【38】ご紹介

 コール音が五つほど続いたので切ろうと思った矢先、繋がった。開口一番、ごめんね、と聞こえてくる。彼は気にしないでくださいと答えてから、大丈夫ですかと問いかけた。

「部屋から出てたんだ。もう大丈夫だよ」

「すみません、わざわざありがとうございます。部屋と言うと、横塚の、ですか?」

「うん、そう。まだみんないるからね」

 電話に出たのはあの先輩だった。

 聞こえてきた柔和な声音。少し上がった息遣い。疲労を思わせる間。先輩が何をしていたのか、またどれほどの時間をかけていたのか。考えた彼は言葉を飲んでしまった。

「えっと。なにかわかった、のかな?」

「……あ、はい」

「良かった。僕も話がしたいなって思ってたんだ。横塚くんのことね、きみも心配だと思うから、僕が先に話していいかな」

 先輩の声音に誘われるまま、彼はついていく。

「ずっと横塚くんに寄り添ってみんなで話をしてたんだけどね。本人にはどうしても話したいことがあるみたいなんだ。でも、いざ、となると固まってしまって、その繰り返しで、ええと、え? もうこんな時間?」

 時計を見たのだろうか。すでに陽は落ちきって、夕飯時が近づいている。踊り場で先輩と別れたのがお昼前だったことを考えると、相当の時間を横塚に費やしていたことになる。その自覚すらないまま、先輩はそこにいたのだろう。

「お疲れ様です。やはり、まだ?」

「うん。でもね、本人の気はしっかりしてるんだ。会長とも顔を合わせたし、加賀見くんともあとで話をってことになってる。少し心配だけどね」

「そうでしたか。それを聞いて安心しました」

「さすがは生徒会役員ってところかな」

 疲労の色が多少ありながらも、会話を続ける先輩の声音は明るいものだった。彼が思っていたよりも横塚の状態は悪くないらしい。

 ならば事態を良くする材料になるかもしれない。先輩が、じゃあきみの話をお願い、と渡してくれたので彼はすらりと語った。

「先輩が電話を繋いでいてくれたおかげで、わかったことがあります。明日、理事長が脅迫者を排除します」

「んっ? え、ちょっと……ちょっと待って。どういうこと?」

「すみません、順を追って説明しますね」

 要約しすぎた。混乱する先輩を電話口に感じつつ、彼は理事長との長い会話を回顧し、伝えたいことを抜き出して選んだ。その際ひとまず、個人名は避けた。


 はじめに、テストの盗難が教師による自作自演であること。明日には理事長がその教師を追求して排除することを話した。その次に、理事長が紹介したい大切な人だと説明した。

「いろいろ突然すぎてまだついていけていないんだけど、きみが言いたいことはわかった」

「すみません。横塚の負担が減る情報だと思ったので話をさせてもらいました」

「うん。まさか、先生が犯人だとは思わなかったし、きみの後ろにいるのが理事長だとも思わなかったよ。そうか、そうなんだね……」

 先輩にしてみれば降って湧いた大きな情報である。噛み砕くまで時間を要するのは仕方がないので、彼は手元にあったペンを二回ほど回して待った。

「その……先生が誰かっていうのもきみは知ってるのかな」

「はい。必要であればお教えします。月曜日にはいなくなっているのでわかることになりますが」

「そうか……いや、こういうの、おかしいとは思うんだけど……」

「なにかありましたか?」

 言葉を選ぶように、躊躇いがちに、慎重に。先輩の様子はいつもの明晰な口振りとは違っていた。彼は新たな不安を抱える。

 もしかして、犯人を突き止めることが必ずしも解決に繋がることではないのかもしれない。例えば、高井教師と生徒会の間に強い絆が結ばれており、何らかの事情があって高井が自作自演したのだとしたら。高井の排除は解決どころか、全く逆の結果を招く場合も考えられる。動機がわかっていない今、悪意を悪意として認識することすら危ういのかもしれない。

 不安を抱えながらも彼はそれを口にはしなかった。言い淀む先輩の発言をしっかりと待った。それは、理事長から注がれる信頼を覚えているからであり、彼自身が先輩を信頼しているからだ。

 もし、自分の行動が誤っていたのなら、この先輩は指摘してくれるだろう。そこには確信があった。


「ごめんね。これは僕の印象なんだ。だから正解かどうかはわからない。でも、言わせてもらうと……横塚くんの声が出なくなった原因は、脅迫じゃないのかもしれない」

「えっ……それって、どういう……」

 先輩の発言は予想外だった。

「勘違いしないでね。脅迫があったのは確かだよ。そのストレスが横塚くんの声を奪ったのもね。でも、会話を試みているうちに、なんていうんだろう……難しいな」

 脅迫者の存在が横塚にとって脅威だったのは間違いないらしい。

 彼の危惧は杞憂に終わったようだが、先輩が慎重になっている理由は脅迫者だけではないということだろうか。

 説明の難しさ、どこまで話していいのかという葛藤が電話の向こうから伝わってくる。

「会話を試みて感じたのは、脅迫に対してそんなに怯えていないんだなってこと、かな」

「怯えていない、ですか」

 時間をかけて声なき声に耳を傾けていた先輩は、抱いた印象に確たる自信を持てないながら、彼に言葉で伝えることによって整理をしているようにも聞こえた。

「途中、会長が無遠慮に脅迫相手のことを聞いたりしたんだ。ストレスに直接触れるのは危険なんだけど、横塚くんからの拒絶は弱かった。安心したけど、うん。違和感があったかな」

「確かに、変ですね」

「うん。まだわからないことが多いから、時間をかけて問いかけてみるよ」

 そう言った先輩の声は穏やかだった。

「さっきは脅迫が原因じゃないって言ったけど、脅迫者がいなくなることで横塚くんの心は軽くなるはず。それに、僕の印象が正しいとは限らないから、きみはきみのやることを続けてね」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」

「こちらこそ」

 恭しくも凛々しい仕草が脳裏を過ぎる。埃っぽいあの場所で話をしてからおよそ半日。彼の中に現れる先輩の姿はずいぶんとくっきりしてきた。くずおれる横塚のそばに添うその姿も、きっと頼りがいのあるものだろうと想像に難くない。

「横塚にとって先輩が居てくれることは心強いと思います」

「そう、かな。きみにそう言ってもらえて嬉しい」

 笑みが浮かぶ。美少年という形容では足ることのない、優しい笑顔が脳裏に見える。彼も笑った。

「俺も手伝います。表立って、は難しいですけど」

「うん、わかってる。バックに理事長がいるんだもんね」

「その言い方は、ええと……」

 途端に子供っぽい口調へと変わった先輩の攻撃は、彼にクリーンヒットした。焦燥を漏らすと、先輩はごめんごめんと軽く続けた。

「でも、先生が犯人ってことよりそっちの方がびっくりだよ。きみ、一体何者なの?」

 脅迫者の暴露から、彼に対する追求へと話が移った先輩に緊張感はない。声色が一段と鮮やかに、瑞々しく響く。彼も一辺倒に答えるのではなく、口調を砕いて笑った。

「ただの一生徒ですよ。理事長は学校の運営はできますが、教育面では学校の職員に任せるしかありません。だから動かせる駒が必要なんです。理事長の指示に従っていろいろしていますよ」

「いろいろ……それ、僕に言ってよかった?」

「はい。理事長に確認は取りました」

「そういう意味じゃないんだけどなぁ」

 クスクスと呆れた柔らかい笑声のあと、あ、と何かを思いついたような声を漏らし、潜めた。

「きみのその、いろいろ? 僕以外、誰か知ってる……?」

 質問をしておきながら、その言葉尻は消え入るように小さく、彼の返事を恐れているようにも聞こえた。

 その気配に一瞬の躊躇いを感じた彼の間を埋めるため、先輩の声が続く。

「あ、あの、言えないならいいんだよ。うん」

「……いえ。俺と同じように理事長に従う駒は何人かいて、互いに協力しています」

「あっ……そ、そうだよね! いるよね!」

「でも、事情を知らない相手に俺から協力してほしいとお願いしたのは先輩だけですよ」

「……それ、ほんと?」

「はい」

 しばし、電話の向こうから声は聞こえなかった。ただ、風を切る音がかすかに届いたため、彼は笑いをこらえた。

「きみ、聞こえてるよ」

 どうやら、喉の震えはこらえきれなかったらしい。

「すみません。明日以降、動きがあればまたご連絡をと考えているのですが、大丈夫ですか?」

「うん。今日はもうこんな時間だし、戻ったらご飯でも提案して……また明日もここに来ることになるかな。携帯は常に気をつけておくよ」

「よろしくお願いします。難しいことだとは思いますが、がんばってください」

「もちろん。きみも、がんばってね」

 じゃあ、と優しい相槌が遠ざかり、電話は切れた。未だ横塚の傷がそこにあることを確認しながらでも、暗いばかりではないと先輩が教えてくれた気がした。


 トラブルは終わっていない。自分に何が出来るのか。彼は改めてトラブルの経緯をまとめるため、ノートへ向き合うことにした。

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