とりあえずハイキック

木天蓼 亘介

第1話 それは、初恋の『終わりと始まり』のはじまり

 それは夢のような出来事だった。

 あまりに非現実すぎて、当事者のくさかどいつきにとっても目の前で起きていることが夢なのか現実なのか理解できないでいた。

 樹はまだ中学を卒業したばかりの、黒縁の眼鏡がトレードマークの、いまだに小学生に間違われることがある小柄な子だ。

 樹は事情で夕方から深夜にかけて道路工事の現場でアルバイトをしていた。

 高校の入学式を数時間後に控えたその日、バイトを終え作業着のまま急いで家に帰る途中、困った様子の数人のサラリーマンから道を尋ねられた。

 聞けば、地方から出張で来たのだが、深夜まで飲み明かして終電を逃してしまい、始発で地元に帰るため最寄り駅まで案内してほしいと言う。

 アルバイトでこういう男たちに接することに抵抗がなかった樹はそれを快く引き受けた。

 そして、人気ひとけのない路地裏に誘い込まれてしまったのだ。

 彼らの目的は金品だった。

 お金は持っていない。そんな樹の言葉は聞き入れてもらえず、そして複数の男に抵抗できるすべなどあるはずもなく、助けを呼ぼうとしたスマホもあっけなく取り上げられた。

 だが、それで終わりではなかった。

 本当の恐怖はここからだった。

 本当に金品の持ち合わせがないと分かると、男たちは樹の手足をがっちりと押さえつけ、その様子をスマホで撮影しながら服に手をかけた。

 全裸を撮影し、それをネタに金を持ってこさせようと言うのだ。

 抵抗しなければ最悪の事態が待っていることは樹にもわかっていた。

 だが、恐怖のあまり声を出すことさえできない。

 男たちの手が服を脱がしにかかった。

 その時だった。

 ‶ドゴっ″

 突然鈍い音が鳴り響き、スマホで撮影していた男が倒れた。

 「え?」

 足を押さえていた男たちが後ろを振り返るのと、その顔に続けざまに蹴りがカウンターで入ったのがほぼ同時だった。

 男たちは糸が切れた操り人形にように、その場に崩れ落ちた。

 そしてその後ろには、トレーニングウエアに身を包んだ人が立っていた。

 フードを被りマスクをしている為その人相も、いや性別さえも分からない。

 だが、その出で立ちからジョギングの途中なのだろうということは想像できた。

 そしてその人物は、無言のまま足元に落ちていた、晶を撮影していたスマホを拾い上げポケットに収めた。

 「・・・て、てめぇ、ふざけんなっ」

 樹の腕を押さえていた男たちが襲い掛かる。

 だが次の瞬間、男たちはビルの壁に叩き付けられ、アスファルトの上に落ちるように倒れていた。

 「え?今なにが起きた?」その様を樹はただ呆然と見ていた。

 その人の手足が物凄い速さで動き、男たちを瞬殺したであろうことは分かる。

 だがそれは樹の、つまりは人間の目が捉えることが出来ないほどの速さだった。

 それに気を取られた樹が我に返ると、その人は無言のまま目の前に立っていた。

 「!!」

 そして、怯える瞳で見つめる樹に覆い被さるように身体をかがめてきた。

 「うぅっ」

 目を閉じ、両腕で頭を覆い、顔を逸らしながら唇をぎゅっと噛む。

  そんな怯え震える眼前まで顔を近付け、その人はこう言った。

 「ケガはない?」

 「え?」樹は思わず顔をあげた。

 「・・・はい」

 「取られたものはない?」

 「・・・す、スマホ、・・・その人に」樹が倒れている男の1人を指さす。

 するとその人は、その男の所へ行き背広のポケットをまさぐり始めた。・・・そして、

 「これ?」

 1台のスマホを見えるように差し出した。

 それは、間違いなく自分のスマホだった。

 樹が‶こくっ″とうなずくと、その人はスマホを手渡しながらこう言った。

 「立てる?」

 「はい」と樹が立ち上がった瞬間、

 「走るよ、ついて来て」

 その人は樹の腕を掴み、いきなり走り出していた。

 (え?え?え~~~~~っ)

 樹はワケがわからなかった。

 しかもその人は走るのがメチャメチャ早く、運動音痴の樹はついていくのも必死で、いつ転んでもおかしくないほどだった。

  でも、今はこの人についていくしかない。

 樹は死に物狂いで走った。

 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 ようやく止まった時には、息は完全にあがり、心臓は爆発寸前だった。

 あまりに必死で周りの景色など見えていなかったその目に飛び込んで来たのは、バイトの生き帰りに、いつも前を素通りしていた駅前の交番だった。

 2人は中に入るとベンチに座った。

 と言っても樹は完全なノックアウト状態で、ベンチの上に倒れこむように寝転がっていた。

 パトロールにでも行っているのか交番の中は無人で、その人は樹の為に交番内に置かれている固定電話でわざわざ呼び出しの電話をかけてくれた。

 そして、

 「落ち着いた?」

 と話しかけながらフードを掴み後ろに落とした。

 「!!」

 その顔を見た瞬間、樹から恐怖も疲労も吹き飛んでいた。

 そこにいたのは、艶やかな黒髪を後ろで束ねたポニーテールが凛々しい、文字通り絵に描いたような、性別を超越した美しさとカッコよさを合わせ持った人間だった。

 「・・・あ?え?え~と、はい、大丈夫です」

 その瞬間、樹はピンと背筋を伸ばし、ベンチの上に正座してそう答えていた。

 「我慢はだめだよ、気持ちが悪いのなら救急車よぶから」

 そう言いながら窓越しに外を見ているその人の横顔に見とれながら、樹は思い切って声を掛けた。

 「あ、あの、・・・お名前は?」

 「あ、お巡りさん」

 樹の声はその人の声に掻き消されていた。

 つられるようにその視線を追うと、2人の警官がことらに向かって走って来るのが見えた。

 「じゃあ、ボクは行くから」

 その人はそう言いながらスっと立ち上がった。

 「え?」

 驚いた様子の樹にポケットから取り出したスマホを手渡しながら、

 「これを見せれば大丈夫だから」

 そう言って、スマホを受け取った手をぎゅっと握る。

 「・・・・・・・・あ、はい」

 あまりの急展開に、樹はもうワケもわからず、自分の手を握るその手をじっと見続けていた。

 その手は、傷ひとつない綺麗な顔からは想像できないほど鍛え上げられた、まさに格闘家の拳だった。

 「あ、ボクがあいつらを倒したことは内緒にして」

 「え?」

 「じゃ、今度から気を付けるんだよ」

 そう言い残すと、その人は交番を出て、警官が来るのとは逆方向に駆けて行った。

 「え?ちょ、ちょっと待って・・・」

 樹は慌てて後を追いかけようとした。

 「待って」

 その前に、まだ二十代前半とおぼしき婦人警官が立ち塞がった。

 「電話をしてくれたのはあなたね?逃げなくてもいいのよ。あなたは被害者なんだから。大丈夫、私たちがついているからお話を聞かせて」

 その隣では、男性警官が無線で無事に保護したと誰かに報告していた。


 

 それから数時間後、もう夜も明けた頃に樹はパトカーに送ってもらい帰宅していた。

 樹を襲った男たちは、スマホの映像が決め手になり逮捕された。

 彼らはこれまでにも出張の度に同様の犯行を繰り返していたらしく、スマホには彼らが犯して来た全ての悪行が記録されていた。

 ちなみに警官が犯行現場に駆け付けた時、犯人たちはまだ気絶していたそうだ。

 皆、手足やアバラや肩甲骨を骨折し、なかには頬骨や眼底骨まで折れていた者までいたらしく、全員警察病院に入院したらしい。

 樹は自分の部屋にたどり着くと、崩れ落ちるようにベッドに倒れこんだ。

 だが、樹は元気だった。

 身体は疲れ果てているはずなのに頭は冴え、精神が高揚し興奮状態だった。

 枕を抱きしめベッドの上をごろごろと転げ回る。

 樹は雲の上にいるかのような気分だった。

 もちろん頭の中はのことで一杯だった。

 ‶まさかあんな人が現実の世界にいるなんて″

 性別を超越した綺麗な顔立ちの空手(多分)の達人。しかも優しい。

 そんな人間はマンガやアニメの中にしか存在しないと思っていた。

 生まれ育った年月=オタク歴の樹にとってそれは、今まで生きてきた中で最大の衝撃だった。

 婦人警官に話を聞かれていた時も、パトカーで送ってもらっている間も、樹はずっとうわの空だった。

 はっきり言って、婦人警官と何を話したか記憶がない。

 そんなことはもうどうでもよかった。

 それほどまでに心の中はあの人のことで一杯だった。

 さっきから頭の中で、自分の手を優しく握って微笑んでくれた、その笑顔をず~~っと脳内再生し続けている。

 それは樹にとって、間違いなく生まれて初めての、現実の人間を好きになった初恋だった。

 「・・・あの人、なんて名前なんだろう?」

 そう。それはまさに天国と地獄だった。

 「あ~~、なんで名前聞かなかった?自分のバカ。どうすればいい?

 どうしたらもう一度会える?捜索願を出す?・・・それには名前が分からないと。

 そっか、今夜バイトの帰りにまたあの路地裏に行けば・・・って、何言ってんだ?自分」

 ‶ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリっ″

 ドキっ。

 突然鳴り響いたベルの音に、樹はあっという間に現実に引き戻されていた。

 それは目覚まし時計だった。

 樹は慌ててそれを止めた。

 そして自分が作業着姿なのに気付いた。

 樹は大慌てでシャワーを浴びると、おろしたての制服に袖を通し、

 「行ってきます」

 そう言い残し、玄関にカギを掛け、学校に向けて自転車で駆け出していた。


 

「はぁ、はぁ、ふぅ。ギリギリセーフ」

 始業の鐘が鳴る中、やっとの思いでたどり着いた学校は、物凄い数の人で溢れていた。

 自転車を止め、駆け付けた校門の前や、校庭の桜の木の下では、新入生とその保護者たちが記念撮影をしている風景があちらこちらで見られ、どこに誰がいるのかも分からないほどの混雑ぶりだった。

 その時、

 「新入生は掲示板に貼られたクラス分け表を見て、各自、自分の教室に移動してください」

 先生らしき人が大声でそう言うと、校門の周りにいた人たちも一斉に大移動を始め、樹も慌ててそれに従った。

 だがも、とんでもない数の人だかりが出来ていた。

 生徒だけならともかく、その保護者もいるうえに、貼りだされた自分の名前をスマホで撮る者や、貼りだされた名前を子供に指ささせて撮影する親もいて、掲示板の前は押すな押すなの大混乱になっていた。

 とりあえず自分が何組か確認しとこう。

 樹は人混みを掻き分け掻い潜り、なんとか掲示板の前に出た。

 「え~~っと、何組かな・・・」

 ‶どんっ″

 その時だった。

 樹に、やはり掲示板しか見ていなかった男子が、かなりの勢いでぶつかっていた。

 「あ?」

 完全に不意をつかれた樹は、そのまま弾き飛ばされ転んでいた。

 それは、かけていたメガネが耳から外れて落ちるほどの衝撃だった。

 (あ、メガネ)

 慌ててを拾おうとしたその刹那。

 ‶バキっ″

 突然視界に飛び込んで来た足に、メガネは木っ端微塵に踏み潰されていた。

 「あ、ごめん。後ろから押されて・・・」

 「め、メガネが~~っ」

 樹は思わず、メガネを踏んだ相手を睨み付けるように顔を上げた。

 そして、バツが悪そうにこちらを見る相手の顔をみた。

 「え?」

 「あ!!」

 その瞬間、2人は同時に声をあげていた。

 樹のメガネを踏んだのは、ほんの5時間前に自分を助けてくれた、あの王子様だったのだ。

 「大丈夫?立てる?」

 優しく微笑みながら差し出された手を握り、引き上げられるように立ち上がる樹。

 そして、

 「え?」

 「え?」

 2人は、なかば呆然と互いを見ていた。

 何故なら、2人とも女子の制服を着ていたからだ。

 そして樹は、ちょうど目線の先にある、自分より頭半分背が高いその人の胸を見ていた。

 それは、制服の上からでもハッキリとわかるぐらい大きかった。

 「なに、ボクの胸に何かついてる?」

 樹の視線が気になり自分の胸を見下ろす王子様。

 次の瞬間、樹は両手を伸ばして王子様の胸に触っていた。

 「!!」

 全く予想だにしなかった樹の行動に驚いた王子様は、ほぼ無意識に、条件反射的にその手を払い落としながら、樹のに膝蹴りを繰り出していた。

 (だめっ)

 王子様は瞬時に我に返り、飛び出そうとしていた膝をパンっと叩いた。

 その刹那、膝は止まったが、それが下にさがる途中で、スカートの上から樹の下腹部に軽くなぞるように触れていた。

 「!!」

 その瞬間、互いの手と膝に伝わる感触に驚きながら、

 「ある」と樹。

 「ない」と王子様。

 そして2人は互いの顔を見つめ同時にこう叫んでいた。


        あなた

 「「え~~っ‼   女の子だったの?」」

         君

 「「え?」」

 と互いの言葉に互いに驚く2人。

 そして、その言葉はさすがにマズいと思ったのか、王子様が一生懸命、樹のフォローを始めた。

 「えっと、いや、その、作業服姿が可愛くて。ウチのにくたらしい弟たちとは比べものにならないぐらい可愛いから、可愛い男の子だなぁって思ってて、なんで女子の制服着てんだろって不思議に思ったんだけど、まさか女の子だったとは・・・」

 だが、そんな王子様の言葉も樹の耳には届いていなかった。

 樹はその手に残る感触を確かめるように言葉を絞り出した。

 「この張りと弾力は間違いなくホンモノ。しかもデカい・・・あなた本当に女の子なの?」

 「うん。まあ・・」

 「うそ。本当は男子で女装コスしてるんでしょ?」

 樹の手が王子様のスカートのすそを掴みめくろうとする。

 「な、なにするの、変態」

 だが、その手を2度振り払われても、樹はまだ食い下がっていた。

 「本当の本当に女の子?・・・その、あの、その、・・・付いてるんじゃないの?」

 「・・・ついてるって、なにが?」

 「その、男の子の・・・」

 「あ、アホかっ」樹の質問の意味を理解した王子様の頬がぽっと赤く染まった。

 「誰がアホだ」

 「君だ。そんなん付いているわけがないだろ。そ、そりゃ、あったらいいな、生えて来て欲しいなって思ったことはあったけど・・・」

 「え?」

 「あ、いや、違う。その、と、とにかくボクは正真正銘の女の子だっ」

 その瞬間、樹の時間が止まった。

 「・・・うそ」

 「ホント」

 「エイプリルフール?」

 「一週間前に終わった」

 「どっきりカメラ?」

 「どこにカメラあんの?」

 「あ、わかった。私、昨日はあなたが男の子の世界にいたんだけど、今朝、目ざましが鳴ると同時にあなたが女の子の、このパラレルワールドに飛ばされて・・・」

 「中2病か」

 その刹那、樹は膝からガクっと崩れ落ちていた。

 「終わった、なにもかも」

 彼女の心は木っ端微塵にへし折られていた。

 まさか初恋がたった5時間で終わるなんて。

 「大丈夫?」

 王子様、いや、お姫様がしゃがみ心配そうに声を掛ける。

 「ううん、だめ」

 「え?」

 「私はもう死んでいる」

 樹は目の前が真っ暗になっていた。




                                〈つつ”く〉

 

 

 

 

 

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