魔女の森

檀ゆま

第1話 雨の日、魔女はやってきた

 それは、バケツをひっくり返したような雨の日でした。

 悠希は、窓から見える庭の向こう側にある森を眺めていました。

ーー雨の日は嫌いだ。

 外に出ることのできない悠希には、窓越しの世界が全てなのです。

 どうせなら、美しい世界だけを見ていたいと思っていました。

 カーテンを閉じると、灯りの点いていない部屋は暗くなりました。

 悠希はブランケットを頭から被り、ゆっくり瞳を閉じました。

 雨が大地を激しく打ち付ける音は、悠希の心を騒つかせます。

 目の奥に力を入れると、リンと鈴の音が鳴りました。

 雨の音に紛れる事なく、その音は悠希の耳にしっかりと届きました。

 美しい音でした。

「雨は嫌い?」

 突然の声に驚いて悠希はブランケットをかぶったまま起き上がろうしましたが、体が動きません。

 ブランケットから頭だけを出して、瞼をゆっくり押し上げて、目だけを動かして声の主を探します。

「だけれど恐れる事はないのよ」

 声の主の姿を捉える事はできません。

「さあ、ご覧なさい」

 部屋の中に光が差しました。

 カーテンが開かれたのです。

「雨は去りました。さあ、行きましょう」

 視界に、人が映り込みました。

 とても白い肌の、長い髪の女性です。

「行くって、どこに?」

 悠希の足は、歩く事ができないのです。

 自分の足で、外を歩き回ったことなど一度もありません。

「森よ」

 悠希がいつも眺めていた森、ただただ見詰めるだけの関わる事のない世界です。

 そこは、人々に『魔女の森』と呼ばれていました。

 昼間ですら光の届かないその森は、薄気味悪がられていたのです。

「ごめんなさい、行く事はできないんです」

「どうして?」

「歩けないから……」

 リンと、また音が鳴りました。

「それは勘違いよ」

 その残音がいつまでも響き続けているように悠希は感じていました。

「だからそう、あなたは、歩けるわ」

ーー歩けるんじゃないだろうか。

 上体を起こして、ブランケットを体から引き剥がし、そっと両の手を太ももの上に乗せました。

「想像して、自分の足で歩いている姿を」

ーー歩きたい。

「ねえ、希望というものはね、いつだってあなたの中にあるものなのよ」

ーー僕は、歩ける。

「さあ」

 伸びてきた手に、悠希は手を伸ばしました。

「あなたは、歩ける」

「僕は、歩ける」

 ひたりと足の裏が冷たい床に触れました。

 ゆっくりと、悠希は立ち上がったのです。

「さあ、外へ行きましょう」

 女性に支えられながら、悠希は一歩、そしてまた一歩前に進みます。

 悠希は初めて自分の足で家から出たのでした。

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