脳
@mt_tm
第1話 家族
私には父、母、兄の居る側から見れば普通の4人家族。父と母は共働き、兄は6つ上。本当にごく普通の家族構成だと思う
幼少期の記憶が今でも鮮明に憶えていて消し去りたくても忘れる事も出来ない…
人間に与える衝撃とはこんなにも憶えているんだと、脳に感心し、これから書き留めるのは私の脳の記憶
母は朝早くから仕事がある時、小学生の兄と保育児の私を連れてまだ開いてない保育園に向かう。兄と私を保育園の前に降ろし、母は仕事に行ってしまうのだ。
保育園の前で少しの間、兄と段差の少ない階段でジャンケンをしたり兄が遊ぶゲームボーイを眺めたりして時間を潰した。
兄は小学校に向かい、私は保育園が開くまで1人で先生が来るのを待って他の子とは違う玄関から保育園に入り、友達がお母さんと一緒に来てるのを見ていて、その時だけいつも時間が止まり変な気持ちになる。
保育園に迎えに来るのは自転車に乗った兄。
帰る時周りを見回し、お母さんが迎えに来て嬉しそうな顔の友達を見ていて、これもまた変な気持ちになりながら兄の背中に目を向け家に帰った。この頃兄が乗っていた自転車は後ろサイドにカゴが付いてる錆びまくっててどこに売ってるの?!って思うぐらい変わった形の自転車だったな。
県が管理するアパートで部屋は3部屋、私の部屋はなく、4人では少し窮屈な感じだが私はこの窮屈な感じが好きだった。
私の父は気性が荒く、よく母と喧嘩していた。台所と居間を挟んで口喧嘩はしょっ中で、父が堪らずちゃぶ台返しをして私に味噌汁がかかって喧嘩が収まる…。母はよく「あんな人間になったらダメ!」と口癖のように兄に言っていたように思う。私には何故かそんな言葉がなかった。理解できる歳ではないと思ってたからなのか…でもいつも親の喧嘩で心がきゅーっとする嫌な感じが大人になった私を今も苦しめるんだ…。
そんな親を見てるからなのか、兄は小学生の頃から凄かった。。欲しいゲーム機を買って貰える訳もなく、朝の新聞配達のバイトをして自分でゲーム機や欲しい物は全て自分で買うスーパー小学生。
私は新聞配達をしてきる兄の姿を一度だけ見た記憶がある。変わった形の自転車で新聞配達をしている後ろから母が車で着いて行く。私は母が出て行く時に起きてしまい離れるのが嫌で一緒に着いて行ってしまったからたまたま見たのだ。何故車に乗せてあげないんだろうって思ったが小さな私は早朝には勝てず車で寝てしまったんだ。
この時の母はどんな気持ちで車から見てたんだろう…
今はもう二度とあなたの口から答えを聞く事はできないのだけれど
私が小学生になり、兄が中学生になると兄が
私と一緒に居るのが嫌なのか友達と遊ぶ事が増えたり部活ばかりで離れて居る事が増えた。この頃からあまり喋らなくなった。
お兄ちゃん子の私はこの時凄く寂しかったんだ。
母から「出かけるよ」と言われスーパーかと思いきや花屋さんに来ていた。
花屋さんの2階に連れてかれ、部屋を見ると大きなグランドピアノがそんなに広くはない部屋にドシッと置かれていた。
「今日からあんた、ピアノ習うのよ」
逆らう事は出来ないので、好きでもないピアノを習い始めた。似た様な事が続き、
「今日からここで習字習いなさい」
「今日からそろばん習いなさい」
「今日から算数苦手だから〇〇式習いなさい」
…全て私の意思ではなく強制の始まりだった。
親としてなのか、子供の為になのか、はたまた私ができ損ない過ぎたのか、何をしても全く楽しいと思えないままやらされた。
今思えば月謝どうやりくりしてたんやろ
学校が終わっても習い事が多く正直な話し小学一年の時友達が居た記憶がない。女の子特有のお人形遊びをした事がない。もちろんバービー人形やリカちゃん人形なんて買って貰える訳もなく、持ってない恥ずかしさで避けてたのもあるかもしれない。
私のお人形はグレイ色のウサギ。布でできたぬいぐるみなのに一緒にお風呂に入れたりしてたからくたくただった。
『私の将来の夢はうさぎさんになること。』って言ってるぐらいうさぎが好きだった。
幼少期の私大丈夫?って思うよ。
でもね、今の私はむしろうさぎがとても苦手。赤い目のうさぎが泣きはらした目に感じに見えて苦しくなるから…
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