第11話 出奔



 月香げっかは昼過ぎ頃を見計らって家に戻った。

 炭焼きをしている間は、昼は留守になることが多い。夜通し火の番をしている父に仮眠を取らせる為、姉はそちらへ手伝いに行っているからだ。

 昼食を終えた頃なら、母も共同の機織り小屋に行っている筈だ。体調を崩して寝込んでいたので、遅れを取り戻す為に日暮れまで帰って来るまい。


 念の為に外から留守かどうかをしっかりと確認し、勝手知ったる我が家へと忍び込む。そのまま素早く両親の寝室へと滑り込んだ。

 昨日見つけた箱の包みを見ると、月香が戻したときと変わらない位置にある。中の手紙を持ち出したことは気づかれていないようだ。

 もう一度箱を開け、しまわれていたかんざしを取り出す。

 何度見ても美しい細工のそれを手巾に包み、懐へしまい込む。

 そうしてまた箱を包み直して元の場所へ置き、今度は姉と自分の部屋へと向かう。


(旅支度って、なにがいるのかしら?)

 泊まりがけの遠出などしたことがない月香は、なにが必要なのかまったくわからない。

 取り敢えず、替えの下着と羽織物を持ち、小物入れから僅かばかりの金子きんすを出した。自分の持っている分だけでは足りないだろうから、姉の財布からも失敬する。

「姉さんって結構貯め込んでたのね」

 月香の小遣いの倍どころではなくあった銭を握り締め、自分の財布へと移す。


 用意したものを適当に布袋に突っ込み、外へと出る。急がなければ陽が暮れるし、母と姉が帰って来てしまう。

 しかし、そこで夕鈴ゆうりんに出くわした。訪ねて来たところらしい。


「何処か行くの、月香?」

 布袋を背負っている月香の姿に、夕鈴は怪訝そうに首を傾げる。

「何処だっていいでしょう。あんたには関係ない」

 先日口喧嘩をしたことをまだ根に持っていた月香は、素っ気ないどころか、突き放すようなきつい口調で言い捨てる。まあ、と夕鈴は眉を寄せた。

「せっかく謝りに来たのに」

「別にいいわよ。仲直りなんかしなくたって」

「なによ、その言い種!」

 さすがにカチンときた夕鈴は、月香に向かって手を伸ばす。その手を叩き落とし、月香はせせら笑った。

「気安く触らないでよ。あんたとはもう住む世界が違うんだから」

「はあ?」

 言われた言葉の意味が理解出来ず、夕鈴は頬を引き攣らせた。

 しかし月香は構わない。夕鈴を叩いた手をわざとらしく払い、口許を歪めた。

「さようなら、夕鈴。もう二度と会うことはないと思うけど」

 別れの言葉を口にして身を翻す。


 なによ、と夕鈴は眉を吊り上げた。

「そっちがその気なら、もう二度と口なんかきいてやんないんだから! 莫迦ばか月香!」

 夕鈴の声を背に聞きながら村を飛び出し、月香は山道を駆け下りる。

 陽はまだまだ十分に高い。歩く速度を落とさないで行けば、隣の街にも陽が落ちる前に着けるだろう。

 けれど、月香の目的地である都までは、少なくとも四日はかかる。もしかするともっとかかるかも知れない。急がなければ。


 歩き慣れた山道を昂揚とした気分で駆け下りながら、月香は胸許に触れる。そこには母の許から盗み出して来た手紙と簪が入れてある。

 このふたつを頼りに、月香は都に行って『鴛祈えんき』という人を捜そうと思うのだ。


 都に行って母の恋人か夫だった鴛祈を捜し、その子供だと認めてもらおう。

 鴛祈本人はもういないかも知れない。戦地に行っていたようだから、もしかしたら戦死している可能性もある。しかし、親族くらいは在る筈だ。その親族は、鴛祈の忘れ形見である母のお腹の中にいた子供の行方を捜しているかも知れないではないか。


 広い都で、名前しかわからない男とその親族が見つかるかなんてわからない。見つからない可能性の方が高いかも知れない。

 それでも月香は一縷の望みをこの手紙に託した。


「娘なら萌梅ほうばい――私は、萌梅」

 歌うように朗らかに呟き、くふっ、と月香は笑みを零す。


 鴛祈のお家がお金持ちだったら、月香は『お姫様』になれる。なんて素晴らしいことだろうか。

 この色の白くほっそりとした手を土に塗れさすことも、草の汁で汚したり、切ったりすることもない。綺麗な絹に花や鳥の刺繍をしたり、甘く美味しいお菓子を抓んだりすることだけに使われるようになるだろう。

 着るものだって、色褪せて生地の傷んだこんな襤褸ぼろではなく、上品な手触りの繻子しゅすしゃなどを優雅に纏い、この艶やかな黒髪は複雑に結い上げて玉の簪をたくさん挿して。

 今までずっと羨ましく思っていた明玉めいぎょくのような妓女達の装いよりももっと美しく、高価な絹の着物を着られるに違いない。そうしてそれは、なによりも月香に似合う筈だ。

「ああ、なんて素敵な人生かしら!」

 月香はうっとりと呟いた。


 鴛祈が見つからなければ、母の実家を探してもいい。

 父との結婚を反対されて駆け落ちしたという話だったが、孫が可愛くない祖父母などいない筈だ。子供が生まれたことで実家と和解したという人がいることも知っている。

 今は貧乏暮らしの母も、嘗ては都でお嬢様と呼ばれるような暮らしをしていたのだ。姉がもらった櫛やこの簪を見てもわかるように、こんなにも美しく高価そうなものに囲まれて生活していたほどの家柄なのだから、きっとお金持ちに違いない。


「――…そうだわ。生い立ちを考えておかなくちゃ」

 今のままの身の上を語ったりしたら、自分の他にも娘がいることを教えなければならない。

「まず、そうね……母さんは随分と前に亡くなったことにしよう」

 身寄りがなくなった自分は、近くに住んでいた家族に引き取られたが、何年も奴婢のように扱き使われてきたのだ。食事も満足に与えられない生活に耐えられなくなって、母の遺品の手紙を頼りに、父親がもしも生きているのならば、と捜しに出て来たのだということにしようと思う。

 大好きだった母を亡くし、たった一人で孤独に生きて来たが、僅かな望みを賭けて親戚を捜しに旅をして来た娘という設定だ。これなら可哀想だと思ってもらえるだろうし、多くは詮索されないだろう。


「昔から父さんはいなくて、女手一つで育ててくれた母さんも病気で死んでしまって。一人残された萌梅は、養い親に虐められながらもなんとか生きて来たのよね。まだこんなに若いのにたくさんの苦労をして、なんて可哀想な娘なの、萌梅!」

 完璧ではないか、と月香は思った。

 孤独で健気な美少女だなんて、あまりにも月香に似合いすぎる。これはいい。


 都までの道中はそう短くもない。うっかり作り話だとばれてしまわないように、もう少し現実味を持たせつつ、もっとこの設定をしっかり作り込んでおくべきだ。

 目的地に辿り着くまでのいい暇潰しにもなる。


 月香は楽しげに笑いながら、自分の生い立ちの設定を練り始めた。




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