よしなし

長月ゲン

 ほんのりと埃っぽい午後の美術室は、生徒たちの吐き出す倦怠感に満ち、時間が粘性を持った液体のようにゆっくりと流れていた。

 窓枠に切り取られた街並みは、くすんだ山吹色の陽光に染め上げられている。それはまるで、古ぼけた写真のようで、どこか現実味に欠けていた。

 私の精神は、どうしようない苦痛と閉塞感に、今にも押し潰されそうだった。耳を苛む雑音が、黒い靄となって脳にまとわりつき、思考を鈍らせる。私は、ありもしない救いを求めて、当て所なく、視線を宙に漂わせていた。

 ふと気がついて、窓際の陽だまりに目をやると、そこには、一匹の虎がいた。それはまるで、窓から差し込んだ山吹色が、突如として獣の輪郭を持ったかのようだった。

 虎は、大きく背伸びをすると、重々しい足取りで教壇に歩み寄り、唖然としている教師の喉笛に、その牙を突き立てた。

 大きく開いた傷口から血が勢いよく流れ出し、床に歪な模様を描き出す。失った血の分だけ、教師の肌は、青白さを増すようだった。教師は、何かを訴えかけるように、何度か大きく口を開け閉めしたが、その様子は、血で真っ赤に染まったシャツと相まって、酸素を求める金魚のようであった。

 教師が糸の切れた操り人形のように倒れこみ、動かなくなってしまうと、美術室は、阿鼻叫喚の地獄と化した。悲鳴、ぶちまけられた吐瀉物、嗚咽、山吹色の陽光、扉を激しく叩く音、鉄の匂い、怒号、教師の青白い肌、真っ赤な血――。それらが渾然一体となって、不協和音を奏でる。

 狂騒をよそに、虎は、次々と獲物に手を掛けていった。目を抉り、喉を突き、腹を割いて臓物を引き摺り出す。そこには一切の慈悲も容赦もなかった。

 虎と対峙した生徒たちの反応は、どれもありきたりで、面白味に欠けていた。すなわち、罵詈雑言を浴びせるか、懇願するか、呆然とするかのいずれかだった。そして、そのどれもが、一切の意味を成さなかった。

 煩わしい雑音が一つ、また一つと消えていき、やがて美術室は、静寂に包まれた。

 一体どれほどの時間が経っていたのだろう。血と臓物にまみれた美術室は、嵐が過ぎ去った後の大気のように、穏やかで澄み切っていた。

 窓の外はすっかり夕暮れで、電柱から伸びる黒い影が、道路に縞模様を描き出している。

 血と夕日で真っ赤に染め上げられ、美術室と街並みの境界は、どこまでも曖昧だった。私は、四方を囲む壁がなくなってしまったかのような開放感を覚えながら、ただぼんやりと立ち尽くしていた。

――逃げないのか?

 虎が私に問いかける。

――どこへ?

 私は虎に問い返す。

 そうだ。どこにも逃げ場などないのだ。思考は明瞭さを取り戻し、私は、自らの為すべきことを理解した。

「さあ」

 人気のない美術室に声が響く。

「最後の一人だ」

 そう言ってわたしは、ナイフを喉に突き立てた。

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