土曜日の夜は、バス停の濡れた女子高生と眠る

岩沢まめのき

第1章 ずぶ濡れの女子高生とバス停で出会う

001 第1章 ずぶ濡れの女子高生とバス停で出会う

 ずぶ濡れの女子高生と出会ったのは、夜のバス停だ。

 6月の土曜日で、時刻は21時ごろ。

 雨が降っていたけれど寒くもなく、そして暑くもない日だった。


 僕が暮らしている町は、ほどよく田舎いなかというか、とにかく絶対に都会ではない。

 たとえば、自宅から一番近いコンビニは歩いて20分以上離れた場所にあったし、町のほとんどの商店が夜の早い時間にシャッターを下ろす。

 だから、夜に買い物をするなら、暗闇の町中でぽつんと1軒だけたたずむコンビニへ行くことになる。


 僕は高校2年生で、大学進学をきっかけに実家から出ていく予定だ。

 生まれ育った町から飛び出して、将来は都会で暮らすことを望んでいた。


 コンビニに着くと店内をぐるりと一周した。誰か友人にでも会えないかと思ったのだ。

 近所に住んでいる若者たちは、暗闇の街灯に虫が集まるみたいにこのコンビニの灯りに引き寄せられる。

 もちろん、僕もその一人だ。

 夏が近づいて日に日にあたたかくなってきたから、なおさらそういう若者が増えていて、コンビニで知り合いに偶然出会う機会も多い。


 しかし、結局誰にも会えず僕は弁当を買って店を出た。

 雨が降っていたから、わざわざ出かける人も少ないのだろう。


 両親が親戚しんせき法事ほうじで家にいない夜だった。

 明日の夜まで帰ってこないそうだ。

 僕は一人っ子で両親の他に同居している家族はいない。今夜は一人で留守番である。

 一人きりの自由でステキな夜になる予感がしていた。


 留守の間の食費は親から与えられていた。明日の夜までコンビニの弁当でも買って食っておけという程度の金額だ。

 両親の頭の中に『息子にお金を多めに与える』という選択肢は昔から存在しない。


 弁当を手にコンビニから帰るころには、雨の勢いがずいぶんと増していた。

 やや横殴りの強い雨だ。傘を持っていなければ間違いなく夜道でずぶ濡れになる運命だったと思う。

 本当はもう少し早い時間に、弁当を買いに行くつもりだった。

 けれど、観たいテレビ番組があったので21時を過ぎてしまった。


 部屋着にもしている紺色こんいろのジャージ姿で外出していた。ズボンのすそは、すでに濡れてしまっている。

 髪を切りに行くのが面倒でずいぶん伸びてしまっていた前髪も、しっとり湿っていた。

 僕はメガネをかけているのだけど、いつの間にかレンズには水滴がついていた。


 ずぶ濡れの女子高生と出会ったバス停。それは、自宅とコンビニのちょうど中間あたりにあった。

 自宅とコンビニを行き来する際、行きも帰りもそのバス停の前を通ることになる。


 ある程度の距離までバス停に近づいた時点で、青いベンチに女子高生が一人でぽつんと座っているのがわかった。

 小さなバス停だ。古びたトタン屋根やねがあって、弱々しく光る蛍光灯があって、汚れた時刻表があって、そして三人がけの青いベンチがある。


 彼女は半袖はんそでのセーラー服を着ていて、うつむき加減で座っていた。

 コンビニに行くときは、そこには誰も座っていなかったと思う。


 制服は県内にある女子校のものだ。

 6月に衣替ころもがえを行う学校が多いから、彼女の制服も夏服だろう。あの女子校の制服は確か、冬服なら紺色部分が多く、夏服なら白色部分が多い。

 そもそも半袖なんだから夏服に決まっている。


 バス停には鉄道の駅へと向かうバスがやって来る。

 20時台だったらバスは1時間に3回来る。21時と22時は1時間に2回。

 23時になると、バスはもう来ない。


 そんなバス停の前を、僕が通り過ぎようとしたときだった。


「あの……すみません」


 バス停の女子高生が、黒髪のポニーテールと両肩を震わせながら声をかけてきたのだ。

 まさか、話しかけられるとは思わなかった。


 さすがに少し動揺した。僕は傘のの部分にレジ袋に入った弁当をひっかけた後、空いたほうの手でメガネをくいっと持ち上げて返事をした。


「な、な、なんでしょうか?」


 それから自分が手にしている傘の角度を調整して、女子高生と横殴りの雨との間に壁になるようにして立った。

 小さなバス停の頼りない屋根では、横殴りの強い雨を防ぎきれていないみたいだ。彼女はすっかり濡れていたのである。


 女子高生の前髪とアゴの先から、ポタポタとしずくが地面に落ちていた。気の毒な光景だった。

 だから、可能な限り彼女に降り注ぐ雨を防ごうと考えた。それで僕は、一時的にでも彼女の雨よけになろうと思ったわけである。


 本当は「ずぶ濡れじゃないですか? 大丈夫ですか? 僕の傘、使います?」とか、きちんと言葉に出して心配できる男になりたかった。

 けれど、恥ずかしさに負けてしまい、そんな言葉を出す勇気はない。


 女の子に向かってきちんとやさしい言葉をかけられる勇気。それを僕は、生まれてこのかたほとんど持ち合わせていないのかもしれない。

 女の子ときちんと会話するためには、僕はきっと勇気をたくさん消費するのだけど、その勇気をあまり多くは持っていないのだろう。


 そんなわけで、横殴りの雨を防ぐ壁となった僕は、チラリと彼女の首から下へ視線を向けた。

 濡れたセーラー服の白い生地の下に、ほんの少しだけ薄い緑色が確認できた。


 これは……?

 ブラジャーの色?

 ブラジャーの緑色が透けているっ!?


 女子高生の胸元からあわてて視線をそらした。

 濡れたセーラー服にうっすら透けているブラジャーを間近で見るなんて、僕にとってはさすがに刺激が強すぎるのだ。


「ご相談があるのですが」


 ずぶ濡れの女子高生は、動揺している僕に向かってそう言った。


「そ、そ、そ、相談?」

「はい。その……わたし、ほとんど記憶がないんです」

「はっ? 記憶? はっ?」

「自分の名前も思い出せないんです」

「はっ? 名前? 名前、思い出せない? あなた、名前、思い出せない? はっ?」

「はい。だから今夜、わたしといっしょに眠ってもらってもいいですか?」

「はっ? ね、ね、ね、眠る? はっ? 眠る? 今夜いっしょに?」


 これは……。

 僕は、とても危険な女の子から声をかけられてしまったのだろうか?


『記憶がないから今夜いっしょに眠ってほしい?』


 どういうこと?

 話の流れがとってもおかしいじゃないか。

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