第69話 本性



 僅かな沈黙が下り、二人揃って残りの茶を飲み干した頃、窓の向こうに駆けて来る螢月けいげつの姿が見えた。

 取り次ぎを請う前に祇娘ぎじょうを外へやり、すぐに螢月を迎え入れる。

「お早うございます、王后様」

 梅の枝を抱えてやって来た螢月は、明るい声で朧玉ろうぎょくへ挨拶を告げた。

りんさんがってくれたんです。祇娘さん、活けて頂けますか?」

 そう言って、抱えて来た梅の枝の花振りがいい方を選んで祇娘に差し出す。受け取った祇娘は頷き、丁度よい花瓶を探す為に部屋を出て行った。


 林というのが誰のことかと思えば、親しくなった園丁なのだという。野生の草花に詳しい螢月と、庭園の手入れをして長い老人は馬が合い、よく話をするのだとか。

「螢月は本当に花が好きなのだな」

 そう言って鴛翔えんしょうは微笑み、螢月の小さな手を取り上げる。

「だが、土いじりはほどほどにせよ。口さがない者がまたなにくれと言ってこよう」

 爪の間に土汚れが入っていることを指摘され、螢月はパッと頬を染める。

 見つからないようにこっそりしていたのに、鴛翔は目敏い。気づかれていたとは思わなかった、と少しバツの悪そうな顔をすると、優しく頬を撫でられる。

「螢月らしくて、わたしは好もしいがな」

 初めて会ったときも、螢月の手は薬草の匂いがした。忙しく働くこの小さな手は、働き者らしく汚れて傷つき、今のように艶々とはしていなかったが、その方が鴛翔には好ましく思えていた。

 蕩けるような笑みで囁かれ、螢月も照れ臭そうに微笑み返す。


 なんとも甘ったるいやり取りだ、と朧玉は腹が膨れるような気分になった。

 これだけ睦まじいのだから、世継ぎはすぐにも生まれそうだ、と嬉しい期待に胸を膨らませるのは言うまでもない。今暫し待てと言われはしたが、本当にそう遠くないことのような気がする。


「そちらの枝はどうするのだ?」

 蕾が多いものをもう一本抱えているのを見て、鴛翔は首を傾げる。

 これからしばらく出かけてしまうのだから、自室に飾っておいても、戻る頃には咲き切って散ってしまっているだろう。

「これは、月香げっかに持って行こうと思って……」

 懐かしそうな表情で零されるのへ、そうか、と鴛翔は頷いた。

 半年ほど前にこの後宮を騒がせ、流刑の身となった少女は、その華やかな外見と見合って綺麗なものが大好きだった。

 きっとこの花も喜ぶだろう、と螢月は言う。なにせ珍しい色の花を咲かせる梅だ。

 そうだな、と鴛翔は同意してやり、朧玉も曖昧な笑みを浮かべた。


「では、なるべく長持ちさせるようにして持って行かねばならぬな」

「そうなのです。それも林さんから教えて頂いて」

 とても物知りで親切な人なのだ、と林のことも褒めながら、螢月は嬉しそうに笑う。

「だから準備をしなくちゃ。先に戻っていますね」

「ああ。わたしもすぐに行く。ついでに潤啓じゅんけいに、そろそろ出立だと伝えておいてくれ」

 頼まれごとに頷き、朧玉へと向き直る。

「お騒がせ致しまして申し訳ありません、王后様」

「よいよい。道中気をつけて行くのだぞ」

「はい、ありがとうございます。失礼致します」

 丁寧に頭を下げ、急ぎ足で退出して行く。


 意外にそそっかしいところのある螢月の後ろ姿を見送りながら、途中で転ばなければいいが、と苦笑する。

 そんな朧玉の心配そうな横顔を見て、鴛翔は微かに笑う。それに気づいた朧玉は僅かに肩を竦めた。

「螢月の首の傷は、すっかりと痕が残ってしまったな。可哀想に」

 結い上げることがなく背に揺れる髪を眺め、話題を変えるように朧玉は呟いた。

 人目につきにくい場所だから気にしない、と言ってはいたが、やはり気になっているのだろう。いつも襟はきっちりと合わさり、髪は上の方を一部結うだけで垂らしている。

 元々肌を出すのは好きではないらしく、地味で控えめなふくばかり着ていたので違和感はないが、世太子妃としては控えめに過ぎる。本来なら髪は美しく結い上げていくつもの歩揺かんざしを軽やかに揺らし、薄絹の襦裙きものを纏ってもう少し肌を見せるのが好ましい。

 陽に焼けて黒かった肌も、手入れをしているうちに本来の白さを取り戻したのだし、見せないのは勿体ない、と残念にも思う。

 それに、あの地味な装いには弊害がある。


「あれだとまた新入りに下女だと間違われるぞ」

 螢月が後宮に来てから既に三度ほど、新入り女官が下女だと勘違いして仕事を言いつけてしまった事件を起こしている。

 妃嬪暮らしに退屈している螢月も断らずに仕事を請け負ってしまうものだから、それでまた騒ぎが大きくなってしまうのだ。まったく困ったものだった。

 働き者であるところが螢月の美徳ではあるが、そろそろ自分の立場を弁えることも考えて欲しい。大変なことしてしまった、と震え上がる新人女官を叱るにしても、螢月にも原因があるのだから気不味くて仕方がない。

 先日、螢月の入宮以来頼もしい侍女を務めてくれていた虹児こうじの縁談が決まり、実家に戻られてしまったので、今後またこうしたことが増えそうで困る。もう少しどうにかさせなければ。


 いいのですよ、と鴛翔は笑う。

「あれだと、痕をつけても隠せるでしょう?」

 おや、と朧玉は笑う。

隆宗りゅうそう殿にしては、少々下世話なお言葉だ」

「仕方ないのですよ。螢月はどうにも肌に痕が残りやすい。少し触れただけでも赤くなるのですから」

 手首を軽く押さえていただけでも二日は痕が残るのだ。あれではまるで鴛翔が虐待をしているようで、あまり人に見せられるものでもない。

 小さく溜め息を落としてから、にやりと口の端を持ち上げる。

「螢月の肌を知る者は、わたし一人でいい」

 他の者にわざわざ見せる必要はない。綺麗に着飾らせて、控えめな螢月の本来の美しさに気づかれるのも嫌だ。


 驚くほど強い独占欲の塊のようなことを告白され、朧玉は驚いた。

 鴛翔は昔から女性が苦手で、顔立ちも体型も年齢もいろいろな娘達を集めて寝所へ送り込んだが、誰一人として気に入ることはなかった。男色の気があるのではないか、と噂が交わされるほどに、女性をまったく傍に寄せつけなかったのだ。

 それなのに、螢月に対しては随分違う。

 気に入ってくれたのは王室の行く末を鑑みてもいいことではあるのだが、あまりにも極端なので、不思議で仕方がない。


「別にわたしは、女性が嫌いなわけではないのですよ」

 そんなことを思われていたとは心外だ、と言わんばかりの様子で答える。

「己が女であることを主張して、欲望も丸出しに媚びてくる女性が嫌いだっただけです」

 嫌なものを思い出した、と言わんばかりの表情で答えるので、なるほど、と思う。

 確かに今まで鴛翔の許へ行かせた娘達は、どの者も皆、我こそが世太子妃に、未来の王后に、と前のめり気味に行っていた筈だ。それが嫌だったというのならば、どの者も気に入らなくて当然のことだったのだ。

 その者達に比べれば、螢月はとても大人しい。自分の意見がないわけではないが、ほとんどの場合は従順な態度で受け身でいる。

 そういう自己主張の薄い者が好みだったのか、と問いかければ、鴛翔は「まあ、そのようなところです」と曖昧に微笑み、立ち上がった。

「そろそろ出立致します」

「ああ、行っておいで。スウォルによろしゅうな」

「はい」

 軽く頭を下げ、退出して行った。


 一人残った朧玉は、新しいお茶を所望しながら、微かに含み笑う。

「やはり鴛凌えんりょう様の御子だな」

 色好みで激高しやすかった鴛凌が、意に添わぬ女官や下女を手籠めにしたあと殺すことがあったのは、誰もが知っていることだった。世太子のすることであったので、誰も逆らうことは出来ず、目をつけられた娘は泣きながらその身を捧げることしか出来なかった。

 鴛翔の生母も、産後間もない寝所に押し入られ、乱暴にされたが故に命を落としている。鴛凌太子というのはそういう男だった。

 その血を引くにしては落ち着いていると思っていたが、どうやら少々思い違いをしていたようだ。

「歪んでおるなぁ。のう、祇娘ぎじょう?」

「然様でございますね」

 お茶を差し出しながら、祇娘は静かに頷いた。



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