鬼灯【物リン】

東雲 彼方

壱・情報交換

 ヒュオオ……と吹く霜月の風。花咲町このまちの人間であれど、あまりの寒さに身を縮めるであろう空気の流れは、異国の地からやって来た言隠コトガクレ ウタには中々に厳しいものであった。


「寒っ……」


 濃紺のマフラーに顔を埋めても寒さが凌げる訳ではない。貰い物ではあるが、このカーキのモッズコートが無ければ死んでいた気がする。まぁ、生まれ育ったスラム街で越す冬に比べれば大したことはないが。日本であるならば、朝起きたら隣に寝ていたヤツが凍死していた、なんてことは滅多に無いだろうし、寝ていただけで殺されるなんてことも無いだろうし。つくづく平和ボケした国だよな、と感じる。それにしても、


「雑念が多過ぎんだけど……煩いな」


 天気の話、流行りのファッション、取引先からの電話、今日の夕飯――各々がそれぞれ勝手なことを口にする。ヒトから発せられた言葉、というのは全て嫌でも耳に入ってきてしまう。嫌な能力だ。基本的に役に立つもので、自分の都合の良いように解釈が出来る能力ではあるのだが。この一点だけはどうしようもなく厄介なのであった。ま、良薬口に苦しだなんて言うし。強い薬程副作用もまた強い。これと同じだろう。


「――ッ」


 嗚呼、忘れていた。はもう一点。首から口の横にまで伸びた、限りなく黒に近い深緑、タトゥーの様な植物の模様――これは異能力の代償。首枷、そして口枷である。この蔦の模様が時々ジクジクと痛むのだ。年々拡がっていくこの枷が心臓にまで届き蝕まれた時、俺は死ぬのだろう。現に模様の届いた右の頬は上手く動かせなくなっていた。笑顔を作ろうとすると右側だけ引き攣って汚い顔になる。

 然し……本当に煩い。嫌な言葉を聴かないようにすることも出来るのだが、それはそれで体力を使うし、何よりもこの模様が拡がってしまう。まだ死にたくない。いや、死ねない。数年前に姿を眩ませた姉、春咲ハルサキをまだ見つけられていないから。血の繋がりこそ無いが、物心ついたときから傍に居た姉。その存在が突如消えた、その恐怖が解るだろうか。


 そんな事を考えていたら待ち合わせの場所に着いていたようだ。流石田舎とはいえ地方都市、駅前の人の流れは平日の昼間でも途切れることは無かった。渡されたスマホで時間を見ると、現在午前10時20分。時間まで10分はある筈だ。さて、何をして時間を潰そうか……。


「きみにしては珍しく遅かったのね」


「伏見――居たのならもう少し存在感を出せ」


 黒縁眼鏡の下から覗く、猫のような鋭い視線から逃れるように目を逸らす。この目付き、苦手なんだよな。なんか、全てを覗かれていそうで。


「お前、んだよな? 既に何か盗られてそうで怖い」


「――あたしだって、仕事じゃなきゃこんなの使わない。まぁいい、こんなとこで話すのも内容が内容だし、事務所にでも移動しましょう」


「ああ」



 ***



「珈琲は?」


「好きじゃない」


「じゃあ紅茶しかないけど」


 伏見の勤める事務所は酷く殺風景だった。それもその筈、原因はの直後に起きた事件、『空気圧』。あれで飛散した窓硝子こそ片付けられたものの、全てが元通りという訳ではない。今は一時的に別の場所を間借りして運営しているらしい。


「さて、本題に入ろうか。今日あたしを呼びつけたのは、何で?」


 そうだった。俺がこいつに連絡を取ったんだった。だがまだ紅茶を飲んでる最中だ。話には答えられん。


「……失礼じゃないかな。呼びつけておいて質問には答えないつもり?」


 片手を前に出し、目の前の茶髪の女を制止する。そしてコイツに借りてるスマホのメモアプリに数行書いてそのまま見せた。


『俺の育った場所では、飲食が終わるまでは一言も口を利いてはならない。後でちゃんと話すから少し黙ってろ』


 眉間の皺は取れない。まったく、こんなだとババアになる前にシワシワになるぞ。言ったら殺されるから言わないが。

 白いカップに残った最後の一滴を飲み干し、漸く本題に入った。


「ご馳走さま」


「はいはい……ほら早く言え」


「そう急くな。ところで伏見、『空気圧』の正体って、知ってるか」


「え」


 伏見は一瞬、何を言われたのか分からないといった風にカップを片付けながらポカンと止まって、その後目を見開いて此方を振り向く。


「知らない、知ってたらとっくに動いてる」


「……多分、『空気圧』の方の黒幕に会った」


「はぁ?!」


 あの事務所を破壊した事件、『空気圧』。文字通りその黒幕に会ったのだからそう言っているのに。伏見はダンッと机に手をつき身を乗り出す。


「え、ってことは『花の日』の黒幕に、ってことか?!」


「ああ、言っとくが、『花の日』と『空気圧』は無関係だぞ。とりあえず『空気圧』の方の黒幕は見付けた。だが『花の日』の黒幕は別に居る」


『空気圧』自体は『花の日』の直後に起こったもの。だが然し、一見そこに存在しそうな因果関係は存在しない。何故なら――、


「『花の日』は十年前にも起きてるんだろ、違うか?」


「そ、それは……」


「おい、嘘は吐いてもすぐ分かるからな。その反応から察するに十年前にもあったんだろう。そう仮定したとき一つの矛盾が生じる。何故十年前には起きなかった『空気圧』が、今回だけピンポイントでお前の事務所を狙ってる?」


 正直これ以上何か情報を提供するつもりは無い。然しこれは伝えておかねば事態は悪化するのみであろう。暫くの間沈黙が殺風景な空間を満たす。


「ちょっとまだ信じ難い事だが……ところで、その『空気圧』の黒幕とやらは今何処だ」


 ああ、そうか。


「吐けっつったのに抵抗しやがったから、情報を抜くだけ抜いて殺した」

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