第4話
夢・・・、夢、ゆめ・・・・・・。
ここ最近、夢という言葉をいささか使いすぎな気がする。
あるはずのない架空の夢物語、まるで夢のように誘われた世界、終わりを告げた夢、夢見ていた失くしたもの、夢は醒める。
ぼんやりとした現実と夢の区別もつかない中、そこは小さな家の中だった。
一周ぐるりと見渡すだけで、隅から隅まで目が行き届いてしまう小さい家。
茶に塗装された木造の家の中、僕は食卓の椅子に座っている。
卓を挟んだ向かいの席に、誰かが座っている。
君は・・・、
「・・・・・・・・・・・・僕?」
「なんて呼び方だ。まるで小学生か幼稚園のころに戻ったみたいだな・・・」
そこにはまるで鏡に写したような、自分が座っていた。だがそこに鏡があるわけじゃない。鏡なら返答があるはずがないのだから。
「どうして僕が二人いるの?」
「乖離したからだ。君と俺が」
「人間って乖離できるものなの?」
「人格とかなんて人間いくらでもあるだろ。その一つ一つは水と油みたいなもんなのさ」
分かるようで、分からないその説明。
つまり同じ人間の人格であろうと、肉体から分離してしまえば交わらないものであるということだろうか。
「どうして乖離したの?」
「さあ? 異世界に来ちゃったからじゃないの?」
もう1人の僕は湯気を上げるヤカンを見て、椅子から立ち上がる。
そのまま慣れた手つきで珈琲を入れ始める。
「僕って2人もいていいのかな・・・」
「いいわけないだろ。だから俺と君は住んでいる世界が違うのさ」
カップを掻き混ぜるスプーンの金属音が、カチカチと鳴る。
そのまま彼は一つのカップを持ってきて、そっと僕の前に置いた。
彼の分はなく、彼は立ったままで、僕にそれを飲むよう促す。
促されるままにカップを手に取り、一口すすると苦味が口の中を満たした。そしてその苦味が眠気を吹き飛ばしたかのように、家が崩れ、周りがぼんやりとした世界に変わる。
「夢なら・・・、いつかは醒めてしまう。俺が夢だ」
それは違う。君が本当の自分で、ここが夢なんだ。
口にしようとしても言葉にならなかった。
そのまま彼は僕から遠ざかり、ここから立ち去ろうとしている。
「目を覚ませば、そこが君の生きる世界だ。夢なんかじゃない」
違う・・・、違う。
ここは夢で、そっちが僕の世界だ。たとえそっちの世界で僕が生きれていなかったんだとしても、僕はそっちの世界の住人なんだ!
だから・・・、行かないでくれ・・・!
僕を連れて帰ってくれ!
「────────僕は・・・!」
────────
目を覚ますと、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
ただひたすらに真っ白の天井。
首を動かそうとしたら、何かのコードに引っ張られて動かせなかった。
口元の当たりを探ると、酸素吸入マスクらしきものが付けられているようだった。
「い・・・いで総・・・に連絡・・・! 目を・・・まし・・・わ・・・」
まだ朦朧としている五感の中、視界には映らぬ誰かが叫んでいる。
がぱっと勢いよくマスクが外される。
「しっかり! 私の声が聞こえる!?」
目に映ったのは看護婦のような人だった。声はしっかりと聞こえるからすっと頷く。
ここは病院なのか・・・?
「あっ・・・・・・、ネフ総督・・・!」
僕から視線を逸らして、明後日の方を見た看護婦さんは僕の視界から消えて、離れていく。
ゆっくりと背をつけたベッドが上がっていき、姿勢を起こされる。
天井と睨めっこだった視線も下へ降り、数人の人が視認できる。
数人の看護婦らしき女性、一人のチャラそうな男性、そしてその身を立派な正装に包み、その顔に刻まれた皺が風格を表す一人の初老婆だった。
「やあ。寝起きのところすまないね。一刻も早く君とお話がしたくてさ」
1番最初に話し始めたのは、身分の高そうな初老婆の横に、まるで秘書のように控えた男だった。
男はにこやかな笑顔で語りかけてくる。
「えっと・・・・・・」
「おっと! 分かるよ・・・、ここがどこだとか僕らが誰だとか色々気になっちゃうよね! でも『人に名を尋ねる時は自分から』っていう言葉があるだろ? だからまずは君の名を聞かせて欲しいんだ」
男は僕の言葉を遮って、早口でまくし立てるように言う。だが────、
「僕の名は・・・・・・・・・、何ですか?」
「「・・・・・・・・・・・・は?」」
僕以外の人間がぽかんという顔をする。
しかし思い出せない。僕の名前はなんだ。名前を忘れるなんてそんなはずない、と思いながら思い出せない。
「本当に思い出せないんです・・・。僕の名前は何なんですか?」
「あちゃー、そうくるかー・・・・・・」
男は「やっちゃったなー」と頭を掻きながら、そっと隣の初老婆に耳打ちする。
そしてそれを聞いた老婆は頷く。すると、
「いいかい? 君にはできるだけ素直であって欲しいんだ。拷問なんてしたくないし、君だって痛いの嫌だろ?」
男の口調が少しだけ険しいものになり、不穏な空気が漂う。
彼は歩み寄ってきて親しげに肩を組むと、懐から黒い何かを取り出し、突き付けた。
「それは・・・何ですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
ふと疑問を口にしただけだったのだが、僕は何かまずいことを言ったのだろうか。
男の顔は一層怪訝になり、その鋭い眼孔でこちらを見定めるように睨みつける。
その目は僕の瞳の中に潜む、僕自身の本質を覗こうとしているような────、
「────やめな」
たった数文字。その力強い言葉に、場の空気が切り裂かれた。
「いくら凄腕のスパイだろうと、銃を突き付けられて表情一つ変えないどころか、汗一筋さえ流さない輩なんてそういない」
「ですね」
老婆の言葉に、僕に肩を組んでいた男はさっと手を戻し、「銃」と呼ばれたそれを懐にしまう。
そしてさっきよりか胡散臭く感じる笑顔を貼り付けて、また軽そうな口調に戻る。
「いやぁ〜ごめんね。今のはジョークだと思って忘れてね? ホントは君と────」
「当人がこの調子なら詭弁なんていらんだろう」
男の軽口を遮って、初老婆が言葉を挟む。その人の言葉は男のものとは相違して、一言一言に重みを感じられた。
「単刀直入に聞くよ。アンタは何者なんだい。どこからどういう風にここに来て、なぜあの場に居たんだい」
「はい・・・?」
質問の意味がまったく分からなかった。なぜそんなことを聞かれるのか。
そもそも聞きたいことがあるのは、こっちの方だ。ここはどこ? 自分は誰? あなたも誰?
自分のことさえ脳にフィルターがかかったように思い出せない。
「総督落ち着いてください。程度は分かりませんが、彼が記憶喪失状態なのはさっきあなた自身が認めたことでしょうが」
男がケラケラと笑いながら、老婆に落ち着くよう促した。
「自分の名前さえ思い出せないような人間にそんなこと聞いたって、何も出てきませんよ。まずは順序を踏まないと」
彼は宥めるようにそう告げ、この部屋に入ってきた時から持っていた鞄を差し出す。
手提げの鞄で、薄汚れ、所々が破れかけている。
「いいかい。この鞄はおそらくだが、君の所持物だ。見覚えはある?」
「いえ・・・、初めて見ました」
「そうか。でもこの中に、君そっくりの写真付きの身分証明証のようなものが入っていたんだ」
彼はポケットから、ビニールジッパーのようなものに包まれた身分証明証を取り出し、手渡してくる。
そこには紛れもなく、僕の写真がプリントされていた。
「間違いなく・・・、自分のものです」
「そうか。残念ながら言語は他国のもののようで僕らには読めないんだが、名前はなんて書いてあるか分かるかい?」
「しくら・・・・・・」
「そうか! 君はシクラ君というのか。良かったよ、名前だけでも分かって」
まだ名前には続きがあったのだが、言い切るより早く会話を進められてしまった・・・。
しかし幸い母国語は読めるらしい。なら自分がどこの誰かくらいは分かるだろうか。
「出身地とかは書いてない?」
「とう・・・きょう?」
「とーきょー? 聞いたことないなぁ。そこについて思い出せることはない?」
とうきょう。漢字で「東」の「京」と書いて東京。そこまでは分かる。しかしそこがどこなのか、どんな場所なのかは全く思い出せない。うーん・・・、
「にほ・・・・・・ん?」
「ん? なんて?」
「い、いえ。何でもないです」
おぼろげなイメージの中で、そのワードがふっと出てきた。
「にほん」。何なのかは分からないけど。
「すみません。何も思い出せないです」
「そっか。出身地については不明っと・・・」
そう言って、男は手元のボードに目にも止まらぬ早さでメモを取っていく。
・・・・・・・・・・・・。
一度質問の波が収まって、自分が完全に彼のペースに乗せられていたことに気づく。
どうやら僕は部分的な記憶喪失状態らしい。特に自分に関することの記憶がほぼない。名前や出自、そして過去についても何も思い出せない。
今、手の上には自分に関する重要な情報の塊があるわけだが、そんなことをおいそれとこの人たちに話していいものか? まだこの人たちが何者なのか僕は知らない。
そして今ならどんなことも記憶喪失だからで流すことが出来る。
そんな僕の考えを見透かしたように、審問官の彼は、
「うん、こちらから一方的に質問攻めっていうのもフェアじゃないね。シクラ君の方から聞きたいことはないかい?」
まるで配慮のようにそう言った。
しかしその裏に彼の真意が見える。
これは僕が彼らに「尋ねる」ように見せかけて、彼らが僕の情報を「引き抜く」ためのことだ。
これで僕が彼らに何かを問いかければ、僕が何を知らないのか彼らに伝わる。それを知ってから嘘で返すことなんて、記憶喪失に焦り、純粋になってしまっていた僕より遥かに簡単だろう。
尋ね方を探るように、一歩踏み込む。
「ここはどこなんですか?」
「ここは西の島国レナリスという国さ。ちなみにこちらはこの国の軍事と軍隊の総括役、ネフ=エリオノール総督。僕はその秘書役、アロ=ティラン。改めてよろしくシクラ君」
即答だった。しかも尋ねたより多くの答えが返ってきた。これがすべて嘘なら、彼は口と同じように頭も素晴らしく回る人だ。
「ティラン・・・さん」
「アロさんでいいよ。そっちのが短いし」
彼はそう言ってにっと笑う。
その笑顔が嘘をついているとは思いたくないが、国や彼らの名前に嘘をつかれても別に構わない。
「僕は・・・、今からどうなるんですか?」
本質的なところに踏み込んでいった。
彼らの役職からしてもここはおそらく病院などでない。病院でないなら、僕はなぜここに連れてこられている?
その理由を知りたい。
アロさんは、後ろのネフ総督と目を合わせて、許可を仰ぐ。そしてお互いに頷くとその視線を僕の方に戻した。
「君は・・・、昨日のことを覚えているかい・・・?」
「昨日・・・ですか・・・?」
「ああ。何でもいい。思い出せることがあるなら教えて欲しい」
昨日か・・・。
頭を抱え、記憶に思いを馳せれど、過去のことはまったく思い出せない。
それがたとえ昨日のことであったとしても。
「すいません・・・。何も思い出せないです」
「そうか・・・」
アロさんは深くため息をついて、頭を抱える。
その姿に若干の申し訳なさを感じながらも、思い出せないものは思い出せないので、何度頭を抱えても無駄だ。
そうして質問した方もされた方も頭を抱えるという図が出来上がった。
その様子を見たネフ総督が切り込む。
「はぁ・・・。これじゃ調査も進まないねぇ。ま、急ぐ必要もそこまでない」
「いいんですか? この子についてはできるだけ早々に知っておいた方がいいと思いますけど」
「急ぐなって言ってんだよ。当人がこの調子なら今は何も出てこないだろうが、またいつでも話は聞けるだろうさ」
その当人とは僕のことなんだろうが、僕はまるで蚊帳の外だった。
「時が来たら、この子もあたし達も全て知ることになるさ。今は右も左も分からないんだろうからこれ以上続けるのもかわいそうさね」
「そうですねぇ。今日のところはここまでにしますか」
なんだか勝手にお開きになったみたいだ。
────────で、
「僕はどうなるんですか?」
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