第59話 帰都
「いやあ、参ったよ」
労いの言葉を告げながら取り敢えず茶を淹れてやった潤啓は、一人で戻った彼を不審そうに見つめる。
「あの御仁はどうしたの?」
稜欣は
「あの御仁ね……とんでもない人だよ。付き合ってたら疲れちまった」
溜め息をつきつつ、茶を飲んでいる間に運ばれて来た料理に早速箸をつける。強行軍で動いていたので、ゆっくり食事をするのも久々だ。
ふうん、と頷きながら、潤啓も腰を下ろした。
「それで? なんでお前だけ戻ったの」
「俺だけじゃないさ。ちゃんとあの親父さんも一緒に来たけど、まだちょっと調べるって言うから、じゃあ先に報告に行って来ますねーって別れたんだよ。日暮れ前までにはここに来いって伝えてある」
唇を尖らせながら答え、蒸し豚と付け合せの
「そう、お疲れ。でもなんで王宮じゃなくて、僕のところに来たの?」
埃だらけの旅装姿を眺め、稜欣が
彼は仮にも世太子の護衛官の一人で、世太子の命令で守月に付き添っていたのだ。ならば世太子本人に報告するべきではないのか。
「それはそうなんだけど、まずは知恵者のお前に判断仰ごうかと思ってさ」
なんだか深刻そうな顔でそんなことを言うのだが、箸は止まらずに動いている。
こんな状態では碌に話が出来ない。さっさと食ってしまえ、と言うと、稜欣は悪びれた素振りも見せずに皿を抱え込んだ。
「それで、なにがあったの?」
料理が粗方片づいた頃、潤啓は改めて尋ねてみる。
「調べ物ってのがさ、家の焼け跡で確認したいことがあるっていうのだったんだけどさ。聞いて驚けよ」
「もったいぶられるのは好きじゃない」
わざと大袈裟に言うような口振りに辟易して睨みつけると、稜欣は肩を竦めた。
「付け火だったんだよ」
「付け火?」
「そう。外に油の跡があった」
地面に滲みて色が変わっているところがあったのだ。水と違って油は零した跡がなかなか乾かず、汚れて目立つ。
確証を得る為にも専門家の知識が必要だ、と判断した稜欣は、
その話を聞いていた潤啓は、考え込む。
火事が放火だというのならば、狙われたのは恐らく
「俺はさ、上層貴族の誰かだと思うんだよな」
食後のお茶を飲み干し、稜欣が告げる。
国王には長らく世継ぎとなる者が鴛翔しかおらず、近しい縁戚の男子もいなかった。それ故に、年頃の娘のいる有力貴族達は、如何にして娘を後宮へ送り込むかに苦心していた。
そこに突然現れた賤民の娘は、邪魔者以外の何者でもない。
「気持ちはわからないでもないけれど、それで家を焼くなんて……犠牲になったのは御母堂だけだったけど、下手したら一家全員焼死だよ? いくら身分の低い賤民の家だからって、やることが滅茶苦茶だ」
「それが貴族だろ」
暗い声で言われ、潤啓は押し黙る。
身分の低い者は『人』ではないとする考え方が、富裕層では当たり前のように蔓延している。使役している奴婢など、家畜の方が大切にされているのではないか、と思えるような扱いをしている家も多い。
気に入らないというだけで手打ちにしたり、女であれば手籠めにして棄てるなど日常茶飯事だ。被害に遭った者達が役所に訴え出ても役所で握り潰され、逆に報復される。
すべての貴族がそうだとはいわない。けれど、そういう意識を持っている者が大多数であるのは否めないのが、この国の舵取りを担っている人々なのだ。
鴛翔は国政に関わるようになってから、そういった貴族達の横暴を取り締まるべく法律を整備しようと動いている。潤啓達のような若手の官吏や武官達は協力的ではあるのだが、親世代以上の重臣達は消極的どころか、なんとしても法案として成立させないように邪魔をしてきている。
少し前に鴛翔が襲われたのも、それが大きな原因だった。
犯人の目星はついているが、まだ実行犯や決定的な証拠が押さえられていないので、捕縛には至っていない。
古い常識を変えさせようというのだから反発があっても仕方がない、と鴛翔は言っていたが、世太子の命を狙うという暴挙はおいそれと許すわけにいかない。
黙り込んで卓の上で拳を握り締める潤啓の様子に、稜欣が「おい」と諫めるように声をかける。
ああ、と頷いた潤啓は力を緩め、掌に爪が食い込みかけていたことに気づいた。剣を握るので短く整えていたので、血が流れるところまでいかなくて済んだ。
「お前的には、どの家だと思う?」
話を戻すように振られ、潤啓は何人かの重臣を思い浮かべる。
「年頃の娘がいて、入宮に積極的だった家といえば――
「
「あちらは既に王后様がいらっしゃるし、今のご当主の娘はまだ十歳とかそれくらいだった筈だよ。だからあまり積極的ではなかったかな」
今挙げた家はこの国の始まりの頃から仕える名家中の名家だ。ここに
そんな名家の関係者が、わざわざ自分の手を汚してまで放火などするだろうか、という疑問が出てくる。しかし、それ以外に放火までするような動機は見当たらない。
潤啓は考え込んだ。
「螢月様のお家が怨恨を買ってた線はないかな?」
「んー……それはたぶんないかな。あの親父さんおっかない顔してるけど、村でも街でも評判は悪くなかった。無口でぶっきら棒だけど、親切なんだと。あそこの村長の息子があんな態度して居づらくはなったけど、気にかけてる連中はかなりいたし」
調べ物をして数日滞在している間に、村人達は表立っては遠巻きにしていたが、人目のないときなどにはこっそりと差し入れをくれたり、お悔やみの言葉を伝えに来たりしていた。あの一家が村にすっかりと根づいていた証拠だろう。
なるほど、と頷き、潤啓は先程挙げた家々のことを思い浮かべる。
はぐらかされ続けていて、まだしっかりと確定した話ではないが、
月香が関わっているとなれば、螢月の生家が何処にあるのか詳しくても不思議ではないし、自分の正体を隠す意味も込めて、家を襲撃しろと命じていてもおかしなところはない。寧ろ辻褄が合う。
「俺が不在の間に、こっちではなんかあったか?」
潤啓が考えを纏めている間に茶菓子を要求していた稜欣は、自分の知らない情報を得ようと尋ねる。宮廷に復帰するにしても、情報に疎くては仕事にならない。
いくつか仮定案を思い浮かべてまとめた潤啓は、小さく溜め息を零した。
「なにかあったどころじゃなく、あったよ」
「そりゃまた……なにがあった?」
困惑気な表情の稜欣に、うん、と頷きながらも歯切れ悪く、もう一度溜め息を零す。どうにも話しにくい話題だ。
「詳しくはあの御仁がいらしてから話すけど、大きい話は、螢月様が怪我をされた」
「怪我?」
「しかも、痕が残るくらいの」
深刻な声音で告げられるのへ、稜欣はさっと顔色を変える。
「なにがあった?」
もう一度同じように尋ねる声は先程までの軽い調子が消え、かなり真剣だ。
後宮は警備が厳重だし、今は蹴落とし合って寵を争うような妃嬪達はいない。痕が残るほどの怪我を負うような危険はない筈だ。
潤啓は悔しげに眉を寄せ、続きを話そうと口を開きかけ、戸口に人影があることに気づいて顔を向け、ハッとする。
その表情に引き寄せられ、稜欣も振り向いた。
そこには下女に案内された守月が、血に濡れた肩を戦慄かせながら立っていた。
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