@chi_kuwa

気持ちの色

 小さい時、それこそ本当に小さい時。もう誰だったか忘れてしまっまたけど、

「これは人の気持ちが写るカメラだよ」

 そういって玩具みたいなカメラをあの人は僕に手渡した。写真を撮るにはフィルムが必要なことも分からないほど当時僕は小さかった。それでも僕はカメラを覗き込んで撮れもしない写真を撮ろうと何度もボタンを押した。家の前の小川、いつも遊んだおもちゃ、笑った両親。撮れてはいなかったけど僕の頭の中にはたしかに残っている。


 しかし、それほど夢中になっていたけれど、人とは不思議なもので、ある時僕はカメラのことを忘れた。


 それから何年も何年もたった春のある日、僕は体が細く明るく元気な写真部の子が好きになった。そして、その子の撮った綺麗な写真を見て、

「写真を撮ってみたい」

 そう思った僕は未だにカメラのことを忘れたままだった。

 きっかけというのは大仰で、大胆で、ロマンチックなものなんかじゃぁなかった。ある日、僕は親と喧嘩をした。それはもうひどい喧嘩だった。イライラして、胸がとてつもなく苦しくなる。そんな喧嘩。そんな時、僕は決まって部屋や、物置の奥底から古いものを取り出してそのものを使っていた時のことを一生懸命思い出そうとする癖みたいなものがあった。そう、その時僕は玩具みたいな、あの時夢中になったカメラを見つけた。それはもうボロボロでよく捨てられなかったなと思うようなものだった。しかし、そんなガラクタはその時の僕にとって宝物以外の何者でもなかった。

 今の時代は簡単に知りたいことを調べることが出来る。だから僕はこのカメラについて調べた。このカメラはフィルムカメラと言うのだということ、写真を撮るにはフィルムが必要なのだということ、写真を撮ってみたいという一心で調べ、人に聞いた。そして、やっとある日写真が撮れるようになった。その時はまだ夢のようで小さい時一生懸命にシャッターボタンを押し続けていた日々を思い出していた。ついに、ついに写真が撮れる。そう思った僕は家を飛び出した。

 電柱、家と家の隙間、道路の白線さえもが新しく見えた。美しく見えた。僕は夢中でシャッターを切り、写真を撮る。しかしその度にあの子の顔も頭には思い浮かんでいた。

 次の日ぼくは、あの子とカメラの話が出来る。そんなことを考えて意気揚々と学校へ向かった。学校に着き開口一番「僕もカメラ持ってるんだよ」そう伝えようと思った矢先、今どきのしっかりしたカメラで写真を撮っている彼女にあの玩具みたいなカメラを見せるのかそんな思いが脳裏をよぎった。急に恥ずかしくなった。こんなものでわくわくしてしまっている自分に。こんなことで彼女に近づこうとしている僕に。でもやはり小さい時から自分に根付いていたもので嫌いにはなれなかったしすぐに辞めるなんてことも出来なかった。


それから僕は時間があるとカメラを持って出かけるようになった。人のいない道路、寂れたシャッター街、変な形をした桜の木、廃墟、目に付いたものを撮って行った。フィルムカメラなんてものは今ではもう時代遅れできっと誰も買わないからだろう撮るために必要だったフィルムの値段も高かったそれでも僕は小さい時と同じように何度も何度もシャッターボタンを押した。人に見せようだなんて考えたこともなかったけど「いつかいい写真がとれたら次こそは彼女に写真の話をできるかな」そんなことを思っていた。そんなことをしていて気づくともう秋になっていた。撮りためたフィルムは12個になっていてただ撮るのが好きだった僕は現像もしていなかったからどんな写真が撮れているかもわからなかった。それを現像しようと思ったのは、そう、また彼女の影響だ。

「こんどコンクールに写真を出すんだよ!」

そう言って見せてくれた紅葉の写真はまた僕の心を刺激した。そう、「僕も自分の撮った写真を誰かに見てもらいたい…」そんな気持ちが出てきたのだ。そんなことから僕は撮りためたフィルム中の1つ8月15日のフィルムをそれとなく選び現像してみた。


青々とした夏葉、2匹寄り添った蝉、長く長く伸びた自分の影、そんな何とない景色や物ばかりの写真だった。そんな中に珍しく1枚だけたまたま人の写ったものがあったでもそれも景色を撮ろうとしていて人にはピントがあっておらずぼやけていたけどよくよく見るとその人の胸辺りに青いような…そう、群青色のようなそんな煙のようなものが漂っているのが見えた。「何かが重なっちゃったのかな…」そう思って気にしないようにしたがその写真とその人の少し悲しそうな、寂しそうな表情は僕の頭にこびり付いた。


1度現像してみて、自分の撮った写真を見るとやはり他の人よりも拙く味気も何も無いような写真だったが現像し、形にして見た事でさらに写真を撮るのが楽しくなった。それ以来今までは撮るだけだったのがフィルムは毎回現像するようになった。現像する度に景色しかなく、人の写真が1枚もないことに気づくのだが、それでもまだ景色ばかり取り続けた。そんななか、写真やさんに飾ってあった1枚の女性の写真に目が留まった。こちらを向きほおずえをついて微笑むとても綺麗な写真。きっと撮った人も撮られた女性も相手のことを大切に思っているんだろう。そう伝わってくるような写真だった。そんな写真をみてやはり僕は自分から行動なんてできるわけもなくその写真に影響されて人の写真を撮ろうとし始めた。


そんな時僕は初めてこのカメラの異変に気がついた。人の写真を撮ると決まっておかしくなる。人によってその変化は違うし同じ人でも写真によって違った。異変に気づいたのは仕事帰りの父を撮った時だったその異変はいつかの写真のようなもので、父の胸あたりがまた靄がかっているのだそれは茶色のような、灰色のような、そうセピア色だそんな靄がかかるのだ。その異変はその時だけではなかった。一緒に帰っていた友達の黄色、怒った母の紅色、失恋した友達の深い青。人の写真を撮ると決まってそんな靄がかかった。そう何度も異変が繰り返されると鈍感な僕でもすぐに分かった。そして僕にカメラを手渡してくれたあの人の一言が鮮明に強烈に僕の心に浮かび上がった。そう、

『これは人の気持ちが写るカメラだよ』

この言葉が。

それ以来僕は恐ろしいような、でも楽しいようなそんな気持ちに囚われ、悪いことをしてしまっている…そう思いながら人の写真を撮って撮って撮っていた。そんな中やはり僕も恋をしてたんだろう「彼女の気持ちが知りたい」そう、思った。

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