俺の同級生が不可解な死を遂げた。
幾瀬 詞文
第1話
「え…」
羽柴 尊は自分の耳を疑った。けだるい午後の空気が尊の体に纏わり付き、喉の奥が干上がる。受話器越しに聞こえる女性の声は水を含んでいた。
『…光太郎はね、あの子は…もう…』
その言葉は最後まで続かなかった。しかし、言わずとも彼女の言いたいことは容易に想像できた。尊はなんと返事をしたのか覚えていない。気づけば受話器から無機質な電子音が響いていた。夏の暑さのせいなのか、頭の芯が痺れ意識が朦朧とした。汗が表皮をダラダラと滝のように滑り不快感を齎す。それなのに体の芯は凍えるほど寒い。まるで冬と夏がいっぺんにやって来たようだった。
遠くで蝉の声が木霊し家の壁に染みる。
女性の言葉がまるで呪詛のように脳内に反芻する。しかし脳が受け入れる事を拒否する。
だって、そうだろう?なんで、あいつが…。あんなに苦労していたのに。この仕打ちはあんまりだろう。
――なぁ神様。あんたの目は節穴なのか?それとも、馬鹿なのか?
『光太郎は、死んだの…』
そんな嘘聞きたくない。
尊はその場に崩れ落ち、じっと床板を見つめた。しかしその目は虚ろで何も写してはいなかった。
◆
木下光太郎が死んだ。
その事実は地球規模または宇宙規模でみると非常にちっぽけで、世界各国、宇宙各地で起こりうるありきたりな事象であった。
人一人の命の灯火が消えようとも尊の変哲もない日常は変わらず淡々と過ぎていく。朝起きて歯を磨き、服を着替えて学校へ行き、一番後ろの席で欠伸を噛み殺しながら講義を聞く。夜はバイトに励み深夜に帰途につく。
一人の命が消ようとも別の土地で新たな生命が息吹く。地球は自転し、銀河は旋回し、遠い宇宙の彼方では新たな星が生まれて、また年老いた星が死に超新星爆発を起し死んでいく。これは日常だ。命が消えては生まれる宇宙の理。生あるものは生まれた瞬間から、死へ向かって時を刻みだす。生あるのもは等しく必ず訪れる死を待ち、執行猶予期間を謳歌する。死は決して避けられぬ運命で、運命を覆すことができる生物はいない。子供でも知っている普遍的事実だ。
だが理解できても割り切れない。木下光太郎の死を頭で分かっていても、受け止められない。どの生物にも等しく訪れる事象に過ぎない運命だと分かっていても、それに文句をつけ不平等さに憤る。所詮この世はずる賢い者が得をし、一生懸命に生きている弱者は損をする。だが、憤ったところで現実は何一つ変わるはずもなく、尊を置いて着々と進んでいく。無駄なことだと冷めた自分が嘲笑する。
己の中で湧き上がる苛立ちが不可解で煩わしくて仕方なかった。それが中学生の同級生という至極薄っぺらな関係だった光太郎に関係するのだと思うと、憤懣やる方ない。
木下光太郎は友人ではない。中学の同級生だという希薄な関係にしか過ぎなかった。何故なら、尊は木下光太郎の事が苦手だったからだ。
彼の側にいると、尊は己の劣等感に見舞われ自尊心を傷つけられるのだ。だから高校に入学すると、尊と光太郎は疎遠になった。華やかな高校生活を満喫している間、尊は一度も光太郎の事を思い出さなかった。寧ろ尊にとって光太郎は、脳内から消し去りたい存在だった。意図的に彼を思い出す機会を避けていた。
そうして尊は近くの大学に入学した。大学は高校よりも開放感に溢れ、毎日遊んでばかりいた。サークルの飲み会や友人宅に集まり取り留めない談笑をした。しかし自由過ぎる開放感はすぐに飽きがきた。一年すぎると段々マンネリ化し、新たな刺激を外部に求めるようになる。その時数年ぶりに木下光太郎の存在を思い出した。脳内に浮かんだ彼は幼い中学生だった。そのすました顔が気に食わなかった。そこで尊が光太郎と会い己の自尊心を高めようと思わなければ尊の人生は大きく変わっていただろう。大学を難なく卒業し、そのまま例に漏れず他人と同様に社会人になり結婚して子供を産む。何の変哲も無いオーソドックスな人生を謳歌して、一般的な幸せを噛み締め人生に幕を下ろす事ができたに違いない。
結局、彼と再会しても尊の自尊心は満たされることはなかった。尊は何度も己の行動を後悔し、その度に光太郎と再会しなければ良かったとさえ思うのだ。しかし最後には諦めに似た感情を抱き、例え時間を巻き戻しても同じ行動をするに違いないと確信する。
全ては尊の衝動的で感情的、向こう見ずな行動が起因だった。しかしそれは偶然で必然で運命だったのだと尊は確信していた。
俺の同級生が不可解な死を遂げた。 幾瀬 詞文 @yuuzcle
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