シルフィウムのせい


 ~ 十一月二十六日(月) 透輝 ~


   シルフィウムの花言葉 誘導



 好きなのか、嫌いなのか。

 いつからだろう。

 俺は考えるのをやめた。


 でも、大人への扉が近付くにつれ。

 誰もが迎える。

 十八歳の四月一日が迫るにつれ。


 好きか嫌いかではなく。

 違う感情が芽生え始めている。


 そんな自分に期待と。

 そして不安を感じていた。



 生まれた日からずっと。

 俺の隣りにいる女の子。


 家もお隣り。

 席もお隣り。


 こいつの名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 頭の後ろで一つ結わえて。

 足を運ぶたびに右へ左へ。

 まるで、秋の色を冬に塗り替える絵筆のよう。


 秋風を、揺れる髪の香りで色付けすると。

 隣りを歩く俺の心に。

 秋の切なさと。

 冬の、温もりが欲しくなる気持ちとを。

 同時に運んでくるのです。



 ……でも。



 やっぱり、君を抱きしめるわけにはいきません。

 だって。



 今日はどうやって挿しているのやら。

 頭のてっぺんから、黄色い野菊に似たお花が三本揺れていますので。



 ……バカにしか見えないので。

 近寄りたくないのです。



「改めて思いますけど、呆れたヤツなのです」

「何のことなの? 急に変なことを言う道久君なの」


 校内では有名とは言え。

 すれ違う人誰もが君の頭を二度見して。


 とうとう、直で生えてきちゃった?

 そうひそひそ話をするのも納得なのです。


「それにしても、シルフィウムですか」

「お花の名前? 『チーム・菊』のお花はいっぱいあって覚え切れないの」

「お花屋の娘が何を言い出しますか。それだってお店の宣伝でしょうに」

「高価なお花を活けた日は赤字なんだって」


 なんて本末転倒。


 大昔に絶滅してしまったシルフィウム。

 その名を新たに冠したキク科のお花。

 本物のシルフィウムは、種がハート形だったと言われていますけど。

 当然見たことが無いので知りません。


 ……ハート形。

 君の頭の上に、ハート形。


 ぽっかりひとつ、浮かんだお花。

 ハートの形で占えば。

 答えは必ず『嫌い』になるから。

 恋は『嫌い』から始めよう。


「冬が来るの~♪ 恋の季節~♪」

「いいえ、テストの季節です」

「道久君、冷たいの。嫌いなの」

「結構。本日は嫌いから始めましょう」


 穂咲を連れて、校内の図書館へ。

 期末テストへ向けて猛勉強開始です。


 いつも文句ばかりですが。

 ここならおしゃべりもできないでしょうし。


 そう思っていたのに。


「勉強、面倒なの」

「開口一番それですか。約束したでしょうに、がっつり行きますよ」


 うへえと嫌そうな返事をしますが。

 俺が必死に勉強していると。


 仕方ないかという空気を出しながら。

 鞄から出した本を読み始めたご様子。


 その調子。

 二人で頑張りましょう。


 俺がチラリと視線を上げれば。

 秋の終わり、セピア色に染まり出した夕日が。

 君の髪を金糸の清流に変えていて。

 指にくるりと一つ巻いた。

 そんな渦すら音もなく流れ去る。


 いけないいけない。

 今日はなんだか、気になって仕方がありません。

 ぷかぷか浮かんで気もそぞろ。

 でも、明日は浮いているのやら沈んでいるのやら。


 俺の気持ちは宙ぶらり。

 緑のガラスに浮かぶ泡。

 浮かぶこと無し沈むこと無し。



「……道久君、好きな人いるの?」


 急に穂咲が口にした台詞に。

 不意を突かれてドキリとしたせいで。

 返事をごくりと飲み込んでしまいました。


 どうして急に。

 そんなことを。


「……道久君、好きな人いるの?」


 一瞬でからからになった喉が。

 有りもしない唾を飲み込んで。


 本を立てて、口を隠して。

 俺を上目遣いに見つめる穂咲から。

 目が離せなくなりました。


 だって、その本の表紙に。

 ちらりと見えた言葉は。



 『誘導尋問テクニック』



「勉強もしないで何してるんです。おっかないことしないで欲しいのです」

「試してみるの」

「そんなのに引っかかりません」

「引っかからないってことは、何かバレてはいけないことがあるの」

「う」


 早速引っ掛かりました。


「きっと昨日、何かがあったの」


 怖い怖い。

 なんですか、その目。


 昨日は家で勉強してましたけど。

 一昨日はひいらぎ晴花はるかさんと一緒でした。


 ワンコ・バーガーで俺達とバイトしている元社会人のお姉さん。

 別にやましいことは何もない。


 テスト一週間前に、気持ちを綺麗にしておこうと。

 一緒に通学路のゴミ拾いをしていたのです。


 それだけなのに。

 なんでこんなにドキドキするのでしょう。


 俺はさりげない仕草を装いながら。

 シャーペンをペンケースへしまいました。


「ふむふむ。この本に書かれた情報によれば今のは怪しい感じなの」


 ウソですよね?


「道久君、昨日デートしてたの? 誰と?」

「え? ……昨日は、六本木君とですね……」


 ちょっと、俺。

 昨日はどこにも出かけてないでしょうに。

 なんでウソをついているのです?


「六本木君と? そうなの。あたしは香澄ちゃんと会ってたの」

「へ、へえ! そうなんだ!」


 ああ、ばれるばれる!

 よりによって、なんで六本木君の彼女と会ってますかね君は!


 もう正直に言うべきなのでしょうけど。

 タイミングが見つかりません。


 それより、これ以上誘導尋問に引っかからないようにしないと……。


「でね? ワンコ・バーガーに行ったら六本木君と晴花さんがいたんだけど」

「お、一昨日の間違いじゃないのかな?」

「あ、ほんとなの。記憶が曖昧なの。あたしが会ったの、六本木君じゃなかったみたいなの」

「そうなのです。穂咲、勘違いしているのです。一昨日は晴花さんもバイト先にいませんでしたし」

「なんで知ってるの?」


 …………うおう。

 また引っかかったのです。


 万事休す。


「ねえ、なんで?」

「…………俺と。会って。いたからです」


 がっくりとうな垂れる俺の肩をポンと叩いて。

 茜さす窓辺で、ありもしないアコーディオンカーテンを開くそぶりで目を細める刑事さん。


 いや。

 刑事さんが誘導尋問しちゃダメだろ。


 しかし、こえええええ。

 なにその本。


 手に取って、表紙を改めて見てみれば。


 『ぽんちょ浜松の誘導尋問テクニック

  ~ 彼の浮気を暴く七つのポイント ~』


「ちょっと! なんですこれ? 晴花さんとは、別に浮気とかじゃないのです!」

「え? …………そんなこと思ってないのに、なんで慌ててるの?」


 …………あ。


「浮気? なんで浮気になるの? どうして?」


 しまった。

 まさか、このやり取りそのものが誘導尋問?



 結局その後は勉強もせずに。

 一日中、なんでなんでと言われ続けました。



 一番怖いのはぽんちょさんではなく。

 こいつかもしれません。


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