転生して宿敵と義姉弟になるパターンのヤツ。

浅名ゆうな

本編

第1話 最低最悪の出会い



 ――――沈んでいく。

 ゆっくりと、深淵に吸い込まれるように。

 最後に見た、大嫌いな男の顔を思い出す。

 春の青空のように鮮やかな瞳が見開かれ、絶望に染まっていくのを。

 馬鹿な男。

 人を助けて。助けて助けて助けて助けて。

 誰からも慕われ、愛された男。

 まるで自分の意志なんてないみたいに奉仕し続ける姿が、欺瞞に満ちたその生き様が大嫌いだった。

 あの男をいつか打ち倒してみたかった。それは、心残りだけれど。

 次第に小さくなっていく光を見つめながら、ラティカは口端を上げる。

 情けなく歪んだ顔を思い返して、ほんの少し胸のすく気分になりながら、ゆっくりと目蓋を閉じた。


  ◇ ◆ ◇


 桜木円は眠りから覚めると、素っ気ない嘆息をこぼした。

 幼少から幾度となく見続けた夢に、当初のような違和感はほとんどない。前世の自分の死に際だ。

『ラティカ』としての生を思い出したのは、小学校に上がったばかりの時だった。ただの『夢』ではなく『前世』とはっきり意識した途端、一気に『記憶』として溢れてきた。

 あまりの情報量に頭が痛んで破裂しそうになり、何日か寝込んで母親に心配をかけた。

 どうやら『ラティカ』は、『桜木円』として転生したらしい。

 混乱が全くなかったと言えば嘘になる。

 荒みきったラティカとしての一生を思い出せば、なぜ生まれてしまったのかと叫びたくなった。ラティカの存在を唯一許してくれた養い親がいないのに、生きていたくないと。

 けれど幸いなことに、今生は血の繋がった家族に恵まれた。前世と現世の乖離に混乱するラティカを、たった一人の身内である母が、優しく受け止めてくれた。

 そうして少しずつ感覚を擦り合わせていく内に、『ラティカ』は無事『桜木円』となったのだ。

 ひねくれていたり同年代と話が合わなかったり、若干前世の影響は出ているものの、おおむね問題ない。むしろ正直に打ち明けた母には、前世を思い出す前から皮肉屋だったと指摘されてしまった。

 母の祐希奈は、よく言えばおおらかな性格だった。

 前世という世迷い言をのたまう娘を否定したりせず、笑って頷く大雑把さがある。

 父との離婚原因が娘の奇行にあったとしても、責めもせず恨みもせずに円の手を引いてあっさり家を出るような母。

 円は幼い頃から、そんな彼女を守って生きていこうと決めていた。

 けれどこの度、その役目を返上することになった。もうすぐ『桜木円』は『藍原円』になるのだ。

「円ちゃん、本当に制服でよかったの?」

 祐希奈は唇を尖らせ、隣を歩く円を横目で睨む。

「いい年なんだから、拗ねても可愛くないよ。お母さん」

「失礼ね! まだ三十六歳だし、慶一郎さんは可愛いって言ってくれるもん!」

「『もん』って」

 アイタタ~、な母の言動に頭痛を禁じ得ない。もしや、再婚相手の前でもこのノリなのだろうか。

 祐希奈から再婚したいと打ち明けられたのは、実に半年も前のことになる。

 お互い大きな子どもがいるということで、慎重な話し合いが何度も重ねられた。

 そしてこの秋、めでたく籍を入れることになったのだ。

 今日は、新しく家族となる全員が集う、初めての顔合わせの日。

 敷居の高いホテルのエントランスは、吹き抜けの天井に荘厳なシャンデリアが飾られている。贅の凝らしように、まるで魔王の宮殿のようだと冷めた心で思った。

「わざわざ着飾ったって無意味でしょ。たった一回の会食のために一張羅を買うくらいなら、私は制服で十分」

 顔合わせが行われる場所を知った母は、円にもっといい服を円に着せたがった。

 それが虚栄心でなく、シンプルな服を好む娘を着飾りたいという欲求から来ていると知りながら、円は素知らぬふりで毒を吐く。

 けれど、どんなに子どもっぽく振る舞ってみせても、そこはやはり母親。円の考えなどお見通しで意地悪げに笑った。

「ホント、意地っ張りなんだから。これから家族になる相手に見栄を張る必要ないって、素直に言えばいいのにね」

「はいはいオバサンは深読み好きだね」

「オバサン!? 事実だけど娘に言われると何か傷付く!」

 プンスカ怒る母をまるごと愛してくれる人が見つかって、本当によかったと思う。円からすれば可愛い人だけれど、他人からすればいい年して可愛い子ぶったオバサンだ。

 再婚相手は、口癖のように『可愛い』を連呼する人らしい。ノロケ話としてそれを聞かされた時、円は心から安堵した。

 その人は、しっかり祐希奈の内面まで愛しているのだと。

 お相手の藍原慶一郎という人は、母より十歳年上で、とても穏やかな人柄らしい。写真を見せてもらったが、昔はさぞや言い寄られただろうと思われるいい男だった。

 出会いは、母が看護師として勤める病院。

 何と慶一郎はそこの院長だというのだから、有り体に言えば玉の輿だ。嫉妬を買わないようコツコツこっそり愛を育んだ、というのも祐希奈の談だ。

 交際期間はおよそ二年。年齢を考えれば十分な長さだろう。

 あとは円が彼の息子と仲良くなれたら、晴れて大団円といったところか。

 元来人嫌いな上、一つ年下の十五歳だという年の近さだけでやり辛さを感じる。正直、なるべく関わりたくないというのが本心だ。けれど苦労をかけてきた母を悲しませたくないので、友好的に接すると決めていた。

 母いわく、慶一郎によく似たイケメンらしい。一番どうでもいい情報に涙が出そうだ。

 待ち合わせ時間の十分前に、ホテル内のレストランに到着した。

 有名な高級フレンチ店だ。

 開放的な大窓はホテルの中庭に面していて、趣のある庭園が広がっていた。喧騒から遠ざかると、大通りを行き交う車の音も聞こえなくなる。

 お昼が近くなり、ちらほらと客が入り始めている。その中でも一際目を惹く二人連れが、窓辺の最も眺めのいい席に座っていた。

 年嵩の男性が、入店した親子に気付いてすぐに立ち上がる。

 愛情に溢れた瞳で祐希奈を見つめるのは藍原慶一郎だ。隣の少年も合わせて席を立つ。

「すいません、お待たせしました」

「いいえ。僕が楽しみすぎて、早く来てしまっただけですから」

 まるで付き合いたてのカップルのようなやり取りを交わす二人に、普段の円ならば皮肉の一つや二つ、言っていたかもしれない。

 だが今はそんな余裕もなく呆然と立ち尽くしていた。呼吸さえ忘れて、慶一郎と並ぶ少年を見つめる。

 少年も、円だけを見つめていた。けれど彼の瞳には驚愕など浮かんでおらず、余裕すら感じられる。

「――――もしかして、僕の写真を見せてもらってなかった?」

 張りのある澄んだ低音で、少年が呟く。目の前の恋人に夢中な大人二人は聞こえていないようだ。問いを向けられているのは、間違いなく円。

 息子の写真は見ていなかった。それは興味が一欠片も湧かなかったことが理由なのだが、今となっては悔やまれる。

 この男が、僅かでも自分より優位に立っているという現状が許せない。

「嘘でしょ……」

「初めまして、藍原陸です」

 差し伸べられた手を叩き落としたくなる衝動をグッと堪える。柔和な笑みを浮かべる藍原陸は、まさしく好青年だった。

 背は高いのに顔は作り物のように小さく、手足もすんなりと長い。絶妙なバランスといい栗色の髪といい、外国の血でも混ざっているのかもしれない。

 気品ある端整な顔立ちと爽やかさが相まって、まるで王子様のようだ。

「あら、円ちゃん緊張してるの? 陸君がイケメンすぎて驚いてるんでしょ~」

 子ども達のやり取りに気付いた祐希奈が、的外れなことを言いながら腹立たしい笑みを浮かべる。

 円は決して、美しさに見惚れたわけじゃない。誰からも慕われるような偽善的な笑みに、至極見覚えがあったからだ。

 前世では、太陽のごとく明るい金髪と、春空を溶かしたような青い瞳をしていた。まだ十五歳だから幼い印象を受けるが、造作には寸分の狂いもなく。

 人を助けて。助けて助けて助けて助けて。

 最後には宿敵とも言える魔族の養い子……『ラティカ』を助けるために自らの命まで投げ打った、大嫌いな男。

 彼との思い出の数々が、奔流のように甦ってくる。頭がズキズキ痛んだが、円は倒れることをしなかった。

 本能が叫んでいた。この男の前で、弱味をさらす訳にはいかないと。

 ――――勇者ルイス。

「そんなに睨まないで。……これからよろしくね、お義姉さん」

 前世から全く衰えない美貌で、藍原陸と名乗る男は意味深に目を細めた。

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