第四譚 《冬》ではない《季節》の話を

「いやあ、助かりました。町にたどり着いた甲斐かいがあるってもんですよぉ」

「豪華なおもてなしはできませんが、どうかくつろいでいってくださいね」


 車椅子の娘はにこにこと笑って、セツを歓迎してくれた。


 宿屋は一階が食堂になっていた。複数の椅子と食卓がならんでいる。食堂の部分は吹き抜けになっており、調理場の上部からが二階になっていた。食堂の端にある階段をあがったところから中二階のように廊下が渡され、客室がならんでいる。階段のない壁に設置された暖炉が、火の粉をあげて燃え続けていた。この暖炉が吹き抜けの大部屋一帯を暖めているのだ。


 セツはてっきり、娘の親が出迎えにくると思ったのだが、奥をのぞいても、娘の他に人がいる様子はない。車椅子の娘は宿屋の経営者の娘だろうと勝手に思い込んでいたので、宿屋に他の人がいないことに違和感を覚えた。


「ええっと、失礼ですけれど、この宿屋はあなたひとりで?」

「はい。ここの宿屋はうちの家系が継いでいて、いまは私だけです」


 彼女は礼儀ただしく落ち着いている。けれど背格好をみるかぎりでは二十歳には至っていない。十八前後か。あるいはもうちょっと若いのではないかと思われた。そんな彼女がこの宿を受け持っているのだとすれば、親は既に他界しているものと察する。ならば、そこに触れないのが礼儀だ。「そうなんですか。いやいや、お若いのに、しっかりとしていらっしゃる」と褒めて、話を終わらせた。


「ああ、そうだ、まだ名乗っていませんでしたねえ」


 外套を脱いでから、あらためて挨拶をする。


「僕はセツといいます。これからしばらくお世話になりますねぇ」


 相手から握手をうながされなかったので、手を差しだすのはやめておく。それぞれの地域にあわせて、礼儀などをならうのが旅を続けていく知恵のひとつだ。


「すみません、私もまだでしたね。私はハルビアといいます。ハルビア・ルゥ・ノルテです」


 ハルビアと名乗った娘は、車椅子の上で丁寧に辞儀をする。

 柔らかな響きの、よい名前だ。

 だがそこにはこの地域にはないはずの単語が含まれていた。気には掛かったが、急に尋ねるのは不躾だと考えて、セツは違和感だけを胸に留める。


「あとは……彼女なのですが」

「にんげんなんかに名乗りたくないわ」


 外套を着たままの少女はふいと、横を向いてしまった。

 セツは苦笑する。しかたがないので、彼が少女を紹介する。


「彼女は僕の相棒でクワイヤといいます」


 銀の髪を梳いてなだめながら、セツはこまったようにつけ加えた。


「彼女は人見知りといいますか、他人を怖がるようなところがありまして、なにか失礼なことを言ったりご迷惑をおかけするかもしれません。僕からもよく言っておきますが、彼女のことでなにかありましたら、すぐ僕に言ってくださいねぇ」


 クワイヤはつんと、不満げに唇の先端をとがらせる。


「にんげんなんかこわくないんだから」


 その様子をみて、ハルビアは微笑ましげに目を細めた。


「抱きかかえていらっしゃると、なんだか、お人形さんみたいですね」

「おにんぎょうじゃないわ」


 クワイヤは馬鹿にされたと思ったのか、怒ってセツの腕から跳びおりた。彼女は地に髪が触れることを嫌い、すぐに浮きあがろうとする。だから普段はセツが抱きあげているのだが、みがき抜かれた板に髪が垂れても、さほど気にはならなかったようだ。かたちのよい足裏が、床を歩きまわる。


「わたしのどこが、おにんぎょうなのよ!」


 未熟な胸を張って凄い剣幕けんまくだが、ちいさいので、迫力には欠けていた。


「ふふふ、だって、すごく綺麗で可愛らしいんですもの」

「あ、あたりまえだわ! わたしは、きれいなのよ! き、きれいなんだからね!」


 すなおに褒められ、クワイヤが頬を染めた。照れて勢いが萎み、クワイヤはささっとセツの背後に隠れてしまった。幼い挙動にハルビアがまたくすくすと笑った。


「こちらが客室の鍵です。二階は私にはあがれないので、一階の右端をつかってください。もとは客室じゃなかったのですが、改装して客室とおなじつくりになっていますから。離れが温泉です。お湯を準備しておきましたので、荷を解いてから、身体を暖めてきてください」


 ハルビアがセツに鍵を渡す。布細工の提げ紐がついていた。

 セツはそれを受け取り、現段階では一週間の滞在を希望するといい、宿泊料を尋ねた。するとハルビアは「あ」と言ったきり、顎に人差し指をあてて考え込んでしまった。


「実はうちの宿屋に旅人さんが宿泊することはなくて。金額の基準がよくわからないんです。たまに家が雪でつぶれた町の人が避難していらっしゃることがあるので、その時の金額と一緒でも構いませんか?」


 提示された金額は、銀貨十五枚。他の町の宿屋の、三泊にも満たなかった。


「それでは安すぎますよ。こちらでお願いします」

「銀貨四十五枚……いただきすぎています」

「夕食も用意していただきたいので」

「それはもちろん、三食ちゃんとご用意しますから」

「それでしたら、六十五枚はお渡しますよ」


 どちらも譲らない。銀貨の押しつけあいをしていると、ぐううと間の抜けた音が横やりを入れた。セツが腹を押さえる。そういえば、昨晩からなにも食べていなかったのだと思いだす。ハルビアが笑い、指で銀貨を十五枚抜き取っていった。


「すぐに食事の支度をしてきますね」


 ハルビアは木製の車輪を転がして遠ざかる。


「あ、そりゃないですって」

「そのかわりにひとつだけ」


 調理場に入る手前で彼女は車輪をとめた。

 振りかえった瞳に薄桃うすももの光が散る。一瞬だけ、憂いをのぞかせて、彼女は微笑んだ。


「お話を聴かせてくださいな。《冬》ではない季節の話を」

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