【6】次のトラブル


 帰宅してから、まずは宿題を終わらせる。部活に所属していない彼は放課後を一人で過ごすことが多く、またその時間のほとんどを勉学に注いでいた。周りにもそういった友人が多いため、たとえ遊ぼうと連絡を入れたところで返事がないのがほとんどだった。私立の名門。授業についていくためには必要な努力である。

 予習復習をこなした頃に腹の虫が鳴き、食堂へ向かう。声をかけずとも人が多ければクラスメイトに会うことがあり、一人での食事はそうそうない。食後、部屋に戻ればまた机に向かい、集中力が切れた頃に友人から誘いがくる。部屋を移動し遊んだり、テレビやネットに興ずることもある。そういう日常がこの学校には溢れていた。


 今日に関しては予定は入っておらず、まずは宿題を片付けようと椅子に座っていた。夏休みが明けてしばらく、理事長から生徒会の仕事を命じられていたため、勉強に費やす時間が削られていた。久しぶりの椅子の柔らかさを感じ、自習用のノートを取り出してペンを握る。脇には携帯音楽プレーヤーを置き、準備は整った。そのとき。充電器にセットしていた携帯電話が震えた。

 待受画面には、もはや見慣れた理事長の文字。

「もしもし」

「悪いね、今、大丈夫かい」

「はい」

 何かあれば朝に、と昼休みに聞いたセリフを思い出し、彼は背を正した。理事長の声には普段の飄々とした調子が感じられず、急用なのだと察する。

「ついさっき、風紀委員会から非公式の報告書があがってきた」

「非公式の報告書ですか」

「外部に漏れてはまずい懸念だと。まだ問題として取り上げてはいないが、由々しき事態だとして提出してくれたようだ」

 強ばった口調が続き、彼は息を飲んだ。


 風紀委員会は校則や規律を生徒に徹底、指導する組織だ。生徒指導にあたる教師は配属されているが、まずは生徒同士での協調性を重んじようと存在し、生徒会と同じく一学期は三年生を含めた三学年で構成され、二学期からは二年生と一年生に引き継がれ活動している。

 主に校則違反の注意、規律順守の呼びかけが仕事だが、その内容は多岐にわたる。理事長が受けとった報告書はまさに多岐にわたった一端だった。

「いじめに準ずる行為の報告だ。要は嫌がらせか。まぁ言わずもがな、転入生の周りで、だ」

 彼は目の前に広げたノートへペンを走らせた。

「靴を隠す、ロッカーを荒らすなど、幼稚な行為が見つかったらしい。君はなにか気付いたかい」

「いえ。生徒会の仕事をする上でも、教室でも、気付きませんでした」

「君が気付かないとなると、たしかに由々しき事態だなあ」

 理事長が電話の向こうで唸る。理事長に指示されたこの一週間、彼は生徒会室に積もった書類を片付けていただけで、時事について触れることはなかった。また、教室内での騒ぎは聞き流すことが多い。転入生を疎む隣席の友人も、そのような話はしていなかったと記憶していた。

「きっと、クラスメイトの誰も気付いていないのではないでしょうか」

「いや、それはない。言っただろう、周りで、と」

「他にも誰か?」

「同室者だ。報告書には彼の証言がある。どうやら、最初の発見者のようだね」

「とばっちり、でしょうか」

「そう考えていいだろう」

 通話の向こうから、紙をめくる音がかすかに聞こえる。風紀委員会からの報告書はどれほどの厚さなのだろうかと、彼は考えてみたがすぐやめた。事の重大さは理事長の声音ではっきりとしている。

「動機は生徒会絡みと見て間違いないだろうな」

 厳しい口調のまま、理事長は続けた。

「直接的な、いわゆる暴行などはまだないそうだ」

「まだ、とは?」

「生徒会と転入生は、四六時中一緒にいただろう?」

「ああ、生徒会室入室の許可を取るくらいですから、四六時中ですね」

「入室許可が出るまでの一週間、仕事を放置してたわけだがな」

 彼が代わりを務めていた一週間。生徒会役員が揃いも揃って生徒会室に近づかなかった理由はひとえに転入生だ。一般生徒の入室が原則禁止されている生徒会室への入室許可が下りるまで、転入生との時間を惜しんで足を向けなかった。何をしていたかは興味ないが、おそらく、会議室や寮など、人目につかない場所を選んで行動を共にし、大人数で転入生を連れ回していたのだろう。しかし、廊下や食堂で人目は避けられず、生徒会はもちろん、転入生自身もよく目立った結果が、これだ。


 理事長はさらに続ける。

「ああ、あと。このとばっちり同室者にはどうやら喧嘩が強い友人がいるようだと書かれている。転入生のように生徒会と常に一緒ではなかったようだが、被害が少ないのはそのおかげかな」

「喧嘩が……そんなふうには見えませんが」

「人は見かけによらないということだろうなあ」

「それにしても、とんだ災難ですね」

「ああ、本当にな。暴走はまだ続くだろうし」

「恋は盲目ってやつですか」

「青い青い!」

 ようやく理事長らしい明朗な声が聞こえてきた。紙をめくり、さらに詳細が付け加えられていく。彼は再びペンを走らせ、報告を書き取っていった。


 最初の嫌がらせが見つかったのは四日前。靴がないことに同室者が気付き、風紀委員会へ通報。それからロッカーが荒らされ、風紀委員会による調査が本格化。現場写真などの証拠を集め、見回りの強化をし、親衛隊に対しての聞き取りも行った。

 驚くべきことに、実行犯と思しき生徒が一人、聴取を受けたという報告内容もあった。ただし、その生徒が生徒会役員の親衛隊に所属しておらず、また、直後にロッカーが荒らされたため、指示を出す黒幕がいるとしてこの報告書は締め括られていた。


 全てを語った理事長は、再び声を落とした。

「どう思う?」

「難しい問題です。転入生はこの事態をどう捉えてるんでしょう」

「報告書には何もない。おそらく、生徒会が嫌がらせを隠しているんだろう」

「当事者が蚊帳の外ですか?」

「ああ。だが、生徒会は仕事を再開した。これまでとは状況が違う」

「生徒会の庇護が薄くなるわけですか。だから、報告書をこのタイミングで提出したんですね」

「風紀委員会がそこまで考え及んでいるかは、わからないがね。一週間に一度のミーティングが今日だったんだ」

 ふう、と理事長のため息が聞こえた。学校の方針として、生徒の自主性を重んじている。そのため、教師が手を貸すことがあっても、学校そのもの、つまり理事長などの経営陣や保護者たちが関わってくることはない。それは同時に、学校内のもめ事を隠し、明らかにしないという意思の表れでもある。有名私立として、通う人間の立場はそれぞれ。大学進学にも強いここでは、ささいな不祥事など消してしまうほうがいっそはやい。火の粉が降りかからぬよう、目を閉じ、口を噤む者が多いこの学校では、決して難しいことではなかった。


 しかし、今回の件は傍観を楽しむ理事長でさえ頭を痛めているようだった。ただの嫌がらせといえばそうなのだが、関わっている人間が厄介なのだ。彼は、その元凶とも言えるある一つの疑問を口にする。

「そもそも、なんですが」

「なんだい?」

「あの転入生は何者でしょうか。転入生が来なければ、どの問題も発生しなかったはずです」

 言った瞬間。どばっと沈黙が発生した。理事長の動揺を含んだそれはじわりと通話口から滲み出し、彼の沈黙をも誘う。なにか変なことを言っただろうかと逡巡するも、わからない。彼が問い直そうとして、しかし、先に沈黙を破ったのは理事長だった。

「まさか、気付いていないのかい」

「なんのことですか?」

「ああ、いや。なるほど。君は、私のものだから、なのかな」

 もごもごと、らしくない淀み方で独りごつ理事長。うむ、と自身で切り替えをし、あーあー、と言葉を継いだ。

「手に余るとわかっていても、囲わねばならないのだよ。多少の犠牲を払ってでも、ね」

 理事長には転入生の詳細を語る意思がなく、彼は追求をやめた。かたん、とペンを置き、口を開く。


 彼にとって本題はここからだった。

「では。その犠牲を最小限にくい止めるため、俺は何をすればいいんですか?」

 そもそも、相談や愚痴の相手をさせられるために電話がかかってきたのではないことぐらい、彼は重々承知していた。夏休みが明けて三日目の朝、今日と同じような電話を受け、彼は生徒会の仕事をこなしてきた。細事を片付けることが彼に与えられた役割の一つ。強い忠誠は幼少時から築かれたものであり、互いがそれを理解していた。

 理事長の淀みのない声が届く。

「証拠を掴んでくれ」

「嫌がらせを指示している証拠、ですか」

「ああ」

 彼は生徒証が入ったパスケースを取り出した。そこに収まるカードキーは寮の部屋の鍵として、また食堂の精算などに利用できる便利な代物。そして、もう一枚。生徒の名前と顔写真入りの見慣れたカードキーの後ろにしまい込んだ真っ黒のカードキーは、以前、特別棟、生徒会室に侵入するためにと理事長から渡されたもの。両面ともに黒く、印字すら一切ない、一見すると製造途中の試作品かと思えるようなそれは、特権を飛び越える越権そのもの。

 理事長の命令が続く。

「親衛隊か、または別の組織か、見当をつけるだけでもかまわない」

「資料は風紀室にありますか」

「あるだろう。報告書の草稿もあるはずだ」

「わかりました」

「無理そうなら早めに判断を下せ。こちらが動く。だが、穏便に済ませるには、君に動いてもらったほうがいい」

「はい」

 頼んだ、と大人の声が力強く彼の背を押した。携帯を握る手にじわりと汗をかく。秘密裏に行動を起こすことへの好奇心と、期待に応えられるかどうかへの不安がのどを締め付けた。

 心臓が早鐘を打ち出した頃、電話が切れていることにようやく気がつく。彼は目の前の乱雑なメモ書きを整理しながら、取り出していた黒いカードキーをズボンのポケットへと忍ばせた。夜更けを待つ。

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