閑話 召喚の儀3

 側付きの人たちに促されるままに身を清め、今日のために用意されたという礼装へと袖を通す。身を飾られ慣れていない私にとって何もかもが初めての経験であり、普段であれば舞い上がるように喜びを表現していたかもしれない。これが愛しい人との婚姻の儀だったらどれだけ良かったことか。


「聖女様、身支度が整いました」

「はい、ありがとうございます」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」


 側付きのうら若き女性がうやうやしく頭を下げる。その姿を見た瞬間、チクリと胸が痛くなってしまった。未だ力が目覚めきっていない、本来の聖女としては未熟な身である私にとっては少々荷が重く感じるけど、その期待に答えなければならないという決意を改めて心に刻む。


「それではお呼びがかかるまで、今しばらくお待ち下さい」

「はい」


 控室に一人残された私は、目をつぶり何度も深呼吸をして昨夜の感覚をたどる努力をする。


 今宵は満月の日。召喚の儀を執り行う日がついにやってきた。準備万端とは言えないけど、かすかな希望は見つけることが出来たと思う。


「――聖女様、準備が整いましたのでこちらへどうぞ」

「は、はい!」


 後ろから掛けられた言葉に飛び跳ねるように立ち上がる。驚いた目で見られてしまったけど、今はそれを取り繕う余裕もない。


 城内の一角に建立された神殿へと案内される。扉をくぐり神殿に入った瞬間、あまりの荘厳さに足がすくんでしまう。神殿には扉と壁はあるものの、天井がなかった。四方を囲まれた神殿内から見る空はあまりに雄大だった。


 ――怖い。ただただ、怖い。


 思わず一歩下がりそうになった時、視界の先に愛しいルーリオの姿が見えた。微かに動いた口。大丈夫だよ、そう聞こえたような気がした。


「それでは聖女様、こちらへ」

「は、はい」


 彼の元へ駆け寄りそうになる気持ちを抑えて、舞台上に立つ大司祭様に促されるままに舞台へと上がる。舞台の真ん中あたりに立ち、静かに深呼吸をする。深く深く……。


 少し間を置き、大司祭様が右手に持つ杖で床を三回叩く。


「古よりの約定に従い――」


 大司祭様が真言を紡ぎ始めると、杖から淡い光が漏れ始めて舞台に描かれた模様へと注がれ始める。私を囲むように幾何学的に描かれる光の筋はやがて舞台を埋め尽くした。


「――救世の使徒をここに迎え入れん!」


 一際、大きな声を張り上げた大司祭様が天を仰ぐように月に向かい両手を広げる。それにつられて私も空を見上げると、舞台の光に包まれてとても幻想的な満月が目に入る。


「綺麗……」

「さあ、聖女様。救世主様を迎え入れてくだされ」

「え、あ、はい!」


 って、どこから?


 慌てて周りを見渡すと、この場にいるすべての人の視線は満月へと向いていた。状況から考えれば、多分だけど満月が関係するはず。昨日芽吹いた聖女の力。きっと、満月に何かが見えるに違いない。


「お願い、見えて……」


 誰にも聞こえないような小さな声が漏れる。昨日練習したように、目に魔力を集めるように精神を集中させる。


「見えてよ……」


 私の焦りとは裏腹に、静かに時間が過ぎていく。そして――、突然舞台を包む光が強くなり視界を真っ白に染め上げた。


「おお! 成功だ!!」

「おおお!」


 視界は未だに回復していないけど、大司祭様が興奮した様子で声を上げたことで周りからも一際大きな歓声が上がる。


 上手く、いったの? 良かった……。


 安堵から足の力が抜けて倒れ込みそうになったけど、なんとか踏みとどまる。そして、光が収まり視界が戻った時――皆の期待を裏切るように舞台の上は何も変化していなかった。


「え、どういうこと?」


 つい、気の抜けた声を出してしまった。その声を聞いたことで皆の視線が一気に集中する。


「……聖女様、救世主様はどちらにいらっしゃったのだ?」

「ど、どこでしょう?」


 大司祭様が驚いた様子で私に問いかけてきた。だけど、その質問に対する回答は持っていない。というか、私も知りたいくらいなのに……。


 そのやり取りを見て、中央奥の椅子に座っていた老齢の男性が立ち上がる。初めて見る方だけど、その出で立ちから男性の素性は私でも理解することが出来た。


「ま、まさか失敗したのか?」

「へ、陛下。いえ、召喚の儀は確かに成功しました。それは間違いありません」

「ならば何故、救世主様の姿が見当たらんのだ!?」

「……救世主様は聖女様の導きに従い、この世界に降臨すると書物には書かれておりました」

「それくらいは私も知っておる。だからこうして驚いているのだろう?」

「はい、召喚の儀は成功した。しかし救世主様はこの場には降臨されなかった。つまり――」


 大司祭様の視線がこちらへと向いた。その眼差しは先程までのように慈愛に包まれたものではなく、憎しみを募らせたかのようなものだった。


「その女は聖女様ではありません。真の聖女様は別にいるということです」

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