【4】転入生との出会い

 昼休みは四十五分。食堂が混み合うため時間が長く設けられており、午前の授業が終わると育ち盛りの男子高校生達はこぞって走り出す。人気の日替わり定食は数が限られており、争奪戦になるのは日常茶飯事だからだ。

 同時に食堂の側では購買部という小さな店舗があり、パンやおにぎりを始めとした惣菜が売られていた。彼も数多の生徒と変わらず、血気盛んな戦場へと赴く一人として濁流に飲まれながらパンを二つほど入手。早々に退散した。学校の敷地内には中庭やグラウンドなど屋外施設が充実し、教室はそれぞれ空調設備が整い過ごしやすく、そこかしこで生徒達が昼食をとっているのが見える。そんなのどかな景色を横目に、校舎を突き進む彼は一度として立ち止まることなく、ある場所にやってきた。


 校舎は大きくわけて三つある。ひとつは一般棟。授業を受けるための校舎で、各クラスの教室を始め、教科ごとの専用教室、職員室や保健室など、学校を形作るほとんどが含まれる。もうひとつが部活棟。部活動を行う校舎であり、体育会系と文化系が半分ずつ使用している。最後が特別棟。生徒会室や風紀室、会議室や理事長室などが設置された校舎だ。一般生徒の立ち入りが原則禁止され、棟に入る時とそれぞれの部屋に入る時に、理事長から配布されるカードキーがなければ入ることが出来ない。厳重な警備は特権の象徴とされていた。

 一般生徒の立ち入りが禁止されているとあって、特別棟はそれそのものが聖域のように扱われ、近づく者すらいない。委員会の集まりは隔週に一度、仕事が多いとされる生徒会や風紀委員会も集まるのはたいてい放課後。昼休みだと、人気のない特別棟は息を潜めている。

 彼はそこにいた。口を閉じた特別棟の扉を先に眺める、トイレ。一般棟の中でも特に使用頻度が低いだろうと思われる場所のひとつ。とはいえ、トイレの中で食事はしづらく、廊下にぽつりと腰を下ろし、戦利品であるパンを黙々と食べていた。惣菜パンと菓子パンを牛乳で流し込んだころ、携帯電話が震えた。

「もしも……」

「また来たぞ、会長」

「ああ、そうですか」

 今朝の宣言通り、電話は理事長からだった。多少、興奮しているらしく、彼はこっそり受話音量を下げた。

「また訊かれたよ、また。指名した準役員は誰だってなぁ」

「そりゃあ訊かれますよ」

「教えたらつまらんだろうって言ったら、微妙な顔をされた」

「……想像に難くないです」

「ははは! そもそもサボっていた自分に非があるだろうに、突き止めて断罪する勢いだよ」

「仕方ありませんね」

「君は優しいのか、それとも関心がないだけなのか」

 質問ではない理事長の言葉に、彼は反応しなかった。

「おっと、昼休みが終わるな。昨日の一件で、あいつら仕事を再開するだろう。君はしばらく生徒会室に行かなくていいから」

「わかりました」

「ああ、そうだそうだ。休憩室の鍵、あれも渡したがよかったか?」

「平気です。昨夜、私物は持ち帰りました」

「君の淹れる紅茶、久々に飲みたいものだ」

「そのうち」

「よし。何かあれば朝に連絡する。午後の授業、がんばりなさい」

「はい」

 ぷつり。静かな廊下に、沈黙とため息が落ちた。顔を上げた彼に降り注ぐ光。並ぶ窓からは清々しい初秋の日差しが入り込む。彼は手に下げた袋の中の最後のパンを口に放り込むと、立ち上がった。昼休みはあと八分ほどだろうか、特別棟から自分の教室まで遠い距離ではない。ひとつあくびをして、ゆったりとした足取りで歩き始めた。


 廊下は少し先で分かれている。下り階段だ。ここは最上階のため、彼は下りる予定である。向かう足を二歩三歩進めた時、向かっている階段から、わあっと溌剌な声が飛んできた。彼を目指してきたのではなく、騒音が輪を描いて広がり、末端がこちらまで届いたらしい。近くに別の階段はなく、避難できそうもない。頭を振った彼は、結局歩みを止めなかった。くやりと、あくびがまたひとつ。

 階段を上る複数の足音。それらが曲がってくる。彼が到着する五メートル前に向こうが姿を現した。見覚えはさほどないが、聞き覚えのある一団だった。彼は小さく俯き、廊下の端に寄った。

「ほらほら、昨日も来たでしょ」

「思い出した! 鍵かかってんだよな!」

「一般生徒の出入りは禁止されていますから」

 けたたましい足音と、重なり合う男声。予鈴が近づいているにも関わらず、彼らは教室とは反対である特別棟へと向かっているようだった。昨日と変わらない様子の生徒会役員達と、転入生。彼は廊下の白い床を見つめながら、音とすれ違う。曲がり角。下り階段。

 踊り場まで数を数えながら、降りる。階下からは午後の授業を待つ気怠い空気が這い上ってくるようだ。つられて浮かぶあくびは先ほどから二度三度。とん。踊り場に足をつけ、振り向く。手に下げたビニール袋ががさりと揺れた次の瞬間。目の前に広がる景色が横に流れた。肩に強い痛みを覚え、瞠目する。


 音がした。


「なぁ!」


 しかし、彼が音だと認識したそれは、音ではなく声だった。眼前にはらはらと、自分のものではない髪の毛が舞う。近しい距離感に、人。縁が太い眼鏡の奥で、見開いた目が彼を刺していた。

 痛みがあった肩にはひしと掴む手。その手が彼を背後から無理矢理に振り向かせたようだった。

 視線を注ぐ目の前の人間は、しばし静止している。耐えきれなくなった彼が、おずおずと口を開いた。

「な、なに」

「どうしてこんなとこで泣いてるんだ?」

 相手は眉を顰め、泣きそうな顔をして彼に問うた。このときようやく、彼は相手が転入生であることに気付く。瞬間、脳裏によぎったのは、顔を歪ませて語る友人の姿。転入生は不躾だ、目上の人にも敬語を使わず、ズケズケと言葉を放ち、こちらの声を遮る。ああ、あと、自分の話を押し通し、決めつけるんだ。友人の苛立ちを含んだ声。

 すぐさま、目の前の現実が彼を呼び戻す。

「なんで泣いてるんだ?」

 伸びた前髪の奥の丸い目が強く光る。肩を掴む手は食い込んできた。

「なんで泣いてるんだよ、なにかあったのか? あったんだろ!」

 形を変えていく転入生の言葉。強くなる語気。彼は視線を外すことが出来ず、また、返事をすることも出来なかった。なぜなら、転入生の言葉はまったくの見当はずれだったからだ。

 なおも吠える転入生の頭上から、足音が降ってくる。生徒会役員たちだ。同時に声も落ちてくるが、目の前の転入生にはまるで届いていないようだった。彼に視線を注いだまま、肩を揺さぶる。

 その転入生の必死さに、また踊り場に現れた生徒会役員たちの狼狽ぶりに、彼はつい、吹き出してしまった。

「な、なんで笑うんだよ!」

「はは。俺の顔に何か書いてるのかと思って」

「えっ‥‥?」

 転入生の上擦った声が、天井を突いた。彼はさらに笑う。

「あくび」

「は?」

「泣いてた理由だよ。顔に書いてるだろ?」

 分厚いレンズの中で大きな瞳が揺らめくと、肩を掴んでいた手が滑り落ちた。茫然自失とはこのことだろう、と彼は納得した。

 かくんと力を失った転入生に、生徒会役員たちは慌てて駆け寄る。彼が見聞きし想像する転入生は、常に攻勢を弱めない性質だ。今のような勢いを失った姿は珍しいと考えられ、おそらく全員が心配と混乱に陥っている。

 つまり、逃げ出すにはちょうどいい。

「すみません、失礼します」

「ちょ、ちょっと待てよ」

 生徒会役員たちに囲まれながら、それでも言葉を投げかける転入生だったが、弱々しいその声に彼を引き止める力はなかった。揺れる瞳は生徒会会長の背中の向こう側へと閉ざされ、伸ばす腕も副会長が阻止する。重ねる言葉は補佐の鋭い眼差しにかき消された。

 強く刺さる生徒会面々からの拒絶。彼は小さく会釈をし、手すりを握った。冷たい。

 こつり。階段を降りる。

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