1つ目鴉の襲来

「————ギャッギャギャッ」


 嘲笑あざわらうかのような濁声だみごえにハッとして我に返る。

 視線を向けると上空に1羽。

 器用にも目元を歪ませた1つ目のからすがニタリと笑っていた。

 しまった。冷や汗が背筋を流れ落ちる。

 騒ぎ過ぎたのだ。


1つ目鴉ワンアイドクロウか? 随分と無防備に姿を現わすものだな」

「天敵となる相手がいないのでしょう。この辺りは彼らの縄張りとして確立されているようですから」

「っおい急げ! 逃げるぞ!」


 口ぶりからして鴉のことを知らない訳ではないのだろう。

 しかし、悠長に構える危機感のなさにキャロルは焦りを覚える。

 説き伏せるだけの時間はない。


 鴉が一際大きく、高く、汚い声を響かせた。

 獲物を見つけたぞ、と仲間に知らせているのだ。


 咄嗟に掴んだシャンテルの手を引いて駆け出す。

 ……子供のキャロルが大人のベルゼクトを引っ張って走るのは体格差的にも難しい。

 後を追いかけて来てくれるかは本人の判断力に賭ける他なかった。


「振り返るなよ! ≪暗視ナイトヴィジョン≫の光が奴らに居場所を知らせることになる」


 音を殺して闇に紛れる。

 木々の合間を縫うように進む。


 怪異の鳥・・・・でも鳥は鳥。

 森へと入るのに群れを成したままでは飛べない。

 障害物を避けながらでは速度スピードも落ちる。

 そして、魔術で補強しようが元が鳥目じゃ確保できる視界もたかが知れている。


 ————強化系の魔術は能力値スペックを限定的に向上させるが基本初期値に依存するのだ。

 夜目の利く者が≪暗視ナイトヴィジョン≫を行使すればより明瞭に、シルエットだけでなく色合いの判断までつくようになるけれど、まったく見えていない状態からでは物の位置を把握できるかできないか。

 効果の程は術者の技量にも左右される。


 怪異種は本能的に魔術を扱えるが知能はそれほど高くない場合がほとんどだ。

 効果を上げるための調整といった複雑なことはできない。


 森の中で闇に紛れてしまえば追い掛けてくる1つ目の鴉をくのは然程さほど難しいことではなかった。


 足音を吸い込んで消してくれる消音草ミューラルの道を進んでしばらく。

 鴉の羽ばたく音や鳴き声が遠のいているのを確かめてから1度足を止める。


「ちょっまっ……!」


 ずべしゃーっ。

 効果音をつけるとすればそんなところか。

 消音草ミューラルの絨毯に顔面から突っ込んだベルゼクトが転がる。

 ……きちんと遅れずについてきたが急には立ち止まれなかったらしい。

 巻き込まれそうになったキャロルの腕をシャンテルが引いて助けてくれたおかげでドミノ倒しにならずに済んだ。


 鴉の姿が近くにないのを確かめてから改めて振り返る。

 消音草ミューラルに呼吸音が吸い込まれているせいか一見して倒れたまま動かないベルゼクトは息のない死体のようにも見える。


「だ、大丈夫か……?」


 返事はない。当然だ。

 うつ伏せのままでは声も消音草ミューラルに吸い込まれて消える。


「遊んでないで起きてください先生」


 シャンテルがトランクケースを構える。

 無視するようなら殴りかかるつもりでいるのだろうことはつい数分前のやり取りから察せられた。

 ベルゼクトは大人しく起き上がる。

 身の危険を感じ取ったらしい。


「ううっ……体以上に心が痛い……」

「体は痛んでないでしょう。寝言を言いたいのなら眠らせてあげましょうか?」

「悪い。悪かった。反省するからケースを振りかぶるのはやめたまえ」


 即座に悪ふざけをやめて制止を掛ける。

 鼻血こそ垂れていないがしたたかにぶつけた鼻頭が赤くなっている辺り≪物理防御バリアル≫の効果が薄れてきているようだ。


 今、あらん限りの力でトランクを振り抜かれれば殴り飛ばされるだけに留まらず昏倒すること間違いなし。

 そうと断言できる程度に磨き抜かれたシャンテルの打撃は重く鋭い。


 疑いの眼差しを向けられつつも下されたトランクケースにベルゼクトは安堵の息を吐き出す。

 胡座をかいてその場に座り直すと虚言ではないことを態度で示すかようにキャロルに向き直った。


「さて、自己紹介の途中だったかな? 私がボロ雑巾のようになっていたとしても優秀なシャンテルくんのことだ。きちんと丁寧に私の分まで名乗ってくれたことだろう」


 改めて。

 ベルゼクト・グライハイムだ。


 人好きする柔らかな笑みと共に差し出された手に少し悩んでから手を重ねて握手を交わす。


「僕はキャロル。……キャロル・リプセットです」

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