第三十八譚 彼は《季環師》

「……わからない」


 長が熟考の果てに言った。


「なにが、ですか」

「あなたはなぜ、命の危険に曝されてまでこの地域の《春》を望むんだい? こんな辺境の、時に取り残された地域の季節を循環させたところであなたには利がないはずだ」


 セツは微かに笑った。


「それは、なるほど、あたりまえの考えかたですね」


 セツが春を終えた樹木をふり仰いだ。

 枝に腰かけていたクワイヤは視線に気がついて、ふわりと舞いおりるとセツに寄り添った。

 彼女は石畳にはおりず、細い膝をまるめて浮遊ふゆうしている。髪が地に垂れるのが嫌なのだ。

 

 セツは静かに手を差しのべて、綺麗な銀糸ぎんしの髪をき、ちいさなつまさきに接吻を落とす。

 それは、愛をもしのぐ崇拝の証だった。

 相棒たる季節を肩に乗せてから、セツは言葉を接ぎなおす。


「僕は季節を愛しています。季節は美しい。偽りなく欲望もない。

 僕は、季節にすべてを捧げています。僕が季節の循環を望むのは、それが季節の平穏に繋がるからです。循環が滞れば、季節は苦痛にさらされる。あなたがたのためでなければ、僕のためでもありません。すべては、季節の為に。

 ですから、あなたの疑いは、僕には意味をなさないんですよぉ」


 どこかゆがんだ信条と強き決意を掲げながらも、言葉の響きは柔らかい。

 細い瞳から青葛あおかちの、鈍い光がのぞいた。


「けれど、ひとつだけ、人の為と言うならば」


 セツはハルビアに視線を移す。


「あるお嬢さんが、僕に《春》は綺麗ですかと尋ねた。《冬》に塞がれ、季節を忘れ去った町で彼女はただひとり、《春》をみたいと望んでいた。《春》にあこがれ、《春》を愛していた。だから僕はかならず、《春》を甦らせると約束しました。その約束を果たしたい」


 ハルビアが涙をあふれさせる。


 綺麗な春を臨みたい。それは、細やかな願いだ。

 けれど彼女からすれば、いのちを捧げてもいいほどの悲願だったのだ。


 彼女が指を組んで、春は綺麗ですかと尋ねてきた時に、セツはその言葉がいたく強いことに驚いた。後に理解した。それが、信仰にも等しい熱意から湧きだす、希望なのだと。

 彼もまた、おなじものを抱えているからだ。


「そうして願わくば、僕は、あなたがたに春を甦らせていただきたいと望みます」


 セツは言葉の宛て先を、町の者にむける。

 その声が、聴衆だった者たちの腕をつかんで、舞台にあがらせた。


 彼は、意志を試すように、群衆を見まわす。

 終わらない冬を乗り越えてきた者たちだ。髭を蓄えた恰幅かっぷくのいい男がいる。痩せぎすの老人がいる。人の好さそうなふとった婦人がいる。頭巾をかぶった若い娘がいる。争いはなくとも、きびしい季節であることに変わりはない。

 長きに渡り、肩を寄せあって暮らしてきたはずだ。


「《春》を殺めたのは、この町です。犠牲を積んで、冬の庇護に留まり続けた」


 責める響きを帯びずに、セツはそう言いきった。ヨウジュがその意を汲む。


「だから春を甦らせるのもこの町であれ、というのか」

「ええ。僕ひとりでも、春を甦らせることはできます。どちらかといえば、そのほうが楽だ。ですが、それでは《春》が報われない。あなたがたにはすべてを理解していただきたかった。無辜たる《春》がなぜに殺められ、どれほどまでにたえ抜いて、町を護り続けてきたのか。季節を殺めた者の子孫がなぜ、いまだに障りを受け継いでいるのか。それが祟りではないのならばなんだったのか。黄金の焔とはなんなのか。いかに長く、町は《冬》に護られてきたのか。

 総ての真実を踏まえて、決断していただきたかった」


 彼らは激動を経験せず、またその真実を教えられることがなかった者だ。

 町の者が互いに語り始める。

 季環師はいったん黙り、静かに町の選択を待った。

 町の群衆は、長と町の医者をかこんで、しばらく話し続けた。隊長たるエンダもまたそこに加わる。町の総意がかたまったのか、ヨウジュがみなを代表して、尋ねてきた。


「春を甦らせれば、ハルビア嬢は助かると言ったな」

「ええ、《春》の魂が昇華すれば、彼女を死の側に寄せるものはなくなります」

「それがほんとうであるならば、私は、私達は、それだけでも充分に春を甦らせる意味はあると思う。偏った犠牲は終わらせるべきだ。冬を続けた代償を払わねばならんのであれば、町の者全員で償うと決めた。それに彼女が」


 老いた双眸が、ひとときの春を終えて枯れた樹木を映す。


「ハルビア嬢が春をみたいのならば、それをかなえてやりたい」


 かりそめであろうとも、あの、柔らかな色彩はみたはずだ。町の者は硬く意識を凍りつかせて、季節を諦めていた。されど美しいものがこころを変えることを、セツは身をもって、経験している。


 まして春だ。春はとかす季節であろう。


「俺は馬鹿だから、よくわからない、けど」


 いてもたってもいられなかったのか、エンダが声をあげた。


「冬の砦がなくなって敵が侵略してきたら、俺が町を護る。ハルビアが死なずにいてくれるなら、他のことなんてたいしたことじゃない」


 それだけの決意はしてきたのだと、腰の剣を握り、エンダは言った。

 瞳には、悪政に諍った先祖とおんなじ焔が燃えていた。彼は優しすぎる。だが護ると言った言葉に偽りはない。最愛のものを護るためならば、彼は幾度でも剣を振るうはずだ。人のいのちの重みにつぶれそうになりながらでも。


 群衆の、ひとりひとりが頷いた。


「みなさん……そんな、私は」


 ハルビアが戸惑いながら、群衆を見まわす。

 旅人からすればただの人の群だが、彼女は其々に面識がある。幼き頃から馴染んだ、親しき繋がりがあるものばかりだ。相識そうしきの者が、続々と賛成する。彼女の悲願と幸福を肯定する。それは、春にも勝るほど暖かく、美しい光景だった。

 群衆にうながされるように長が踏みだす。


「数々の無礼を、謝罪しよう」


 長はふたたびに、季環師に頭をさげる。

 だが、先ほどとはまったく違った意を持っていた。


「どうか、教えておくれ。どうすれば、春を甦らせることができるのか。春とこの愛娘を犠牲の連鎖から解きはなてるのか。罪を、償えるのか」


 春を遠ざけていた町が、春を願う。護られるためではなく、護られない為に。逃れるためではなく、春の魂を煉獄れんごくから解放する為に。

 綺麗な辞儀をひとつして、季環師は微笑んだ。


「お任せください。僕は、その為にここまできたのですから」

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