いつか出逢ったあなた 12th

ヒカリ

1

 アメリカ事務所に移籍が決まりそうになって、三日。

 自宅待機を言い渡されて、夕べは光史とまこと宴会。

 今日も一人で家にいるのが落ち着かなくて…俺は本屋に向かった。



 アメリカ。


 個人的に、正直に言えば嬉しい。

 親父もいるし…なんと言っても、本場。

 でも、りく知花ちはなが微妙な顔してたから。

 そんなに手放しで喜ぶわけにもいかなかった。


 知花は一応…主婦だし。

 陸は…なんとなく、わからないでもないけど…


 でも、自分たちを試すには絶好のチャンスだと思うんだけど…な。



 行き付けの本屋にたどりついて、久しぶりにお茶の本を探す。

 ここは古いけど品揃えが豊富で、お気に入りの本屋。

 専門書の前に立って腕組なんぞしていると。


「よっ…と。」


 隣に来た女の子が、一番上の棚に背伸びする。


 そりゃ…届かないだろ。


「どれ?」


 見兼ねた俺が声をかけると、その子は。


「あ、すみません。あのキャンプの本なんですけど。」


 短い髪の毛をかきあげた。

 俺は言われた通り、キャンプの本を取る。


「はい。」


「ありがとうございます。」


「どういたしまして。」


 高校生かな。

 キャンプの本だなんて、結構マニアックな気がするけど。


 バンドがギクシャクしてるせいか、こんな些細な事さえも掘り下げようとしてしまう。



 俺はお茶の本を取り出すと、久しぶりに誰かにお茶を点てたくなった。

 いつもはルームの片隅で知花に振舞ったりするんだけど…

 今はみんなそんな気分じゃないよなあ。



「きゃーっ!!」


 突然レジの方から悲鳴が聞こえて。

 そっちに目を向けると、ガラの悪い男二人が、この店の年老いた店主に絡んでいる所だった。


「いつになったら出てくんだよ!!」


「そっそんなこと言われても、もうお金は払ったじゃありませんか。」


「利子ってもんがあるだろっ?ええっ?」


「そんな、私たちは言う通りに…」


「うるせぇっ!!」


「きゃーっ!!」


「だまれ!!」


 その男は、店主と店員の女の子に手をあげた。

 自慢じゃないが、腕力に自信はない。

 それでも見て見ぬフリは出来ない。

 とりあえず、やめるように言ってみようか…と考えてると。


「やめなさいよ。」


 俺の隣にいた女の子が、腕組をして言った。


「…なんだとぉ?」


「お金、返したって言ってるじゃない。」


「うるさい!!子供はひっこんでろ!!」


「お年寄りや女の人に手を出すなんて、信じられない。」


 おいおい、そんなこと言っていいのか?

 そして俺…

 女の子でも勇気を出して止めに入ったんだぞ?

 行くべきだろ。


 一歩足を踏み出そうとした時。


「だまれ!!」


 男が手をあげた。


「危ない!!」


 やられる!!と思った瞬間。


「うわっ!!」


 一人は、ものすごいスピードで地面に叩きつけられてた。

 今のは…背負い投げ?


 そして。


「くっそぉっ!!」


 もう一人が女の子に殴りかかったけど。


「ぐはっ!!」


 女の子は、その男の腕を取って後ろに回ると、絞め技に入った。

 その一連の動作の速くて美しい事…


「しっしっし…しししし死ぬっ!はははははなー……」


 絞められた男はあっと言う間に落ちてしまい、店内にいた俺を含む他の客達は呆然とその成り行きを眺めてしまった。


 そうこうしてるとパトカーの音。

 どうやら機転を利かした誰かが警察を呼んだらしい。

 二人の男はのびたまま、床に横たわっている。


 女の子は困った顔をして俺の隣に来て、また本に目を落とした。



「…すごいね。」


 俺が声をかけると。


「…何が?」


 って、沈んだ声。


「柔道でもしてる?」


「……」


 女の子はニコリともしない。

 男達は、やって来たパトカーに抱えて乗せられて。

 それを見届けた女の子は、本をたたんで鞄を抱えた。


「ありがとうございます!!本当に…なんてお礼を言ったらいいか…」


 店主が駆け寄って女の子の手を握る。


「この本屋さんなくなったら、困りますから。」


「本当に…ありがとう。」


 泣き始める店主。

 その様子を見ていた他の客達が、警官に『女の子が倒したんだよ』と話してるのが聞こえた。


「このご恩は、決して一生…」


「…いいですから。」


「時々こちらに来られますね。お名前を教えていただけませんか?」


「本当にいいですから。」


「ちょっと、君。」


 警官が呼び止めたが、女の子は足早にその場を去ってしまった。


 …まるで、目の前で映画のシーンが繰り広げられているようだった。

 すごかったな…あの背負い投げ。

 それに、絞め技に入るまでの動作も、無駄がなかった。

 …って、柔道に詳しくない俺が言うのもアレだけど。


 小さく笑って、再び本に視線を落とす。


 不思議な子だったな。

 あんな女の子、見たことない。


 …と。

 俺の足元に…学生証?


 俺はそれを拾って考える。

 裏を見ると、さっきの女の子の写真。


長瀬世貴子ながせよきこ


 …きれいな名前だな。


「桜花学園美術担当…」


 生徒じゃなくて、先生?

 生年月日を見ると…俺より三つ歳上。

 …高校生かと思ったのに。


 と、こうしてる場合じゃない。

 俺は本を棚に返すと、急いで本屋を出た。




 * * *




「長瀬世貴子さん。」


 公園で追いついた俺は、少しだけ大きな声で彼女に声を掛けた。

 すると、彼女…長瀬世貴子さんは、無表情で振り向いた。


「これ、落としてた。」


 俺が職員証を渡すと。


「あー……」


 呆れたような声。


「高校生かと思った。」


「…よく言われます。」


 彼女は肩をすくめて。


「色気はないし童顔だし…せめて教師らしくと思って眼鏡かけてるけど、全然だめ。」


 眼鏡を外してポケットに入れた。

 パサパサと前髪を払う仕草が、すごく…サッパリしてて、つい見惚れてしまう。



「いいじゃない。若く見られるって。」


 俺が笑いながらそう言うと。


「そうかしら。」


 彼女は俺の顔をマジマジと見た。


「あなたは、いくつ?」


「俺は、中学の頃から三つ四つ歳に見られてる。」


「…あたしと同じくらい?」


「ってことは、今の俺は27か28ぐらいに見えてるってことかな。」


「……」


 彼女は少し考えて。


「ずばり、28ぐらいだと思う。」


 って言った。

 俺は小さく笑いながら。


「あなたより、三つ歳下です。21。」


 って答えた。


「……」


 彼女が口を開けたまま目を丸くしてるもんだから、大きく笑ってしまう。

 何だか、色々印象が変わる子だなあ。



「お…落ち着いて見えるから。」


「よく言われるから全然気にしてないよ。それに、歳に見られて得することもあるしね。」


「学生?」


「いや、働いてる。」


「そう…今日は休みなんだ?」


「まあ、そんなとこ。」


「あたしは、教師二年目。」


「桜花だろ?俺の母校だ。」


「そうなの?お坊っちゃまなのね。」


「キャンプの本見てたけど、担任か顧問が?」


 あまりにもテンポ良く言葉を出してる自分に、少し驚く。

 初対面だぞ?

 いくら暇だからって…どうした?俺。



「ないけど…美術部でね、そういうのした方がいいのかな、なんて。」


 俺の自分への驚きはさておき…

 素直に答えてくれる彼女には、すぐに好感を持てた。



「最近の学生って、冷めてるから難しくない?」


「…難しい。」


 最初から笑顔ではなかったけど、彼女はより一層難しい顔付になって。


「気持ちが、伝わらないことが多くて…」


 って、ちょっとばかり弱気な声。


「どうして柔道部の顧問じゃないの?」


 俺が顔を覗き込んでそう言うと。


「…今はしてないから…」


 って、またもや元気の無い声。


「カッコ良かったけど。」


「……」


 …あれ。

 まずいこと言ったかな。

 どうも柔道の話になると、顔がうつむきがちになる。



「あ、あたしのうち、ここなの。」


 ふいに彼女が家の前で立ち止まった。


「……」


 俺がポカンとしたあと笑い始めると。


「何?」


 怪訝そうな顔。


「俺んち、ここ。」


 俺は、向いのマンションを指さす。


「…向いにいたなんて、気が付かなかった。」


「俺も。」


「あ、名前聞いてなかった。」


「…千寿。みんなはセンって呼んでる。」


「名字?」


「いや、下の名前。」


「名字は教えてくれないの?」


 何か魅かれる物があったのだと思う。

 織に出会って以来の感覚。


「次に会った時に言うよ。」


 俺がそう言うと。


「今まで一度も会わなかったのよ?これからも会わないかも。」


 彼女は意地悪そうな目付きで言った。


「遊びに来てよ。302だから。」


「え?」


「それと、世貴子って呼んでいい?」


 俺の言葉に、少しだけキョトンとした顔は。

 やっぱり…歳上だなんて思えなかったんだ…。

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