前回シャットダウンした恋を今すぐ再起動します。よろしいですか?

スリーアローズ

Scene1 再会は突然の稲妻のように

「ところで、ひとつ、おうかがいしてもよろしいですか?」

 彼女が尋ねてきたのは、個別面談がまさに終わろうとした時だった。

「橋田さんって、ご出身は、島根ですよね?」

「え、ええ、そうですが」

 僕はそう答えながら、彼女の顔をきちんと覗き込む。黒くてキラキラした瞳、今にも笑い出しそうな口元。割れる寸前のくす玉のようでもある。

「ひょっとして私の勘違いかもしれませんけど、私、橋田さんのこと、ずっと前から知っているかもしれません」

 そう言われてみると、どこかで見覚えがあるような顔の気もする。今度は首から提げているネームプレートに目をる。


 山野真砂子

 ヤマノマサコ・・・・・・


 その時、記憶のデータベースの中で、これと同じ名前がヒットする。高校時代の1学年下の後輩に、山野真砂子という子がいた。三つ編みの、大人しい女の子だった。 

 改めて、彼女の顔を真正面から捉える。

 だが、目の前に座っているのは、ハイセンスな化粧をし、ふわりとしたショートヘアを感じよくまとめ、アイボリーのブラウスを着た、優秀な塾の講師だ。

「高校時代の後輩に同じ名前の人がいましたが、それ以外には、ちょっと心当たりがありませんね」

 僕は慎重に答える。

 すると彼女はきりっとしたまぶたを大きく開け、くす玉が割れた時のような声を上げる。

「そうです、北浦高校の山野です。橋田先輩ですよね、お久しぶりです! 覚えていてくださって、すっごくうれしいです!」

 その、陽光をふんだんに浴びたミカンみたいな表情を見た時、心のスクリーンには、セーラー服を着た山野真砂子の姿がおぼろげながらに再現されてくる。

「ちょ、ちょっと待って、なんで君はここにいるの?」

「なんでって、この塾に就職したからですよ」

 的確な回答だ。


 僕たちの母校である北浦高校は、島根県の北部に位置する、いわば田舎の普通高校だ。そこを出た2人が、十数年ぶりに、しかもこの姫路で再会したわけだ。

「信じられない」

 僕は唾をひとつ飲み込む。

「私だって信じられないですよ。でも、面談が始まった瞬間から、橋田先輩だって気づいてましたよ。だから、すごく緊張してたんです。ちゃんと務まっていましたか?」

 彼女は、はちきれんばかりの感情を必死に抑えようとしながら、僕の顔を覗き込んでくる。高校の後輩の顔と塾の講師としての顔が、交互に見え隠れする。

「とても分かりやすい面談だったよ。娘からも山野先生の評判は聞いていたから、すっかり安心しきってしまって、まさかあの山野さんだったとは全然気づかなかった」

 自然と体は彼女から遠ざかっている。


 高校3年生の冬、彼女から手紙をもらったことがある。

 それはちょうどラグビーの全国大会予選の直前で、最後の試合にかける僕への応援メッセージが丁寧な文字と言葉で綴られていた。それを読んで、ぐっと闘志がわき上がってきたことは今でもはっきりと思い出すことができる。

 しかし、僕たちのチームは、大勢の観客が見守る中、決勝戦で負けてしまい、花園ラグビー場で行われる全国大会へは出場できなかった。

 それで僕は、ノーサイドのホイッスルと同時に、たちまち受験生へと鞍替えすることになった。最終的に、僕は名古屋の私立大学に入学した。たしか第3希望くらいだった。

 とりあえず入試を終え、ほっとしている時、彼女からまた手紙をもらったが、それがどういう内容だったかは、ちょっと覚えていない。

 だが、あの後僕たちは2人で水族館に行くことになった。それまで女の子と付き合ったことなどなかった僕にとっては、初めての2人きりでの外出だった。

 当時好きな女の子はいた。それも、かなり情熱的な恋に落ちていた。だがその恋が成就することはなく、ことごとく振られてしまっていた。逆に、僕に好意を寄せてくれる女の子も他にいたが、あの頃僕は、自分が好きになった女の子としか付き合えないと固く思い込んでいた。

 山野真砂子も僕のことを思ってくれた数少ない女の子の1人だった。

 彼女に対して恋心を抱くことはなかったが、それでも高校時代の最後に、一緒に水族館に行ったのは、彼女への感謝があったのだと思う。

 山野真砂子は、僕が大学に入った後も何度か手紙をくれた。だが、僕はそのうち彼女のことを忘れてしまった。名古屋での生活は、数えきれぬほどの新しい刺激に満ちていたのだ。


「何度も言いましたけど、夕薫ゆうかさんはほんとに有望なので、前向きに情報交換しながら進路選択をすすめていきましょう」

 山野真砂子は先生の表情に戻って話をまとめにかかる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 僕も保護者の表情に戻らざるをえない。

「何かあれば、私の携帯に電話してください。もしかすると塾の方からも連絡することがあるかもしれません、その時には、どうぞよろしくお願いします」

 彼女は中腰になって、アイボリーの名刺を両手で差し出してくる。

 そこには、「山野真砂子」と太字のゴシックで書かれた横に、リクルートスーツを着て、いっぱしの職業人然とした姿で撮影された写真もプリントされている。

 名刺の中の山野真砂子を見ながら、僕はそれを札入れの中にそっとしまい込む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る