【8】現場検証!


  翌朝。彼は寮の自室に備えられている簡易キッチンでパンを三枚焼き、牛乳で流し込んだあとに茹でた卵を頬張って手を叩いた。まだ日が昇らないうちから準備を整え、校舎の正面玄関が開く時間を見計らい自室を出る。調査の開始だ。仄暗い寮の廊下は、どこまでも静かだった。

 校舎までの道程でチラホラと見かけるのは、昨夜、作業員が言っていた真面目な生徒の姿。部活の朝練か、自習。数える程度が登校する中であれば、見張りを立てて下駄箱やロッカーを荒らすのは容易いだろうと推察出来た。彼は風紀が理事長に提出した報告書の草稿を手元に見ながら、犯行を顧みる。荒らされた写真も貼付されていたため、想像に難くない。

「(写真は、風紀委員か。先に来て片付け、転入生に気付かれないようにしていたのか)」

 荒らされていた場所と時間は詳細に記録されていた。風紀委員会による見回りの間を縫って、早朝か前日の放課後に手を下していたようだ。当然だが人目に付かないよう気を配っていたことがわかる。

 彼は正面玄関にたどり着いた。門は開かれていたが、作業員の姿はない。まだ鍵を開けられて間もないため、実行犯の捕り物があれば今も騒ぎの渦中だろう。実行犯を捕まえるための人員は割かれていないようだった。

 彼は一人、黙々とすすむ。

「(ターゲットは転入生とその同室者。実行犯が捕まっても、続けている。理由はなんだろう。だって転入生は続く嫌がらせに気付いていない)」

 靴をはきかえ、下駄箱を熟視する。すでに風紀委員によって片付けられたあとなのか、異変は見あたらない。

 今日も転入生は滞りなく登校するだろう。

「(気付くまでやるのか? なら、気付くほど手酷くやればいい。どうしてそうしないんだ。どうして徹底的にしないんだろう)」

 学校内に転入生への不満が蓄積していることは、無関心を決め込む彼ですら肌で感じ取っている。人気者を浚っていった転入生への妬みが爆発する日が来てもおかしくない。ただ、この嫌がらせには爆発と言えるほどの熱を感じない。

 風紀の報告書を読みながら、彼は自分の教室へ向かった。

「(容疑者には生徒会の親衛隊に所属する人間が挙げられている。恨みを抱いているのは確かだろうけど、なおさら疑問だ。彼らは生徒会の動向に詳しい。生徒会が転入生に対していじめを隠す行動をしているなら、その嫌がらせは意味を持つのか?)」

 一年B組の教室は二階。階段を上がるとき、昨夜の犯行を思い出したのか、つい忍び足になっていることに、彼自身気付かない。部活の朝練なら部活棟に向かい、自習する生徒がいたとしても一年B組の中では彼が一番乗りに間違いなく、教室に向かう道のりは清々しい沈黙に守られていた。彼はその静寂に任せて思考に耽っていた。


 教室の扉は引き戸で、どんなにゆっくり開いてもサッシを走る音は消せない。しかし、彼にとってそれはどうでもいいことで、教室後方の扉の前につくと躊躇いなくその手に掛けた。まとまらない考えを断ち切るように、思い切り引く。

 がららら、ばたん。扉は反対側に激突した。その音は、彼に届く前にけたたましい悲鳴へと変わった。

「うわあああっ」

「えっ」

 手元の報告書に釘付けだった視線がさまよう。右にはクラスメイトのロッカーが並び、左には教室全体に机が並ぶ。人がいないという点を除いて、異常のない景色の中。彼は正面に人影を見た。

 すると、人影もこちらを見ていた。ロッカーの前でぺたりと腰を下ろし、その周りはひどく散らかっている。よくよく観察すると、窓際近くのロッカーにその人物は座っていた。

「ちがう、違うんだ!」

 弾ける悲痛な声。潔白を主張するように両手を振り、体勢を崩しながら立ち上がろうとする。柔らかそうな栗色の髪をざわつかせ、整ったあどけない顔は今にも泣き出しそうに見えた。彼と同じ制服を着ている生徒は、彼とは違うネクタイをしていた。

 学年ごとにネクタイの色が分けられ、一年である彼は青、二年は緑、三年は赤が指定されている。慌てふためく生徒のネクタイは、赤だった。

「僕じゃない、僕じゃないから」

「落ち着いてください」

「だって、きみ」

「とにかく落ち着いてください」

 先輩であるその生徒は、彼の目の前までくるとすでに涙でいっぱいの瞳を大きく開き、嘆願した。平均身長の彼より少し背が低く、駆け出しのアイドルだと言われれば納得しかねない美少年に見える。

 彼は手元のものを鞄の中へ手早くしまい込み、取り乱す先輩の肩に手を置いた。

「俺はこのクラスの生徒です」

「それは、ええと、とにかく早くしないと」

「早く?」

「やっぱり一人で来るんじゃなかった、もう」

 くるりと身を翻した美少年は、すぐさま作業の続きに取り掛かった。がさりごそり。窓際近くのロッカーの惨状。彼は振りほどかれた手をそのまま差し出した。

「手伝います。ですから、話を聞かせてください」

「はっ……?」

 小さな体を優しく押しのけ、ずいと歩を進める。先輩が座っていた場所は、やはり転入生のロッカーの前だった。罵詈雑言が書かれた紙切れ、刻まれたノート、乾いた雑巾などが放り込まれている。それは報告書にあった写真と同じ状態だった。

 丸められた紙屑をつかんだまま呆然と立ち尽くす先輩を仰ぐ。

「また、誰か来ますよ」

「あ、ああ、うん」

 作業を終え、二人が教室をあとにするまでそう時間はかからなかった。


 先輩がもとより準備していたらしい黒のゴミ袋を手に、彼は階段を上がる。後ろについて来る気配を逐一確認しながら、校舎の屋上に通じる扉の前までやってきた。屋上は教師の付き添いなしで立ち入ることができないため、ここに人が寄りつくことは少なく、見れば手摺りには埃が張り付いていた。扉の前は小さな踊り場になっていて、密談を交わすにはうってつけだった。

 すっかり落ち着いた小さな先輩は、改めて彼と対峙し、深々と頭を下げた。顔を上げてくださいと彼が声をかけ、ようやく腰を伸ばす。

「あなたはどうしてあんなことをしていたんですか」

 視線を合わせ、手にしたゴミ袋を人質のようにして問いかけた。丸々と膨らみ、少しだけ重いゴミ袋を目の前に美少年は深くため息を吐いてから観念した。

「僕は前会長の親衛隊だ」

 たったそれだけの台詞で、あどけない印象だった表情ががらりと変わった。眉はきりりと釣り上がり、瞬きの数が減る。歯を噛み締めたせいだろうか、頬が歪む。そこには強い意志とともに複雑な思いがあるように見えた。

 彼も従うように姿勢を正し、説明を求めた。

「どこから言えばいいのか」

「聞いてはいけないことがあるなら、聞きませんが」

「いや、きみには話そう。口止めをしなくちゃならないし、その理由が必要だから」

 先輩はまっすぐに彼を見つめ、語り始めた。


「転入生のロッカーが荒らされているって通報があったんだ」

「ロッカーが……」

 かさり。彼が握る黒のゴミ袋の中には、転入生とその同室者のロッカーに詰められていたゴミが入っている。罵詈雑言が書かれたノートの切れ端や、ただもみくちゃに丸められた紙屑、埃まみれの雑巾も一枚。ついさっき、教室で二人が回収したものだ。つまり彼が遭遇したのは、ゴミを片付けている現場だったのだ。

 気持ちはわからなくもないけど、と先輩は苦笑いする。

「通報は現会長に直接、電話でね。匿名だったみたい。で、現会長が、前会長に相談した」

 それは風紀委員会による報告書にも記載されていない情報だった。思わぬ収穫はさらに増えていく。

「どうして、前会長に相談を……」

「ここのところは、なんていうか、説明しづらいんだけど。まあ、二人は一学期までは一緒に生徒会として働いていたし、信頼関係はあったから」

「そうですか」

「うん。相談で現会長は転入生を傷つけたくないって言ったみたいでね。前会長と僕たち親衛隊は友人みたいなものだから、それで」

「転入生に気付かれないよう、ロッカーを掃除したと」

「そういうこと。最初の匿名電話が早い時間だったから、転入生にはバレなかったんだけど、同室者の子にはバレちゃったみたい」

 なるほど。おそらく先輩の意図とは別のところで彼は納得していた。同室者に隠し通すことが出来なかったことで、最初の発見者を装ってもらったとすれば、報告書の辻褄が合う。

「それから、先輩が掃除をしているんですか?」

「風紀と交替でね。あっちも今、大変そうで」

 もともと品行方正が集まるこの学校で、起きる問題は多くない。それが今や、騒動や喧嘩の火種があちこちに燻っているのだから、大変なのは間違いないだろう。加えて、この学校の頂点に君臨する会長の意向まで汲まねばならないとなれば、もはや面倒ですらある。彼は改めて問うてみた。

「口止めというのは」

「ああ、うん。このことは口外しないでほしい。正直、転入生に知られたら騒ぎが大きくなるのはわかるし、秘密にしたのは正解だと思うんだ。だから……誰のためでもなく、ね」

 言い終えると先輩はうつむいてため息を吐いた。ことの成り行きを口に出したことで、主観的に見ていた事態を客観的に感じたのか、保つ雰囲気がとんと暗くなった。


 彼はかける言葉を見つけられず、無意識のままかさり、とゴミ袋を握り直していた。明らかな悪意の塊。導かれたかのように先輩はそれを自嘲しながら見やる。

「きみに見つかったとき、どうして僕がって思っちゃったよ。犯人にされて、全部終わるかと思った」

「全部、終わるとは?」

「大学の推薦とか、ほら、いろいろ。見つかったのがきみで本当によかった」

 苦々しかった先輩の表情に、ようやく赤みが差す。安堵した吐息はふんわりと溶け、薄暗い踊り場に花が咲いたようだった。しかし、すぐさま先輩の柔らかな顔に訝しい色が滲んだ。

 そういえば、と先輩は彼に切り出す。

「どうして僕が犯人だと思わなかったの?」

 こてんと首を傾げた仕草は世間一般の女子をときめかせるものなのだろうかと、彼は会話の外側でふと思った。つられてしまったか、彼の頬も少し緩む。

「ああ、座り込んでましたから」

「座り込む?」

 訊ねられた彼はほぼ即答していた。話し込んでから十数分の間に、秘密の共有による言い表しがたいつながりができたのは間違いない。それはおそらく、彼が先輩を疑わなかったことがはじまりだろう。

 その理由は単純だった。

「犯人なら荒らしたあとすぐ逃げられるよう、荒らしてる最中に腰を下ろしたりしません。座れば立ち上がる分だけ犯行時間も長くなりますから」

「それだけ? たったそれだけで、犯人じゃないって?」

「そうですね……でも、なにより」

「?」

 閃いた、という顔。彼はにっと笑ってから頭を下げた。

「悪い人には見えませんでした」

「……それは嘘だね」

 顔を上げた先には、あどけない面持ちが引き立つ照れたような笑顔があった。

 しばらくして予鈴の時間が迫り、二人は自分の教室へとそれぞれ歩き始めた。

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