第449話 お馬さん

 昔々のお話なんですけど。

 といっても、私が社会人一年目の時のお話なので、まぁ10年ちょっと(ちょっとどころではないけど)前のお話なんですけども。


 会社の先輩に馬主さんがいたんですよ。

 

 びっくりでしょ?

 しかも若い女の人なんですよ。


 そこ、営業部でして、営業って契約を取れば取っただけマージンが入るものですから、成績トップの先輩(馬主先輩とは別の人)なんかはベンツに乗ってるわ時計はロレックスだわで、もうすごいわけです。

 なので、成る程、稼げば馬も買えちゃうんだ、この仕事! なんて思ってですね。


 とりあえずその先輩がどのような経緯で、そしておいくら万円でそのお馬さんを購入したのか等はさすがに聞けなかったんですけども、お休みの日に仲の良い同期とその先輩とで、お馬さんのいる牧場に行こう、という話になったわけです。


 私、北海道民ではあるんですけども、牧場にはあまり縁のない地域といいますか、『○○牧場』という場所はあるんですけども、馬が2頭くらいしかいない上にレストランがメインみたいな牧場だったりするものですから、乗馬体験が出来るような大きな牧場に行くのはたぶん初めてでドキドキしたものです。やべぇ、めっちゃ北海道、とか思ってたような気がします。


 で、牧場に着きますとですね、先輩が奇声を発しながら自分のお馬さんに駆け寄るわけです。キャー! 会いたかったー! みたいな。もうすごくそのお馬さんのことが大好きなんだな、って端から見ても思うんですよ。何か遠距離恋愛中の恋人同士みたいだな、って。札幌から結構離れたところにあるので、休みの度に来るとか難しいんですよ。ましてや当時は休日出勤が当たり前でしたから。


 そんで先輩は会えなかった時間を埋めるように愛馬に乗ったり、ブラッシングをしたりするわけですよ。我々も乗せてもらったり(有料)、まぁ冗談混じりに「君たちも馬買う? ここで面倒見るよ?」みたいな営業をかけられたりしてですね、楽しい時間は過ぎていくわけです。


 帰りの車の中でだったか、その牧場内でだったかは忘れたんですけども、その先輩は自分のお馬がいまのところそこそこ良い成績をおさめていることを話してくれまして、そこでその馬が競走馬であることを知ったわけです。ただ単にちょっとデカくて自宅で飼えないペットというわけではなかったのです。


 何事も勝負の世界は厳しいよな、なんていまの自分(営業)と重ねたりして。


 その時は競走馬の一生なんて全然知りません(いまでも漫画でちょろっと知った程度)でしたし、何となく、レースに出られなくなっても余生はのんびり隠居したら良いじゃないなんて思ってたんですけど、維持費がかかるわけですよね。人間の場合、引退したアスリートも指導者や解説者になるなどしてまだまだその道に関わっていられるというか、それで食いぶちくらいは稼げるじゃないですか。でも、馬はそうもいかないんですよね。

 シビアな世界だよなぁ、なんて思ったりして。

 

 それからその先輩は愛馬のためにも頑張らないと、ともりもり働いて、たまの休みにまた会いに行って、何か嬉しそうだなって思ったらまた良い成績をおさめたらしくて、と、そんな感じの日々を過ごしておりまして。


 そうなるとちょっと羨ましくなるわけですよね、馬。誰かのために頑張る、ってやっぱり良いもんだなぁとか思ったりして。まぁそれでも「そんじゃ私も馬買います!」とはなりませんでしたけど。


 そんなある日、その先輩がですね、もうニッコニコだったんですよ。元々いつもテンション高めで元気いっぱいの明るい先輩なんですけど、それがもうはち切れんばかりにニッコニコだったのです。

 

 これはものすごく良いことがあったに違いない。そう確信を持って「何か良いことあったんですか?」と聞いたわけです。


 すると。


「めっちゃ良い値段で売れたのー!」と。


 え? 何が?


「『リリィ・オブ・ザ・バレー(馬の名前、もちろん仮名)』、高値で売れたぁ! 最近成績良かったから~!」


 えっ?


 その時はもう衝撃でしたよ。

 私、ちょっと夢を見てたといいますか、どこかでまだ先輩は『金のかかるちょっとデカいペットを飼ってる』みたいな感覚だったんですよ。まさかこれまで手塩にかけて、愛情をたっぷり与えて育ててきたのが『高値で売る』ためだと思わなかったのです。


 その場では「ウワー、おめでとうゴザイマスー」って返したんですけど、すみません先輩、私勝手に衝撃を受けて、勝手に幻滅してました。そういうものなんですかね、お馬の世界って。

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