異世界召喚
第16話 そういうことは言っちゃダメですよ
時が進むのは早いもので、この町に住み始めてもう一ヶ月もの時間が過ぎた。
日差しが少しずつ強くなってきて、ときおり汗ばむ事も増えてきた。もう少しすれば暑い季節が訪れるのだけど、この国の夏はどんな夏になるのかちょっと楽しみかな。
そんな季節の変わり目の時期の私は何をしているかといえば、お風呂屋さんの休憩室の一角で疲労回復という名の治療の真似事をしている。ちょっとしたリラックススペース的な扱いなので、とても毎日はのんびりと時間が進む。
お客さんの殆どは日々の仕事や、討伐の疲れを癒やすために利用してくれているんだけど、私が内緒で生命力の淀みを薄めている事は誰も知らない。かなり弱めに行っているので誰も気が付かないと思う。ちょっとしたシークレットサービス。
時折、ガガン爺――元執政官からの依頼で、重篤な障害を持つ患者さんの治療を頼まれたりするくらいかな。
セシリオさんを治療したときのように力を行使していると、そのうち噂が広まってしまいそうなので、最近は治療対象の患者さんには目隠しなどの防止策をとってもらっている。
本当はどんどん皆を治して上げたいのはやまやまなんだけど、さずがに恩恵の力を遠慮なく使ってしまうとキンドリッツ王国まで噂が伝わってしまうかもしれない。そうなればわざわざ隣国に移り住んだ意味もないし、関所を抜けた重犯罪者としてこの国の上層部へ正式な抗議があがってしまう恐れもある。
多くの患者さんには申し訳ないけど、疲労回復の支援魔法を通じて効果をとてもとても弱めた浄化の効果を待ってほしい。……できれば、もっと多くの人を治療してあげたいなあ。
「――お疲れ様でした。腰の痛みは多少収まりましたか?」
「おお、ありがとう。これなら明日からでも仕事に復帰できそうだよ!」
「ふふ、ダメですよ。今は一時的に収まっていますけど、無理をしたら癖になってしまいますよ?」
喜びから一転、困り顔になる常連のおじさんの仕草に小さく笑う。
「そ、それは困る。そんな事になったら家内にどやされてしまうよ」
「それじゃあ、あと二日くらいは無理をせずに休んでくださいね」
「二日かあ」
「あと、できれば私のところではなくて、きちんと治療院に行ってくださいね」
こういった治療は私のところではなくて、本来は治療院の領分になる。たまたま、お風呂屋さんの脱衣所で腰がピキッとなってしまったらしく、一緒に来ていた友人がここまで運んできてしまったので、なし崩し的に治療行為を行ってしまった。
……ちょっと苦しそうだったしね。
ぎっくり腰で運ばれてきた時は、脂汗を額に浮かべてとても苦しそうにしていたので、治療院へ行ってくださいという一言が言えなかった。治療院がお風呂屋さんのすぐ隣にでもあればよかったんだけどね。
「わかってはいるんだけどなあ、あそこの先生ちょっとこわいんだよ」
「もう、そういうことは言っちゃダメですよ」
こういった話が変な形で相手に伝わってしまうと私がものすごく困る。新参者は町で嫌われるわけにはいかないのだ。
「すまんすまん。明日の午前中にでも行くことにするよ」
「はい、そうしてください」
「――でも、本当にティーナちゃんがこの町に来てくれて良かったよ」
「たまたま私でもお力になれただけですよ。でも、そう言ってもらえると嬉しいです」
「ティーナちゃんはべっぴんさんだからな。息子の嫁に来てほしいくらいだ」
きちんと回復魔法を使えばもっと根本から治療はできるけのに、私個人の事情で抑えてしまっているのだから。ただ、そのおかげか少しずつだけど町の人達にも顔を覚えてもらえるようになってきたと思う。
こうやって日々の暮らしを話せる相手も多くなってきたしね。
「息子さんまだ十歳じゃないですか。それに私はしばらくそういうのは遠慮します」
「んー、残念。あ、そろそろ失礼するよ。はい、今日の治療費」
「え、ちゃんとした治療をしていないのに正規の治療費はいただけませんよ。治療院の先生に怒られちゃいます」
治療院の先生とは上手くお付き合いしていきたいので、そういうのは困る。それにきちんと治療していないのだから余計にもらう訳にはいかない。何回かお断りを入れて、その治療費は治療院で使ってもらえるように納得してもらった。
おじさんはお礼を言いながら帰っていった。
実は治療院の先生には、ここのリラックススペースの運営に関していくつか相談させてもらってからのお付き合いだったりするので、多分少しぐらいは治療行為をしても文句は言われないとは思う。心配なのは私が何度も治療をしてしまうことで、治療院に迷惑をかけてしまわないかということだったりする。
先生は治療の腕は確かなんだけど、結構気の強い女性で普段の言動から町の人からはちょっとだけ恐れられている。さっきのおじさんみたいなケースだと、一回治療してしまうと毎回こちらに来てしまいかねない。先生は結構親身になって相談に乗ってくれたので、私としても良い関係を続けていきたい。
まだ新生活を始めてから間もないけど、多くの人達のご厚意に甘えさせてもらっている。特に町に着いた翌日から仕事を始めることができたことは、とても運が良かったんだと思う。日々の仕事はそんな感謝の気持ちを込めようと思う。
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