第13話 刺青



 陽が傾いてくると、風が強くなってきた。

 このまま今夜は天気が崩れそうだ。螢月けいげつは外に干していた薬草を急いで取り込み、小屋の中の棚に移動させる。

 鴛翔えんしょうが手伝うつもりで傍に来てくれたが、きっと薬草の見分けがつかないだろうからあまり触られたくはない。混ざったりしたら大変だ。少し冷たいかと思いつつも、安静にしていろ、と告げて手際よく作業を熟していく。

 そんな螢月の様子を見守りながら、雨が降り出しそうになっている空を見上げた鴛翔は、戸締りをしてくれていた。そういう気遣いがとても好もしかった。


 なんだかホッとしたような心地になっていると、鴛翔が微かに笑う。なにか可笑しなことがあったのだろうか、と振り返ると、軽く首を振られる。

「いや、その……市井の夫婦めおとというものは、こういう風に振る舞うものだろうか、と少し思ってしまっただけで」

 その言葉に螢月も思わず笑った。

「そうですね。鴛翔さんのお家だと使用人の方とかがいらっしゃるから、戸締りなんてやらないでしょうけど――ふふっ。そうですね。夫婦みたい」

 食事の支度をしている母の隣で、薪を運んで来て竈にくべている父の後ろ姿を思い出し、確かに今の自分と鴛翔の遣り取りは、そんな父母のようだったな、と思う。

 それが不思議と嫌な気分ではなかったのでもう一度笑うと、鴛翔も同じ気持ちでいてくれたのか、少々照れ臭そうに頭を掻いていた。


 陽が暮れる頃になると、強い風の中にやはり雨粒が混じってきていた。お陰で山中のここは少し冷える。

 食事をするのに布団を被っているわけにもいかないだろうと思い、もう暖かくなったので片付ける為に移動させていた火鉢をもう一度部屋の中に戻す。炭の残りは少しだけあったので、今夜一晩くらいは間に合うだろう。

 火入れをやる、と言ってくれた鴛翔の言葉に甘えて頼み、螢月は食事の支度を始めた。


 すっかり部屋が暖まった頃、筍と兎肉を入れた汁物も丁度よく煮えたので、少し時間は早いが、夕飯にしてしまうことにする。こういう夜はさっさと食べて寝てしまうに限る。

「食べ終わったら包帯替えますね」

 二杯目をよそいながら告げると、鴛翔は少し戸惑ったような表情をしたが、素直に頷いて頭を下げた。


 少し多めに作った汁物は半分ほど残ったので、明日の朝はこれを雑穀粥にしよう、と予定を立てながら片付けを済ませ、洗い置きしてあった包帯と化膿止めの薬を用意する。

 脱いで、と告げると、鴛翔は少しだけ躊躇した。

「どうしたんですか?」

「いや……。年頃の女性にょしょうに、恋人でもない男の裸など見せるものではないと思って」

「なに言ってるんですか。もうとっくに見ましたよ」

 変なことを案じているな、と呆れて言うと、鴛翔は驚いた顔になる。どうやら初めの手当てもなにもかも、父がやったものだと思っていたようだ。

「沁みますよ」

 包帯を外した傷口に薬を塗る。本当は擦りこむように塗りたいのだが、それはさすがに痛かろうと思い、指先で優しく撫でるようにちょんちょんと塗っていく。


「螢月殿は、おいくつなのだろう?」

 痛みを堪えるように眉間に皺を刻みながら、鴛翔がぽつりと零した。

「十八になりました」

「……もう少し下かと思った」

「ふふ。よく言われます」

「悪い意味ではない。気に障ったのならすまぬ」

「ああ、大丈夫ですよ。本当によく言われることなので。三つ下の妹の方が背も高くなってしまってて」

 笑いながら傷口に当て布をし、包帯を巻きつけていく。だが、鴛翔のがっしりとした胸は螢月の腕には広すぎて、少々苦労する。それが可笑しくてまた笑ってしまう。

 その様子に気づいた鴛翔は上手く身体を捻ってくれて、巻きやすいように動いてくれる。助かった。


 胸から腹にかけての太刀傷はそれでいいとして、今度は腕の矢傷だ。こちらはやじりに毒が塗ってあったということで、かなり膿んだらしい。父からそう聞いていた。

 溜まっていた膿みを拭き取ってから薬を塗り、包帯を替える。

「――…あら!」

 そこで螢月はあるものに気づいた。

「葉っぱのおまじない!」

 前に見たときには気づかなかったのだが、鴛翔の腕にも、螢月の首にあるのと同じ葉の形をした刺青があった。


 思わず声を上げてしまうと、鴛翔が「え?」と怪訝そうに振り返る。

「あ、ごめんなさい。大きな声を出してしまって」

「いや……お呪い?」

 訝しげに見て来る鴛翔に、そうなんですよ、と螢月は楽しげに頷いた。

「鴛翔さんの腕のここに、葉っぱの彫り物があるじゃないですか」

「ああ」

「私にもあるんです。このあたりに!」

 鴛翔に背を向けて髪を避け、項を見せる。螢月自身は直接見たことはないが、月香げっかが言うには、襟の縫い目のあたりの、首の骨がちょっと出っ張っているところに、細い葉の模様が描かれているのだという。


「見えました?」

 もう少し襟を緩めた方が見えるかな、と思いつつも、これ以上肌を見せるのはさすがに憚られる。

 どうしようかな、と思っていると、鴛翔が項に触れてきた。

 突然のことに驚いて思わず身を竦めるが、あまり危機的なものは感じなかったので、やりたいようにさせておく。


「――…神柳しんりゅうの加護……」

 螢月の少し陽に焼けた首にある刺青の上を撫でながら、鴛翔は呆然と呟く。

(何故これが――この習わしが、この娘に?)


 鴛翔の生家であるさい家では、始祖が柳の樹に宿った神仙のお告げを聞き繁栄してきた為、その樹を御神樹として祀り、一族の者はその加護を常に受けられるように、と柳の葉をその身の何処かに彫る。

 それと同じものが、螢月の首にもある。


 彼女はこれを「葉っぱのお呪い」と呼んでいた。この地方にはそういった呪いが存在するのだろうか。

 いや、そもそも『りゅう』という国号を頂いているのだから、柳の樹は国中で大事にされている。植樹も盛んに行われて、至るところあちこちで見かけるのだ。それ故になにか因縁づけて呪術的なものに使う風習があってもおかしくはないだろう――そう考えるのは容易い。けれど、なにかが引っかかる。


 考え込みながら指先を離すと、螢月が振り返る。

「同じでした?」

「あ、ああ。そうだな」

 頷きながら、初めて会ったときの守月しゅげつの態度を思い出す。

 彼はあのとき、蔡家の人間などと関わり合いたくない、と嫌悪も顕わに吐き捨てていた。その口調から怒りのようなものは感じていたのだが、もしかすると、螢月の刺青となにか関連があるのだろうか。


(もしや、奥方は蔡家の……?)

 守月の妻というのが、蔡家に縁ある女性だったのではないだろうか。つまり、螢月は蔡家に所縁のある娘なのだ。

 蔡家の人間ならば、この刺青の意味もわかる。


 それでも解せないのは、こんな鄙びた場所に隠棲しているかのような人間が、わざわざ蔡家の習わしを受け継ぐだろうかということだ。あの守月の口振りからしても、縁を絶ちたいと考えていることだろう。

 そもそも蔡家の人間の殆どは都で暮らしているし、他処に嫁に行く娘がいたとしても、それは政略的な意味で他国へと行っている。この辺りに所縁ある者が移り住んだ話など聞いたこともない。それなのにこんな場所にいるということは、つまり、事情があって出奔した者なのだろう。

 だったら尚更、蔡家に通ずるものなど残したくはないのではなかろうか。特に彫り物は、一度肌に入れてしまうと、抉るか焼くかしなければ消せない。


 それなのに、何故――と、使い終った道具の片づけをしている螢月の後ろ姿を見やりながら、鴛翔は静かに考え込んだ。



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