第22話 王后



 鴛祈えんきとの廟参りを終え、自室にと宛がわれた部屋に戻ると、また呼び出しがあった。

 今度は王后からだという。


 王后――国王弘宗鴛祈の正妃であり、王の私的空間である後宮を取り仕切っている女性だ。

 そんな人が何故、などと思うことはない。自分の夫が別の女に産ませた子供のことが気になったからに決まっている。

 恐らく月香げっかは、その人を「お母様」と呼ばなければならなくなる。そして、この王宮で暮らしていく為には、彼女に嫌われてはならないのは絶対だ。


 身支度を整えて王后の私室を訪ねると、部屋の外にも中にもずらりと煌びやかな女官が立ち並び、月香を圧倒してきた。

 しかし、この程度に負けていてはならない。月香はきゅっと唇を引き結んで顔を上げ、挑むように前をしっかりと見据えた。


 通された部屋の奥には、三十代半ばかもう少しいった年齢らしい見た目の女が一人、ゆったりと腰かけている。彼女が王后・しょう朧玉ろうぎょくだ。

 こういう場合はなんと挨拶をするべきか、と考えながら膝をつくと、女は「よい」と告げた。

「堅苦しい挨拶などいらぬ。近う」

「はい」

 ひらひらと招かれる動きに合わせて近づいて行くと、用意されていた椅子を示された。

 礼儀作法などよくわからない月香は、取り敢えず「失礼致します」と断ってから頭を軽く下げ、腰を下ろさせてもらう。すぐに茶菓子と茶器が運ばれて来た。


 飲むように勧められたので茶碗を手に取り、優しい香りのするお茶を啜る。味の善し悪しはよくわからないが、香りはとても好いと思った。

 お菓子も見たことがない焼き菓子らしきもので、取り敢えず手にしてみる。ひと口では入らなさそうだったので適当に割り、ちびりと齧ってみると、中には干した果物らしいものが入っていた。とても甘い。


月蘭げつらんの娘とな」

 もうひとつ食べてもいいものだろうか、と考えていると、言葉をかけられる。

 お菓子へ向いていた手を引っ込め、姿勢を正して「はい」と頷いた。

「確かに、よう似ておる」

 正面から見据えてそう呟くと優雅に口許を隠し、こちらもお茶を啜った。


「月蘭とは、幼友達であった」

 控えている侍女に茶碗を渡しながら、朧玉は呟く。

「王陛下と月蘭は相思相愛で、誰もが皆、結ばれることを疑いもせなんだ」

 過ぎし日々のことを思い返しているのか、朧玉の視線は月香を捉えつつも、何処か遠くの方を見ているようだった。

「故に、あれは――悲劇としか言いようがなかった」

 そう呟いたところで表情を歪め、今度はしっかりと月香を見つめてくる。

 彼女の言う『あれ』とは、捕吏庁の毛が言っていたとう家の焼き打ちのことだろう。その事件の所為で、母は鴛祈と別れねばならなくなったのだと思われる。

 月香は頷くこともなにも出来ずに、思い出話を始めている朧玉のことを見つめ返した。ここは素直に聞き入っておくのが得策だろう。


 朧玉はしばらくの間、自分と月蘭がどのように仲がよかったのか、彼女はどんな少女だったのかを語り、懐かしむように目を細めた。月香はただただ静かに聞き入り、時折勧められるままにお茶で喉を潤した。

 しかし、途中で退屈してくる。

 母の過去になどまったく興味はないし、月香の知っている母の姿からは結びつかないような利発で闊達な少女の話をされるので、ますます他人事のように感じてしまうのだ。

 それでも、飽き飽きしていることを悟られまいと、時折笑ってみたり、驚いたりして見せながら、思い出話に聞き入っている振りを演じた。


 そうして、ようやく話すことが尽きてきたのか、朧玉はゆっくりと口を閉じた。

 切れ長の一重の瞳が、じっと見つめてくる。

萌梅ほうばい――といったか」

 改めて名を尋ねられ、月香はすぐに頷いた。背筋をぴんと伸ばす。

としは幾つになった?」

「十……んんっ、十八です。失礼しました」

 年齢を尋ねられるのはまだ慣れない。本当の年齢を告げそうになり詰まってしまうが、噎せた振りをして咳払いで誤魔化した。


「そうか。十八か……もうそんなに経ったのだな」

 お茶を一口啜って軽く胸許を叩いていると、そんな月香を見つめながら、朧玉はまた遠くを見るような仕種をする。

(思い出話ばかり。年寄りみたい)

 母と幼友達だったというのならば、年齢は同じくらいだろう。三十代の半ばでこれか。思い出話ばかり懐かしそうに語るだなんて、隣に住んでいた老婆のようだ。

 月香は内心でうんざりしつつも、王后に嫌われるようなことはするまい、と礼儀正しく聞き分けのよさそうな娘然として頷き返した。


 朧玉は静かに、静かに溜め息を零し、寛げていた姿勢を元に戻す。

「急に呼び立てて、話につき合わせて悪かった」

「いいえ、そのようなことは……」

「こちらに参ったばかりで不便も多かろう。なにかあれば申せ。善処しよう」

「ありがとうございます」

 頷いて礼をすると、下がっていい、と言われた。ホッとしながらその言葉に従い、王后の私室を辞した。




 さやさやと立ち去って行く月香の気配を感じながら、朧玉は控えていた侍女を手招く。

「どう思う、祇娘ぎじょう?」

「礼儀作法のなっていない田舎娘ですね」

 問われた侍女は辛辣に応じた。

「ああ、それは仕方あるまい。躾をする者を用意してやれ。そう大臣夫人あたりがよかろう」

「畏まりました」

「それとは別の話だ」

 頷いて指示を遂行しようとする侍女を呼び止め、朧玉は風を入れる為に開けられている窓を見る。その向こうには、離れた回廊を歩いている月香達一行の姿があった。


「あの娘を調べよ」

「――と、申されますと?」

 訝しむように尋ね返す侍女に、朧玉は双眸を眇める。

「お前はあれが十八の娘に見えたか? なんともいとけない……」

「老いても顔立ちの幼い者はおりますが」

「そうさな。だが、そもそもの立ち居振る舞いが幼い。作法がわからずに戸惑っているにしても、幼く見えたのではないか?」

 言われ、控えながら検分した様を思い返す。


 確かにそうだったな、と思った侍女は、主人の言葉にしっかりと頷いた。

「故に、あの娘の素性を調べよ」

 その言い回しに、見つかったばかりの王のご落胤が偽者ではないか、と朧玉が疑っていることに気づく。

「畏まりまして」

 頷いた侍女はすぐに指示を遂行すべく、退室して行った。


 回廊を曲がって見えなくなった月香の姿を確認しながら、ふん、と朧玉は鼻を鳴らす。

 あれだけ似ているのだから、月蘭の血縁だというのは事実なのだろう。しかし、他のことはすべてが真実であるとは思えない。娘かどうかも本当のところは怪しい。

 そもそも何故、十八年も経って名乗り出る気になったのか。月蘭が亡くなって身寄りがなく、途方に暮れて父親を捜しに出て来たという事情だとは聞いているが、十八ともなれば十分に一人でやっていけるだろう。逆に親などは邪魔に思うのではなかろうか。


 なにかが違和感だ。けれどそれがなにかまではわからない。

 初めから疑って話を聞いていた朧玉でさえそのようなあやふやな感じなのだから、ずっと月蘭と腹の子の行方を捜していた鴛祈には、その違和感さえ感じることが出来ないだろう。疑いもせずに信じているに違いない。

 それに、あれは相当したたかな娘だ。多少のことでは馬脚を現すまい。


「なにからなにまでが真実で、偽りなのか……」

 彼女が害を為す者であったら取り返しがつかないことになる。なにかが起こる前に確かめなければならない。

 それが王后としての地位を賜った自分の役目だ、と朧玉は双眸を眇めた。

 そして、なによりも――

「我が友の名を貶めるようなことをしでかすのならば、それも許せぬ」



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