【12】風紀委員長と生徒会長の会議、ほか

 放課後。外からは運動部の声が届く。特別棟は部活棟のすぐそばにあり、運動部が練習をするグラウンドやコートもまた近くに併設されていた。大会に出場する部が多く、結果はどうあれ活動は盛んであると言える。

 まだ日は高く、冬が遠いことは残暑が示すところ。はつらつとしたかけ声に覇気はあるものの、もうしばらくすればそれらはずっと小さくなる。そんな様子を窓の下に眺めながら、彼らは会議を進めていた。

 特別棟二階、奥。各委員会の部屋が並ぶ中にある一つ、風紀室。主に資料保管として使われるほか、風紀幹部による会議や規則違反者に対する聴取などに使われる。造りは生徒会と同じく、机の数が違うくらいの差だった。

 その部屋に現在詰めているのは主である風紀委員長、そして生徒会長の二人。向かい合わせに並べた机が四つある内、委員長は自分の席に着き、会長は扉に近いはす向かいの席に着いていた。

 空気はきわめて軽い。会長がいらだちを隠さず指先で机を鳴らしてしまう程度には。

「言っておくけど、気付いてるよ。お前たちの仕事じゃないってね」

 歌でも口ずさむかのように、委員長は言い放った。事務椅子にだらりと体を預け、肘おきに立てた腕はふらふらと空を泳がせる。規定通りに着られた制服すら、その態度が台無しにする。短く刈り上げた髪、精悍な顔つき、スポーツマンらしい見た目とは裏腹にその性格はずいぶん飄々としたものらしい。一見邪気のない笑顔を見せながら、その口は辛らつな言葉をつらつら並べたてはじめた。

 会長は苦々しい顔をして、それを聞く。

「だってさ、全然違うんだもの。早さも質も量も。オレとしては仕事が捗って助かったし、風紀としても見直しちゃったと最初は思ったよ。でもさあ」

「なんだ」

「おっかしいんだーこっちが提出しなきゃなんない資料なしで書類完成しちゃってるんだもの。それってつまり、ここにも勝手に入ってるってことなわけ」

「本当か、それ」

「書類見たらわかるでしょうが! オレが知ってる会長はもっとしっかりしてなかった?」

「……」

「何にかまけてたかなんて今更言わないけど、けっこう大変なことなんだよ、今の状態」

 ぎしり。委員長は勢いをつけて椅子から飛び降りた。そのまま軽い足取りで窓際に寄ると、カーテンを開けて眼下を覗く。残暑にばてた運動部員が手足を投げ出し休憩していた。

「その、生徒会準役員ってのは理事長の差し金なんでしょ。つーまり、理事長は全部お見通しってわけだ。オレが今こうして陸上部のさぼりを眺めているのと同じでさ」

「……」

「じゃあオレはこのさぼりをどうするのか。見ているだけ? ちゃんと顧問に伝えなきゃいけないよね? 風紀委員長としてそんなの当たり前だ」

「何が言いたい?」

「理事長は理事長として、何をしたかってこと」

「今言っただろう。準役員を指名して仕事をさせた」

「その意図がなんなのか、考えないわけ? まさか、理事長が生徒会の尻拭いをしてくれた、なんて思わないよね?」

 委員長の軽い調子もここまでくると多少冷たいため息が混じる。開いたばかりのカーテンを早々に閉じ、再び自分の席に向かった委員長は、机の真ん中に置いた紙の束を取り上げるとそのままはす向かいの席にぐいと差し出した。それほど枚数はないため、くたりとよれる。

 身を乗り出すようにして受け取った会長はすぐさま目を通した。そして眉をひそめる。

「ご存じの通り、オレたちがいる特別棟にはオートロックの鍵がついてる。カードキーで開くわけだ。で、出入室記録が残されると」

「こんなもの見せてどういうつもりだ」

「昨日取り寄せた、この一ヶ月の記録。生徒会メンバーはもちろん、いっさいの記録がないよね。紛れもなくお前たちが仕事をさぼっていた証拠だ」

「てめぇ」

「怒るとこじゃないよ。記録がない、それっておかしいんだ」

「……」

「準役員は必ず生徒会室に入ってるはずだ。ほかの場所で仕事するにしたって、まずは生徒会室にあるデータが必要だからね」

「改竄されてるってことか。理事長なら簡単だろう」

「……徹底すぎるとは思わない?」

「てめぇは理事長をなんだと思ってるんだよ」

「強いて言えば、ラスボス」

「……あながち否定できないのが面倒だな」

 一枚目、二枚目とめくると生徒会室だけではなく風紀室をはじめとした特別棟にある教室のデータがそこに記されていた。そもそも特別棟に出入りするのは先生もしくは生徒会、風紀委員会の役職くらいで人数は少ない。データにはカード使用者の名前が並ぶ。細かく目を通さずとも、怪しい記録は見あたらなかった。

 苛立ちを覚えていた会長だったが、ここにきてようやくその感情を修正する。委員長が示した懐疑的な目線。理事長の難癖が大いに含まれた性格の向こうにある、意向。

 委員長は新たに書類を取り出した。その手つきには今までにない緊張感があり、それこそが今日の本題であると主張しているかのようだった。

「これは昨日、理事長に提出した報告書。手を打つ準備のために提出したわけだけど」

 書類を受け取った会長は、ぱらぱらと活字を追い、写真を確かめた。紛れもなく転入生とその同室者のロッカーが荒らされている現状が記されている。会長も知る経過と対策や、実行犯の情報。そういった事実のみが淡々と書き連ねられているが、最後だけは容疑者の名前が推測とともに並んでいた。会長も見たことがある名前。生徒会の親衛隊に所属する者だった。

 委員長は続ける。

「理事長は今のままで一週間、様子を見るように指示した。まあね、表沙汰にしたくないから、そういう判断なんだろう」

「含みのある言い方だな」

「オレは進言したんだ。必ず悪化するから、早めに手を打つべきだって。なら、なんて言ったと思う?」

「わかるか」

「一週間、待て。犬じゃないんだから、なんて言い返したりはしなかったよ」

「……まるで、一週間で片を付けると言わんばかりだな」

「だよねえ」

 ぎしぎしと椅子を鳴らしながら、委員長は体を揺らす。考えに耽るときの癖なのか、肘置きの上で手のひらがふらふらと遊んでいた。

 委員長が積み立てる憶測を、会長は書類を眺めながら聞く。

「たとえば。とっくにいじめのことを知っててもう手は打ってあるとか」

「それにしては遅いだろう」

「じゃあ、例の準役員を使って解決するとか」

「準役員が一人じゃないなら、人海戦術で解決するかもしれないな」

「もしくは。理事長は犯人を知ってる、とか」

「……知っていて泳がせておき、いざ犯人捜しが始まれば捕まえるってことか」

「それもあるかもしれない」

「それ以外があると?」

「理事長が犯人」

 報告書に目を落としていた会長がぴくりと静止した。

「夏休みが明けてから学校の中はおかしくなってきた。自覚あるよね?」

「……ああ」

「台風の目は転入生だ。理事長にとってどうだろうなあ」

「いじめで学校辞めさせようってのか」

「真意はわからない。とにかく犯人を捕まえなきゃ」

「てめぇの言うとおり、理事長だったらどうするつもりだ?」

「そりゃあもちろん」

 にかっと邪気のない笑顔を浮かべた委員長は、やはり軽い調子で言葉を継いだ。

「風紀を乱したら、おしおきだよ」

 会長の呆れたため息が霧散し、委員長の乾いた笑いが響いたのはそのすぐ後だった。


 夜と言うにはまだ早く、ほんのりと夕焼けが残るころ。寮のエントランスは喧喧たる様相を繰り広げていた。ともすればつかみ合いの乱闘に発展しかねない、緊張と興奮が入り交じった熱。誰も彼もがその中心に目をやり、怒声の応酬に血を騒がせていた。男とはやはり豪快なことが好きであり、たとえ嫌いであっても見るだけなら心躍るものなのだ。

 もはや声は音になり、騒動の当人の言葉も野次も地団駄も拍手も何もかもがただ雑踏だった。 

 そのエントランスの奥。エレベーター付近に彼はいた。エントランス正面の奥にあるエレベーターホールにはエレベーターが五つ設置されている。四つは一般生徒用で、あとのひとつは生徒会と教師専用だった。しかし、教師のほとんどは麓の町に住んで通うことを選ぶため、使うのはもっぱら生徒会だけとなる。結果として生徒用の四つは盛んに動いているが、生徒会用のエレベーターはほぼ停止状態。そのポカリと空いた隙間に彼は立っていた。

 野次馬の波は勢いを増していく。彼もついさっきまでそこにいたのだが、とある怒声を聞いてから足早に退散した。人の波を逆走するのには骨が折れたが、ひとまず一般生徒が使うエレベーターまでたどり着いた。そこからはコソコソと手にしていた携帯電話を操作しながら人のいないスペースに収まった。

 そこで、その携帯が鳴いた。穏やかな着信音。すぐさまディスプレイを覗いた。

「はい」

「あ、僕。わかる?」

「はい。どうしました?」

 表示されていた名前は親衛隊。今朝の先輩だ。電話を通して聞く声は今朝よりずっと大人びている。

 番号の交換は今朝の別れ際に行った。いじめの存在を知る一人として繋がっておきたいという先輩の意志に添った形だ。まさかその日の放課後に電話があるとは思わず、彼は多少戸惑った。

「今朝のことを風紀に報告に行くんだけど、君も来てくれないかな。説明もしたいし」

「今から報告ですか?」

「うん、放課後に一日のまとめを報告するんだ」

「まとめを……。じゃあ」

「ん? なに?」

 彼は未だ盛り上がる喧噪に目を向けた。放課後。終業の鐘が響いたとき彼は誰よりも早く教室を出た。友人の呆れた顔に見送られ、逃走を図った。そしてエントランスの椅子を一つ拝借して隅を陣取り、誰の視界にも入らないようひっそりと息を殺して、転入生を待ったのだ。あの展開は彼の見届ける中で巻き起こった。

 ころころと転がる推論は、結論に形を変えて彼の中でどしりと落ち着いたようだ。電話の向こうで訝しむ先輩に、改めて問う。

「じゃあ、今朝のロッカーの状態を知っているのは、俺と先輩だけなんですね」

「うん、そうだよ。報告書を作ってるのも僕一人だし、今朝教室にはじめに入ったのが僕で君が二番目。そのことも報告しておいた方がいい」

「そうですか……」

「嫌、かな?」

「正直に言えば、嫌です」

「あははっはっきりしてるなあ。うん、わかった。きみが口外するとは思わないし。きみのことは報告しないでおくよ、安心して」

「助かります、ありがとうございます」

「礼を言うのは僕の方だ。ありがとう。それじゃあ」

 通話はあっけなく切れた。彼が思う以上に先輩は彼に対して信頼を寄せているらしい。少しは面倒なことになるやもと危惧したが、事なきを得そうだった。

 通話を終えた携帯電話をそのまま操作する。辺りはますます熱を帯びてきたようだが、彼はそれらを意識から排除した。たとえば、転入生の憤った声が同室者の友人を殴りつけ、負けじと反撃の句をたたきつけようとした友人を諌めたのは同室者で、もはや何について話していたのかすらわからない、周囲の者まで愚痴を吐き出すほどに混乱を極めていたのだが、彼はそっと通話をするように電話を耳にあてがった。


『――いわれもないいじめに遭ってる、今朝だってロッカーを荒らされてたんだ!』


 鼓膜に届いた怒声。その声の主は未だ発狂を続ける渦中の人。

「いじめを指示した証拠、より褒められるかもしれないな」

 かちり。彼はエレベーターのボタンを押した。


 騒ぎを止めたのは教師たちだった。寮長や風紀委員会が駆けつけ、生徒会などが顔を見せても声は大きくなる一方で、事態の収拾は大人たちの手によってようやく成し遂げられた。気付けば夜の帳は落ち、外で吹く冷たい風は秋の訪れを知らせている。寮では消灯の時間が繰り上げられ、生徒たちは自室に戻るよう指示された。

 これまでにも転入生を中心に騒ぎはなかったわけではない。生徒会や風紀委員会とのやりとり、親衛隊とのいざこざをはじめ、噂だけにとどめると話題はつきなかった。転入生がひとたび声を張ると、周りはまるで打たれた太鼓のように甲高く響く。とはいえ、実際に騒ぎを間近に見る生徒は当事者くらいだったのだが、今回は違った。噂として口にしていた想像は、現実に目の前で繰り広げられる。放課後のエントランスは生徒ならほとんどが通るために、転入生の声を聞いた者は今までより遙かに多い。噂が具現化し、転入生に対する感情はより具体的なものへと変容する。

 そのあとに訪れた静かな夜がやけにゆっくりと更けるのは、きっと誰しもが感じた、気のせい、だった。

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