頭を下げて歩き出すと、素っ気ない態度にもめげず陸が付いて来ようとする。

 円はぎろりと睨んで彼を制した。

「だから、ついて来ないでって言ってるでしょ。忙しすぎて食べてる暇もないくせに、私に構わないで」

 きっぱり突き放してドアに手をかけた時、家から持参したであろう弁当を黙々と食べていた優心が口を開いた。

「――なるほど。円さんはとっても恥ずかしがり屋さんなんですね」

 生徒会室が一瞬で静まり返る。

 誰もが食事の手を止め、ニコニコと微笑む優心を凝視していた。

 まず吹き出したのは颯哉だった。

 そこからは塞き止められていた水が一気に噴出するように、大雅とかんなも笑い出す。優心はきょとんとしていたが、志郎まで肩を小刻みに揺らしていた。

「円さんは、やっぱり可愛い」

 陸に至っては、デレデレに笑み崩れて世迷い言を口にする。

 一体なぜ、笑われているのか。円は居たたまれなくなり急いで生徒会室をあとにした。


 ……このあとに待ち受けるトラブルなど、想像すらしないで。

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