第2話:二十本のうち三本

 嫌だ嫌だと思いながら、先ほどの場所へと戻ったリリア。

 キラクは、相変わらずあの場所に留まって、くちゃくちゃと口を動かしながら、金属の腕で何やら作業をしている。

 リリアに気付いているのかいないのか、チラリとも見ずに、作業に没頭中だ。


「ねぇ、キラクさん。ちょっとお話があるんだけど」


 できるだけ丁寧な言葉で、失礼にならないように、リリアは話しかける。

 大きな金属体の中にいるキラクは、リリアが見上げなければならない高さにいる。

 キラクは、またしても無表情な顔をリリアに向ける。

 その冷ややかな目で見下ろされることが既に、リリアを苛立たせている。


「あの……、しばらく一緒にいてもいいかな? その……。作業の邪魔はしないし、いろいろ聞いたりしないから」


 リリアは、できるだけの笑顔で、できるだけのおしとやかさを装って、そう言った。

 しかしキラクは……。


「嫌だ」


 短くそう言って、リリアに背を向ける。

 リリアは、こめかみに青筋がたつのを感じながら、なおも説得を試みる。


「どうして? 本当に、邪魔はしないよ。静かにしているし……。あっ! なんなら手伝うよ?」


 リリアのこの言葉に、キラクが反応した。


「本当か?」


 ぐるりと顔を回して、リリアの顔をじっと見つめるキラク。

 あまりにじっと見られているので、少し気味悪がりながらも、リリアは頷く。


「じゃあ、あそこの花の花粉を採取してきてくれ」


 そう言って、キラクが指差したのは……。


「え……。嘘でしょ?」


 思わず、リリアはそう言ってしまった。

 無理もない。

 キラクが指差しているのは、頭上にある、棘だらけの茨で覆われた木々の間に咲く、小さな小さな赤い花だ。

 獣も鳥も寄せ付けないその木には、明らかに危険な、大小様々な鋭い棘が生えている。

 いくらなんでもそれは……。


「えっと……。どうして私が?」


 戸惑うリリアに、キラクは冷たい視線を投げつける。


「お前が俺といたい理由は明確だ。魔光式銃のエネルギーが切れたから、魔力が蓄積できるまで守ってもらおう、などと考えたのだろう。しかし、俺はそこまでお人好しじゃない。ましてや、先ほど銃口を向けられた相手なのだから尚更だ。それでもここにいたいのなら、俺の言う事を聞くのが得策だと思うが」


 何もかもを見透かしたようなキラクの言葉に、リリアは言葉がなくなる。


「なに、ちょっと上るだけだ、できるだろう? 先ほど見た限りでは、木登りは得意らしいからな」


 そう言ってキラクは、金属の腕を操作して、球体の一部を開き、そこからガラス製の蓋付き試験管を取り出して、リリアに渡した。

 金属の腕からそれを受け取ったリリアは、理不尽だがやるしかない、と自分に言い聞かせる。


「わかった。とってきたら、あなたと一緒にいてもいいのね?」


 リリアの言葉に、キラクは頷く。

 リリアは小さく溜め息をつき、それから、キッと頭上を睨んだ。


 何さ……。

 あんな棘くらい、へっちゃらよっ!






「痛いっ!」


 リリアの体は傷だらけだった。

 露出の高い服を着ているせいで、腕も足も、さらにはお腹にまで、ひっかき傷ができている。

 決して深くはないその傷だが、蚯蚓腫れになって痛々しく、上に登るにつれてどんどんと数が増えていく。

 確かに、森へ入るというのに、こんな格好で来た自分が悪いとは思う。

 だけど……。


 こんな棘だらけの、茨が生い茂る木に登れなんて、あいつは悪魔か何かに違いない、きっとそうだっ!


 リリアは、はるか下で、変わらず何やら作業をしているキラクを睨み付ける。


 だいたい、あんな強固な乗り物に乗っているんだから、自分で取りにいけばいいんじゃない……。


 そうは思いつつも、逆らえない今の自分の現状を思い出して、一心不乱に花を目指す。

 花は、こともあろうに、茨が密集する中心にある。

 まるで、木が花を守ろうとしてそうなっているかのようだ。

 森の中は嫌に静かだ。

 時折、鳥のさえずりが聞こえてくるが、その姿を確認することはできない。

 木には、当たり前のことだが、虫が沢山住んでいて、王都の暮らしに慣れてしまったリリアとしては、少々冷や汗が出る。

 リリアは、できるだけ虫に触らないよう、棘が肌に触れないように、気を付けて、気を付けて、なんとか花に手が届く場所まで辿り着いた。

 見たことのないその赤い花は、この木に一輪しかなく、とても小さい。

 リリアは、キラクに手渡されたガラスの蓋付き試験管を取り出す。

 いくら小さい花でも、試験管に入れるには大きすぎる。

 かといって、手渡された試験管を使わずに、手づかみで花を持って降りても、なんだか「違う」と言われそうだ。

 考えた末に、リリアは、花びらを一枚だけちぎって、試験管の中へ入れた。

 生物学者と言っていたのだから、植物の一部でもあれば十分だろうと考えたのだ。

 そしてまた、棘だらけの茨で覆われた幹を伝って、地面へと向かった。






 地面へ降り立った時にはもう、日が暮れ始めていた。

 傷だらけのリリアを見ても、キラクは何も言わない。

 リリアが腹を立てているのは言うまでもなく、苛々した様子で、花びらの入った試験管をキラクに渡す。


 これでようやく、安心して銃に魔力を込められる……。


 リリアがそう思った時だった。


「何てことをしたんだお前は……」


 金属の腕で試験管を受け取ったキラクが、その中身を見てそう言った。

 リリアはわけが分からずに、首を傾げる。


 言われたままに花を採ってきたのに。

 それを、命令した本人が何を言っているのだろう?


 すると、球体の中のキラクの体がわなわなと震えていることに、リリアは気付いた。

 リリアはぎょっとする。


 まさか……、何か、とんでもないことでもしでかしたのだろうか?


 いつもは強気なリリアだが、キラクの全身から溢れ出る怒りのオーラに、気圧される。


「俺は…、花粉を採取してこいと言ったんだ……。それをお前は…。花を…。あの貴重な花を……。ちぎっただと……?」


 キラクの赤い目が、リリアを捕える。

 その目はまるで、怒り狂った猛獣のようだ。

 リリアが感じ取った怒りのオーラは間違いなかった。

 キラクは、心の底から怒っている。

 それも、いつもは気丈なリリアが怯えてしまうほどに……。


「ご…、ごめんなさい……。何か、間違えた? かな? 私……」


 心臓の鼓動が速くなり、今までにないほど緊張するリリア。

 スカッチャーと出くわした時だって、これほどに緊張しなかった。

 怒りに燃えるキラクは、その体つきに似合わないほど、人に恐怖を与える。


「いいか、よく聞け……。お前は阿呆だから、この森に生きる生物の素晴らしさなど微塵も理解できないだろうが……。生態系とは、少しの変化で大きく変わってしまう。特に、さっきお前が登った木のように、一本の木に花を一輪しか咲かせないものなどは尚更だ。あの木は、あの花が枯れてしまえば、子孫を残せなくなる。即ち、今回お前があの花の花弁を一枚ちぎったことで、もしあの花が弱って枯れでもすれば、それはあの木の繁殖をお前が妨げたことになる。つまり、この森で繁栄するかも知れなかったあの木の未来を、お前は奪ったことになるんだ……。いいか? 自然とは、いかなる場合にも、人間の何倍も、何十倍も、何百倍も何千倍も何万倍も繊細で、尊ぶべき存在なんだっ! それを、お前……。ちぎるとは……。いったい、どういうことだ?」


 キラクの目が、まるで目力だけで人を殺せそうなほどに鋭く尖り、リリアは一瞬で心がズタズタに切り裂かれたように感じた。

 返す言葉もなく、立っていることがやっとなリリア。

 どう、謝ればいいのかわからない……。この場を切り抜ける言葉が見つからない……。

 絶句するリリアを前に、キラクの怒りは収まらない。

 そして、更なる事実が、キラクの怒りを増徴させる。


「それにお前……。この花弁には、花粉の一粒もついてないぞ。俺は、花粉を採取してこいと言ったんだ。なのに…、お前……。俺の言葉を聞いてなかったのか?」


 キラクの言葉にリリアは、心も体も、石のように動かなくなってしまった。

 これ以上、何かを言っても無駄だと悟ったのか、キラクは怒りを鎮める。


「もういい。お前に頼んだ俺が間違っていた。お前、もうどっか行け」


 そう言って、花びらの入った試験管を大事そうに球体の一部に仕舞い込み、リリアのことなど無視して、キラクは作業に戻る。

 リリアは、どうすればいいのか分からずに、立ち尽くす。

 思考回路が止まったままで、体は動きそうにない。

 目の前で動いている金属体が、何か恐ろしい化け物に見えて仕方がない。


 どうしよう……、どうすればいいんだろう……。


 体中が、棘によってできた擦り傷で痛む。


 どうしてこうなったんだっけ……、どうしてこんな……!?


 そして、ようやくリリアは思い出す。

 ここへ来た理由、目的、探さなければならないもの、そして……、救わなければならない者たちのことを。

 リリアは我に返る。


 こんなところで、意志喪失するわけにはいかない。

 やらなければいけない事が、私にはあるのだからっ!


 リリアは、ズタズタに引き裂かれた心を、強い意志で自己修復する。 

 そして、作業に没頭するキラクに気付いてもらうため、金属体に石を投げた。


 ゴンッ。


 鈍い音と、微小な衝撃に気付いて、キラクはリリアを見る。

 その目はまだ怒っているようだが、リリアだって負けてはいない。


「お願い。もう一度チャンスを頂戴。今度は間違えない。絶対に!」


 リリアの言葉を、キラクは無視する。

 しかし、リリアは引かない。もう一度、石を投げつける。


 ゴンッ。


 今度は、石すらも無視するキラク。

 しかし、リリアは絶対に引かない。

 石を何個も拾い集め、次々と投げていく。


 ゴンッ。ゴゴンッ。ゴゴゴゴンッ。


 そして、十個目の石を投げようとした時…。


「もうよせっ!」


 キラクの怒りに満ちた赤い瞳が、リリアに向けられた。

 さっきの怒りと、作業を邪魔され続けることへの怒りが読み取れる。

 しかし、リリアは決して引かない。

 目的を思い出したことによって、リリアの心の中は決意と責任感に満ちている。

 それに、この目の前にいる陰険な男に見下されたまま、おとなしく引き下がることなどできない。

 リリアにだって意地がある。

 本来のリリアは、頑固で、とても強気なのだ。

 もう、キラクの怒りなど全く怖くなくなっていた。

 リリアの様子が変わったことに気付いたのか、キラクは威嚇をやめる。

 決して自分から目を逸らさないリリアを見て、フンッと鼻を鳴らした。


「どうせお前はまた間違える。だから嫌だ」


 今度はキラクも、目を逸らすことなくそう言った。


「絶対に間違えない! ちゃんと、花粉だけ採ってくる! 約束するっ!」


 リリアの、今までにない強い口調に、真剣な眼差しに、キラクの心が少し揺れる。


「じゃあ……。一つ条件を加えよう。別の木を探して花粉を採取して来い」


 キラクの言葉に、リリアは内心驚きつつも、表情はいっさい変えない。


「あの木は、ここいら一帯に等間隔で生えている。俺は今晩はここで過ごす。だから、明日の朝までに、花粉を採ってここへ戻ってこい」


 キラクの命令は、正直言って滅茶苦茶だ。

 魔光式銃が使えない今、森の中は獣だらけで危険だからキラクのもとにいようと考えたのに、そのためには夜の間にさっきと同じ種類の木を探し、さらには先ほどのような棘だらけの茨の幹を登らなければならないとは……。

 けれど、リリアに迷っている余地はない。

 どうしたって、魔光式銃は使えないのだ。

 魔力を溜めようにも、安心してジッとしていられる場所などない。

 だったら、一か八か、一晩だけ寝ずに動き回って、キラクと一緒にいるための条件をクリアすること以外に自分にできることなどない。

 それに、スカッチャーは木には登れない。

 ましてや、あんな茨に覆われた棘だらけの木なんて、他の獣も登らないだろう。

 かえって好都合だ。

 リリアは、持ち前のポジティブシンキングで、頷く。

 キラクは、試験管を三本、リリアに渡した。

 暗がりで動くのだから、落として割れてしまうことを想定したのだろう。

 幸い、まだ日は沈み切っていない。


 なんとか、日の光があるうちに、あの木を見つけなくては……。


 キラクの無表情と、冷たい視線を背に、リリアは森へと駆け出した。






 日はすっかり沈んでしまって、空には月が出ている。

 この世界特有の、青く輝く月だ。

 リリアは、茨の生い茂る棘だらけの幹にしがみつき、一心不乱に登っていた。

 キラクの言った通り、確かに、目的の木はこの辺り一帯に等間隔で生えているのだが、全ての木が花をつけているわけではないという事に、リリアは気付いた。

 もう、かれこれ五本目の木に登っているのだが……。

 夜になり、暗いせいもあって、今登っている木に花があるのかどうかわからない。

 しかし、あまり長時間、地面に下りていることは危険だ。

 体力の持つ限り木に登り続けようと、リリアは決心していた。


 リリアは幼い頃から、体力にだけは自信があった。

 村の同じ年頃のどの子どもよりも元気で、風邪なんて一度もひいたことがない。

 そして、その体力のおかげで、王都の保安官になれたのだ。

 しかし、魔法使いの一族に生まれながら、魔力はさほど持ち合わせていない。

 そういったことはよくあることで、決して珍しくはない。

 いわば、魔力なんてものは、個人の能力と同じようなものだからだ。

 話すのが得意な者がいれば、苦手な者もいる。

 絵を描くのが上手い者がいれば、下手な者もいる。

 それと同じで、魔力の保有力にも個人差がある。

 だから、魔力の保有力の高い者にしてみれば簡単な、魔光式銃の魔力を満タンに溜めることすら、リリアにとっては大仕事なのだ。


 そんなリリアが、王都の保安官になった理由。

 それは、村を支えるためだった。

 リリアの出身である、シーラ族が暮らすポルカ村は、なんといっても貧しい。

 自給自足には限界があり、かと言って、王都から物資を調達するには金が足りない。

 だから、若者たちはみな王都へ出稼ぎに出る。

 リリアもその一人だった。


 王都の保安官の仕事は二種類ある。

 一つは、制服に身を包み、国王直属の兵隊として、国のあらやる場所の警護や要人の守護に当たる、国家保安隊に所属する保安官。

 毎月一定額の給料が支払われ、中流階級の暮らしが約束される。

 しかし、国家保安隊に入隊するには、ある一定量の魔力を有していることが、あらかじめ条件とされている。

 そのために、リリアは国家保安隊への入隊を諦めざるをえなかった。

 そして、リリアが選んだ道が、もう一つの保安官という仕事の有り方だ。

 国の定めたある程度簡単な試験に合格し、保安官のライセンスを与えられた、どこにも無所属のフリーランスの保安官。

 個人で行動する者もいれば、複数でチームを組んで動く者たちもいる。

 フリーランスの保安官と言えば聞こえはいいが、実際は、よくある賞金稼ぎのようなものだ。

 毎月決まった報酬が出るわけではなく、犯罪者リストをもとに、様々な犯罪者を現行犯逮捕し、王都の中央保安局に連行すれば、働きに応じた報酬が支払われるという仕組みだ。

 ただ、普通なら手に入らないような高額の魔光式銃が、ライセンスを有していることで無償で手に入る。

 手っ取り早く大金を稼ぐ方法としては、案外人気の職業なのだ。

 フリーランスの保安官は、国家の大変革が起きた三十年ほど前に、増えるであろうと予想された犯罪者を取り締まるために作られた制度だ。

 実際に、ここ数十年の中では、王都を初めとし国中が犯罪で溢れている時代が来ている。


 リリアは正義感が強い。

 そして何よりも、貧しい故郷の村にはお金が必要なのだ。

 魔力をさほど持っていないリリアにとって、フリーランスの保安官は天職となった。

 リリアは、魔力のなさを有り余る体力でカバーした。

 いつも一人で行動し、誰よりも動き、誰よりも鍛え、誰よりも戦い、誰よりも働いた。

 だから、根性だけは、充分すぎるほど持ち合わせている、それがリリアなのだ。


 真っ暗で、周りがよく見えなくたって、獣が周りに沢山いたって、棘による無数の擦り傷が痛んだって、リリアには関係ない。

 意地と根性だけが、リリアを動かしていた。






 夜が明けた。


 いつの間にか、キラクは眠ってしまっていた。

 太陽の光を受けて、眩しそうに目を細める。

 手元にある袋の中身が空っぽになっているのを見て、おもむろに新しい袋を開ける。

 これはいわば、現代で言うスナック菓子のようなものだろう。

 くちゃくちゃと口へ運び、昨日の作業の続きをやろうと、手元のコンピューターを操作し始める。

 すると、背後でガサガサと音が鳴っていることに気付く。

 どうせまた、スカッチャーか何かだろうと、つまらなさそうに後ろを振り返る。

 そして、その赤い瞳に映ったのは、傷だらけ、泥だらけのリリアだった。


 リリアは、疲れ果てた顔でニヤリと笑っている。

 その手には、三本の蓋付き試験管。

 何も言わずに、キラクは、金属の腕でそれらを受け取る。

 そして、驚いた。

 三本の試験管全てに、キラクの求めていた花の花粉が入っているのだ。

 キラクの調べでは、この辺りに立っているあの木で花をつけていたのは、目の前にある木の他には一本のみ。


 もしや、一本の木の花から試験管三本分の花粉を採取してきたのか?


 キラクは、リリアを見る。


「へへっ……。全部で二十本の木に登った。そのうち、花が咲いていたのはたったの三本。あんた……。本当に、鬼だ…、ね……。」


 言葉が終わらないうちに、リリアは意識を失った。

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