第十九話 『独善の果てに』

 ロベルクを襲おうとした排斥派は、紳士が連れていた私兵に縛り上げられ、物盗りとして衛兵に突き出された。絶対的な死を目の当たりにした排斥派の面々に恨めしさはなく、まさに薄皮一枚の差で命を繋ぎ止めたことに安堵した表情で連行されていった。また、排斥派の根城と言われていた家々はいつの間にか鎧戸を閉ざし、我関せずの姿勢を見せていた。


 私兵が排斥派を全て連れ去るのを見届けた後、ロベルクは紳士の方に向き直った。


「誰だ。何故僕のことを知っている?」


 ロベルクの刺々しい問いにも、紳士は穏やかな様相を崩すことなく答える。


「私はラウシヴ大神殿の関係者でして。ヴィナバード評議会で評議員をなさっているナウクラーリア様の家で家宰をしております」

「ナウクラーリア?」


 訝るロベルクに、ええ、と穏やかに頷く紳士。


「エリュティア・ナウクラーリア様のご実家でございます」

「エリュティア、首司祭様……」


 ここでロベルクはようやく言動から棘を収めた。エリュティアと言えば、ミーアの側近の一人として助言をする立場にあった聖職者だ。蠱惑的な胸元を重厚な司祭衣で覆い隠した、嫋やかな女性だったはずである。


 紳士は話を進めた。


「はい。お嬢様からは昨夜のうちに連絡を頂きまして、家の者総出で探させていただきました」

「エリュティア様が、そこまでしてくださるとは……」


 ロベルクは数度しか会ったことのないエリュティアの姿を思い浮かべた。その地位の高さから、さほど顔を合わせたことはなが、それでも会うたびに気遣わしげな微笑みを投げかけてくれたのが印象的だった。


 紳士は「ここで話すのもなんですから」と、ロベルクを屋敷にいざなう。


 ロベルクに断る理由もなく、私兵に守られながらナウクラーリア評議員の屋敷へと向かうことになった。





 ナウクラーリア評議員の屋敷は、貧民街が視界に入らない程離れた、富裕層の家が連なる通りに面していた。敷地面積は大神殿やレスティカーザ伯の城に及ぶべくもないが、二軒もあれば、他都市より比較的小規模なヴィナバードの貧民街がすっぽり収まる程度の広さはあった。

 華美ではないが重厚な両開きの門扉が家人によってタイミング良く開かれ、一行は歩速を緩めることなく門柱の間を通り抜ける。大型の馬車が悠々と通れる広さを確保した石畳の道を少し進み、池を囲むように作られたロータリーを回り込むと、ようやく玄関口に辿り着いた。

 私兵の二人が先んじて両開きの扉を開き、その間を家宰が通り抜ける。ロベルクは衣服の砂を軽く払うと、家宰について屋敷に入った。


 最初に足を踏み入れた広間は、百人程度の兵士が武装して整列できそうな広さがあった。主人であるナウクラーリア評議員の趣向を反映してか、フレスコ画や肖像などは排され、マントルピースや梁などの彫刻を主とする色数を抑えた造りになっていた。それらは光の作り出す陰影によって美しさが際立つように配慮されており、落ち着いた上品さが醸し出されていた。そこに漂う空気も、晩夏の残暑が本領を発揮し始めつつある屋外と比べると、随分と過ごしやすい。屋敷の所々に、『霊晶』と呼ばれる、精霊がこの世界――生命界で力を行使した跡が結晶化した物を使うことで、暑さが和らぐよう配慮されていた。


「只今、ご主人様は外出中でして。代わりまして私がこの半日に大神殿で何があったかをお伝えさせていただきます。お茶を用意させますので、お好きなソファにお掛けください」

「あ、どうも……」


 言いかけて、ロベルクは自分の衣服が乾燥した泥や砂で汚れていることに気付いた。


「服が汚れているので、立って待たせて貰います」

「おお、これは気付きませんで。では、こちらの革張りの方へ……こちらなら掃除も楽ですから、気にせずお掛けください」


 ロベルクは、より重厚なソファを示されて一瞬躊躇するが、家宰の配慮を受け取ってソファに腰を下ろす。ぱらぱらと砂の落ちる音が耳に入ったが、これ以上遠慮すると逆に失礼かと思い、気に留めないことにした。


 大理石の彫刻を鑑賞していると、パーラーメイドが華奢なワゴンで茶を運んできた。彼女は家宰と、薄汚れた姿のロベルクにも眉一つ動かさず茶を供し、音もなく退出する。

 双方がカップを口に運び、一息吐いたところで、家宰が口を開いた。


「では、昨夜からの出来事についてお話し致しましょう……」





 話は昨夜まで遡る。


 ツェルスニーは、配下がロベルクを抱えて退出すると、執拗に廊下の人影を確認した。余計な邪魔が入らないことを確認すると、後ろ手に扉を閉め、鍵を掛ける。室内にセラーナと二人きりになると、彼はいよいよ獣性を剥き出しにし、セラーナに詰め寄った。


「さて、汚れた半森妖精は片付けた。早速、誤った信仰を正し、『祈り』を捧げてやろう」

「近寄らないで!」


 毛布を盾に身を庇うセラーナ。しかし、そんな物はツェルスニーの欲望を掻き立てる小道具にしかなっていなかった。


「余りやんちゃはしない方がいいぞ。お前は確か、ウインガルド王国から戦災を避けて逃げ込んで来たんだったよな? 総主教猊下の相談役である俺が何か余計な事を言ったら、ここに居づらくなるんじゃないか?」


 ツェルスニーは、危機管理の為に上層部だけに周知された出自についての情報を悪用し、セラーナを脅しに掛かる。その身は、既に毛布の目の前に迫っていた。


「こ……この獣っ!」

「おっほー、その眼だ。あの半森妖精に見せる蕩けた眼とは真逆の、俺に向ける刺すような眼……涙も見せてくれんとはね! だが、その棘を無理矢理ひん剥いて、うるうるの果実にむしゃぶりつく瞬間が堪らん。自由神様々だ!」


 ツェルスニーは、森に巣くう下級の妖魔にも劣るような下卑た笑いを浮かべて、セラーナの身を唯一守っていた毛布を無理矢理奪い取って投げ捨てる。頭の中は既にセラーナを蹂躙する事で飽和状態になっていた。眼は血走り、口元から伝う涎にも気付いてはいない。


「安心しろ、セラーナ。俺の『祈り』は幅広い年代のご婦人方に好評でな……お前も直に俺の『祈り』無しでは寂しくて眠れなくなるだろうさ!」

「や……やめて! でないと……」


 セラーナは眼を見開き、星空を溶かし込んだような瞳でツェルスニーの一挙手一投足を見据える。


「さて、どんな姿勢で祈られたいかな? いや、まずはその森妖精に呪われたかのような肉付きの薄い身体を、隅々まで素手で祈ぐぎょっ⁉」


 淫猥な言葉を垂れ流しながらセラーナに跳び掛かったツェルスニーは、空中で股間に衝撃を受けた。激痛と共に、身体が浮遊する感覚、天地が反転する感覚が同時に脳に伝えられる。直後、自分が壁に叩き付けられた事を理解した。跳び掛かる力を利用され、セラーナに投げ飛ばされていたのだ。


 同時に寝台から飛び起き、数歩離れて長剣くらいの間合いを取るセラーナ。その表情からは先程の嗜虐心をそそる儚げな印象は消え失せていた。


「……でないと、必要のない怪我をする羽目になるわ……っと、つい身体が自然に動いちゃった」


 床に落ちた毛布を拾うセラーナ。その柔らかそうな唇の端が、優雅に持ち上がる。しかしその瞳は、地下迷宮の闇が湧きだしたような、危険な輝きを湛えていた。


 対するツェルスニーは硬い寝台で一人寂しく藻掻き、ようやく身を起こすと、先程まで頭を下にしていたのも相まって、顔を真っ赤にして猛り狂った。


「この糞アマぁ……咄嗟に避けたからって調子に乗るんじゃねぇ! 補祭は補祭らしく長司祭様に祈られていればいいんだ!」


 ツェルスニーは、もう一度セラーナに跳び掛かるべく身構える。セラーナは相変わらず自然体の姿勢で立っていたが、その振る舞いに隙がない事を見抜けなかったツェルスニーは、戦闘に関してさほどの素地も実力もない人間だったと言える。


「……?」


 ふと、表情筋を何一つ動かさずに耳をそばだてるセラーナ。彼女の耳は、複数の足音がこちらに向かっていることを聞き取った。


 直後、扉が荒々しく叩かれる。


「セラーナ補祭。何か大きな声がしたが大丈夫か?」


 ラインクの声だった。


 未だ寝台の上に仁王立ちしているツェルスニーの顔色が、赤から蒼白に変わる。二の腕が目に見えてわなわなと震えだした。


「鍵が掛かっていますね」

「先程、侵入者の騒動があったばかりですから気掛かりです」


 マイノールとレナの声も聞こえてきた。


「合い鍵……いや、扉を破る。マイノール、レナ、錠に『風化の祈り』を」

「はい!」


 直後、衝撃音と共に扉が勢いよく開く。


 抜剣して躍り込んできた三人の聖騎士隊長が見たものは、毛布で身を庇うようにして立ち尽くしたセラーナと、寝台から今まさに跳び掛からんとしていたツェルスニーの姿だった。


「この女が、また半森妖精と不謹慎な行為を……」

「ツェルスニー様達がいきなり部屋に入ってきたんです。そして、あたしの看病をしてくれていたロベルクを殴って、神殿から追い出しました」


 三人の隊長にツェルスニーとセラーナが訴える。本来なら神品の高いツェルスニーの言い分から先に聞くべきなのだが、隊長達の眼に映った光景は、毛布で身を庇うセラーナと襲いかかろうとするツェルスニーの図にしか見えなかった。


 隊長の中でも女性であるレナが、反射的に眉根を寄せる。


「ツェルスニー長司祭。あなたとセラーナ補祭の体勢を見るに、あなたの行っていることに説得力はないわ。寧ろ、不謹慎なのはあなたに見える」

「レナ長司祭、そのような侮辱が許されるとでも思っているのか!」

「さて。侮辱なら私が頭を下げれば済むのだけれど」


 涼しい顔をしてとぼけるレナに、ツェルスニーは再び頭に血を上らせた。


「どいつもこいつも妖精に肩入れしやがっ……」

「ああ、その妖精についてですが」


 小声で毒突き掛けたツェルスニーの言葉を、今度はマイノールが遮った。


「先程セラーナ補祭が、ロベルクをあなたが追い出したと言っていましたが、それはどういう事ですか?」

「追い出したさ!」


 声を荒らげるツェルスニー。


「大神殿の風紀を乱したんだ。当然だろう!」

「猊下が任命した軍事顧問であるレイスリッド殿の保護責任下にある者を、無断で?」

「教団・教義に不利益をもたらす者を追放したに過ぎん。俺は長司祭だ。その程度の権限はある!」


 息巻くツェルスニーの形相を見て、ラインクが長い溜息を吐いた。


「ツェルスニー長司祭。それは小都市などで、神殿に君より上位の者が居ない時の特例だ。ここは違う。例えば私だって居るし、君に近しい所ではエリュティア首司祭に相談する必要がある。被害者であるはずのセラーナ補祭が真逆の証言をしているにも関わらず、大神殿の為に複数の功績を立てているロベルクを何の相談もなく追放するというのは、些か独断専行に過ぎたな」

「そ……それは、ロベルクが宮廷魔術師と繋がっていたに違いない。あいつが手引きしたんです! 俺は間違っていません!」


 侵入者を差し置いて自己主張を繰り返す壊乱ぶりに、ラインクは落胆の色も濃く再び溜息を吐いた。彼は、騒ぎを聞きつけてやって来た者の中から一人の司祭を呼び寄せると、事態の収拾に取りかかった。


「ツェルスニー長司祭は昨今の騒動に『疲れて』いる。『心労を癒やす為に別室で休める』よう手配しろ。『疲れを押して執務に復帰』しないよう、扉の外には『看護』者を張り付けるように。あと、彼に従ってロベルクを追放した面々を割り出しておいてくれ。無実の罪で追放が行われていたり、暴行が事実だった場合は、迅速に処分を下さねばならないからな」


 司祭は頷くと、近くに居た屈強な聖兵二人にツェルスニーの両腕を抱えさせ、大声で喚くのも気にせずに連れ出した。


 その間に、レナがセラーナの肩を抱き、落ち着いているのを確認して話しかける。


「セラーナ補祭、大丈夫だった?」

「はい。襲われはしましたが、触れられたりはしませんでした。それよりツェルスニー様の仲間に殴られたロベルクの事が心配です。どこに行ってしまったのか……」


 セラーナは、ツェルスニーを投げ飛ばしたことなどおくびにも出さずにロベルクを気遣わしげな表情を浮かべた。


 一方でレナはその言葉に頷きつつ、戸口に立っている聖騎士に視線を投げかける。彼は首を横に振った。『ロベルクは大神殿の敷地内には居ない』という返事だった。


「どうやら、ロベルクが殴られて大神殿の外に追い出されたのは事実のようね。ったく、あんな可愛い子を殴るなんて……傷が付いたらどうするのよ」

「はい?」


 思わず聞き返すセラーナに、レナは内巻きの短い金髪を掻き上げながら微笑みかけた。


「大抵の人は、ロベルクの事を仲間だと思っているわ……私も彼の事、気に入っているのよ」


 レナの言葉に、セラーナは心がちくりと微かに痛むのを感じた。


 その表情を見たレナは、綺麗な花を見つけた少女のような表情を浮かべる。微かに困惑するセラーナをそのまま寝台に寝かせ、毛布を掛けた。


「色々あってあなたも疲れたでしょう。さ、今日は遅いからもう寝なさい」


 セラーナが年齢より大分幼い表情で頷くのを見届けると、レナはこの場で会議を始めようとしている男共を追い出しに掛かった。


「さあさ、セラーナ補祭を眠らせないと。団長も、いつまで女性の部屋に居座ってるんですか? さっさとみんなを連れて出て行ってください」


 男達は思い出したように「ああ、そうか……」などと呟きながら、どやどやと退室していった。


 静寂が戻る。


 最後に残ったレナは灯りを消し、扉を閉めつつセラーナに囁きかけた。


「ロベルクのことは何とかなるように、こっちで頑張るから。彼が戻ってきたら、あなたがちゃんと大事にしてあげてね」


 扉が閉じ、セラーナは暗い部屋に残された。先程、心に痛みが走った場所から、今は暖かな気持ちが湧き上がっているのを感じる。そしてそれは彼女の胸一杯に広がっていた。


(ロベルク、きっと戻ってきてね……)


 胸の暖かなものを抱き締めながら、セラーナは眠りに落ちていった。

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