第9話 丸山議員、北方領土は戦争で取り戻せるの?
日本維新の会の丸山穂高衆議院議員が北方領土をめぐり「戦争で取り戻すこと」に言及した。2019年5月、ビザなし訪問で国後島を訪れた際の出来事だ。酒に酔って、元島民でもある北方領土訪問団の団長に、その是非を執拗に迫った。大宮幹太の通う創明大学では、ふだんは政治についてあまり議論しない学生の間でもちょっとした話題になっていた。
「発言自体、大問題だけど、仮に日本が北方領土の返還に戦争という手段を選択したとして、日本はロシアに勝てるワケ?」
「まず無理だろうね。ロシアは、ソ連時代からアメリカと冷戦を続けてきた大国。互いに多くの核兵器を保有し合い牽制し続けてきた歴史がある。そんなロシアと本気で戦争をして勝てるわけがない。ロシアは最近もウクライナとかに軍隊を派遣しているけど、日本の自衛隊は実戦経験がない。結果は火を見るより明らかだよ。太鼓判押すわ」
大宮幹太の仮定の質問に、瀬戸内海(せとうち かい)は断言した。関心は、丸山議員の暴言を通り越してヴァーチャルな戦争に発展している。
「PKOで海外へ派遣されてもさ、自衛隊の任務はあくまで後方支援。政府が言うところの“紛争”地域でも最前線で対立する相手と直接向き合うことはないじゃん。地震や豪雨などの災害救助の国内外での活動が中心で。日頃から戦いを想定した訓練は積んではいるけど、あくまで訓練だからね」
「陳腐な言い方だけど、『実戦経験が乏しい』ってわけさ」
海の指摘は、具体的に自衛隊の戦力を知らない幹太にも頷けた。
「っていうか、万が一日本が優勢だったとして、ロシアが核兵器を使わない保証ってある? 太平洋戦争でアメリカが広島、長崎に原爆を投下したのは戦争を終結するための最終手段だったわけじゃん。劣勢になったロシアが核のボタンを押すのは当然の見方だよね」
ふだん戦争なんて考えもしない幹太だが、仮に戦況が日本優位で進んでも凄惨な結末が想像できた。
「ロシアだけじゃないさ。核保有国と戦争するってことは、核兵器で攻撃されることを前提に考えなきゃ。広島や長崎の二の舞になる都市が必ず出る。戦争って非日常だから、理性なんて初めから期待できない。戦争の後の復興のことを考えたら多分、東京は狙わないと思うけど、状況次第ではそれだって分からない。勝つか負けるかは、生きるか死ぬかに等しいわけで」
海も基本、戦争という選択肢は持ち合わせていないし、戦争を放棄している日本が万一、戦争に巻き込まれてもデメリットしかないと分析した。ちなみに、核拡散防止条約ではアメリカとロシアの他、中国、イギリス、フランスが核保有国として認められている。実際には、インドやパキスタン、北朝鮮、イスラエルなども兵器としての核を保有しているものと考えるのが世界の常識だ。
「日本全国には数多くの原子力発電所があるし、使用済みの核燃料の保管地とかターゲットにされそうな施設っていっぱいあるんだよね。山口と秋田にイージスアショアを配備してミサイルの迎撃に備えるっていうけど、まだ先の話だし。仮に同時多発的に原発を狙われたら迎撃なんて現実的じゃないよね」
学食のデジタル時計が午後1時半を示していた。先ほどまで満席だったテーブルは嵐の後の静けさで人は少ない。時折、サークルのグループだろうか、罪のない笑い声が聞こえてくる。同じフロアで核だ、戦争だなんて物騒な話をしているのは、幹太と海しかいないかもしれない。自販機に向かった海が、ジンジャエールとコーラの入った大きめの紙コップを手に戻ってきた。
「ほい、コーラ」
「おう、サンキュ」
表面に浮かんでは消える炭酸の泡を見つめながら幹太が呟く。
「仮に迎撃が可能として、通常兵器のミサイルならともかく、核ミサイルだったら迎撃できても甚大な被害は免れないよな。結局、特定の狭い地域の紛争はともかく、国対国の戦争なんて、世界のどの国もできる状況にはないワケ。ブーメランで自業自得という図式になるのは火を見るより明らかだもん。牽制し合うのが限界だな」
「今はスマホにもGPS機能は当たり前だし、カーナビでイメージできるように、ミサイルだって当然、GPS搭載してるはずだから命中率もほぼほぼ100パーだろ。広島、長崎に落とされた爆弾と違ってロック・オンしたターゲットにピンポイントでボーン。かたや迎撃ミサイルの精度ってイマイチ信用できないだろ。意味ないよ、戦争なんて」
海は対戦型ゲームをやっているような感覚で言った。
「っていうか、日本は憲法で侵略のための戦争をしないことを謳っている。戦う場合も専守防衛。島を取り戻すために戦争をするって、まさに侵略戦争だから憲法違反。この時点で国会議員として失格だろ」
ジンジャエールで喉を湿らせた海が続ける。
「そもそも、北方領土は終戦間際のどさくさにロシアに占領されたって主張してるわけだから。日本としては。それを力づくで取り返しに行くのは国際的にも説明がつかないし、利口じゃない」
「『理不尽に奪われた島だから、理不尽に取り返して良い』っていうのは『目には目を、歯には歯を』の論理。ハンムラビ法典だな。紀元前の理屈だろ。今から3,000年以上昔の話。時代錯誤もいいところ。でも、もしロシアと日本が戦争を始めたらどうなるかな。アメリカは日米安保条約があるから日本に味方するかな?」
幹太と海の想像は膨らむ。
「いくらトランプ大統領が大統領でも、賢明なアメリカは参戦しないさ。もし、アメリカが日本に加勢するなら、第三次世界大戦は避けられないよ。何十年も冷戦を続けてきた米ソ、米ロが相まみえることになる。史上最大の大惨事は免れないってこと」
二人とも外交の専門家ではない。しかし、海の見方が一般論だろう。
「そうだよな。核兵器を持ち合ってバランスを取ってきた米ソ。今は米ロだけどさ、どっちか形勢が不利になった方が核兵器のボタンを押すのは目に見えている。人間の理性なんてそんなもんだよ。周りから見れば非常識だけど、自分たちの“正義”が簡単に“大義”になってしまうに決まってる」
と幹太。
「ほら、授業で『第一次世界大戦はセルビアの一青年によるオーストリアの皇太子暗殺がきっかけ』って習っただろ。もし北方領土をめぐって第三次大戦なんてことになったら、『日本の政治家が戦争で取り戻そうと言ったのがきっかけ』なんてことになりかねない。『冗談はよしこさん』って感じ」
海が古い“昭和”のジョークで笑い飛ばした。
「丸山議員ってさ、現地で『女性のいる店で飲ませろ』って騒いだんだよな」
「週刊誌情報な。騒いだっていうか、暴れたらしい。“女性”とは言ってない気がする。『抱きたい』とかも言ってたらしいし、泥酔していた様子も伝えられているから、もっと下品な呼び方をしたと想う」
「国後島は北方領土の中では北海道寄りだから、気持ちも大きくなったのかな。安心感っていうかさ」
幹太は弁護しているわけではない。
「国会議員だから何言ってもいい、って気持ちが大きくなったのは確かだろうな。失言でも何でも『誤解を与えたとしたらお詫びする』とか言うくせに、国会議員の立ち位置を“誤解”、誤って理解しているのが国会議員って、笑えるな」
海は暗に他の議員のことも皮肉った。
「その一方で、この人さ、国会で問題になって呼び出されそうになったら、体調不良で2カ月の休養が必要って診断書書いてもらって“逃亡中”じゃん。2ヵ月って、通常国会の開会期間と符合するんだけど、偶然?」
「そんなわけないだろ。計算ずくさ。7月には参議院議員選挙が予定されているから会期の延長があっても限定的だろうから」
「でも、そんな長期の静養が必要な体調不良って急になるもんかな。国後訪問の時だって具合悪かったんじゃないか?」
幹太は海の皮肉を皮肉で返した。
「体調不良でも、相当量の酒は飲める」
「“腹黒”と飲酒は“別腹”なんだろ。っていうか、前にもいなかったっけ。んーっと」
「都合よく体調不良になった議員ってことなら、TPPを担当していた元経済再生担当大臣の甘利さん。確か、睡眠障害」
2016年当時、経済再生担当大臣だった甘利明衆院議員は、贈収賄事件への関与を追及され、大臣を辞任した後、国会が閉会するまで静養を理由に“雲隠れ”していた。
「国会が閉会したら、ケロッと出て来て記者会見していたよな。それも国会とか党本部とかじゃなくて、自分の事務所側の空き地で。何か芸能人の囲み取材みたいな非公式っぽいヤツ」
診断書では『必要な静養期間は1カ月程度』だったが、甘利氏が公に姿を見せたのは2月の頭に国会を休んでから約4か月後の6月6日。ちなみに、国会が閉会したのは6月1日だった。
「甘利さん、いつの間にか今度の参院選では自民党の選対委員長になってるし」
「だって、この前の内閣改造では、大臣候補にも名前、挙がってたもんな」
「結局、贈収賄が疑われた一件も有耶無耶に終わって、政府や党の要職に復帰するって図式か」
「何だかんだ言って、自民党も人材不足は否めないって話だな」
「だな」
二人は、妙に納得した。
丸山氏への国会での対応は、与野党で大きく異なっている。丸山氏を除名処分とした日本維新の会を含む野党6党派は、「暴言は限度を超えている」などとして、衆院に議員辞職勧告決議案を共同提出。与党にも同調するよう呼びかけたが、与党側は拒否した。同決議案はこれまで、主に有罪判決を受けたり逮捕・起訴された議員に出され、個別の発言を理由とするのは異例な上、ブーメランで、失言が即座に議員辞職勧告決議案につながる先例作りになるのを避けるためと考えられている。結局、反省を促す「譴責(けんせき)決議案」にとどめたが、『甘い』との世論の影響や、国会の事情聴取にも応じない丸山氏の姿勢に方針を変更し、さらに重い「糾弾決議案」に変更した。
「カイ、この後の予定は?」
「オレ、教養のドイツ語が1コマ。カンタは?」
「オレは週2のバイト。家庭教師の」
「じゃあな」
二人はそれぞれ右手を挙げて別れると、申し合わせたかのように同じ動きでリュックをクルっと勢いをつけて背中に担ぐと学食を後にした。
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