放課後、辰子が図書室に寄り道したあと寮の部屋へ帰ると、室内にダンボール箱が積み重ねられていた。そしてフレデリカがそれらを開封して、荷物を整理している。「あ、おかえりなさい」

「あ、ただいま――じゃなくて!」

 辰子は部屋を飛び出し、寮母のもとへ押しかけた。

「なんでアタシの部屋にオルロックさんがいるんですか!」

「あれ? 言ってませんでしたっけ?」

「聞いてません!」

「ウッカリしてました。ごめんなさいね。でも、フツーに考えればわかるでしょう? 空いているのはあなたの部屋だけですし」

「でも空き部屋なら、ほかにもいくつかありますよね?」

「それはそうなんですけど、学院の方針として、ふたり部屋で共同生活し、協調性を育むことになっているんですよ。まあ人数が奇数で余ってしまった分にはしかたありませんけど、基本的におひとり様はなしって決まりですから」

「ぐぬぬ……」

 辰子は観念した。とはいえよくよく考えてみれば、この学校に来て初めて友人を作るチャンスではないか。フレデリカは一年でいなくなってしまうが、彼女の社交性を利用すれば、クラスメイトとの仲も取り持ってくれるかもしれない。

「おかえりなさい」

「……ただいま」

 部屋へ戻ると、フレデリカは本棚に分厚い洋書を何冊も並べていた。高そうな革張りの装丁ばかりだ。

「へえ、本が好きなんだね」

「そう? べつにこのくらいフツーでしょう」

「いやいや、そんなコトないよ。イマドキの女子高生は本なんかほとんど読まないって。少女マンガくらい?」

「なら、わたしも辰子もイマドキの女子高生じゃないのね。あ、辰子って呼んでもいいかしら」

「うん、いいよ。アタシもフレデリカって呼んでいい?」

「もちろん。ねえ辰子、さっきは教室で何を読んでいたの?」

 フレデリカが距離を詰めてくる。息がかかりそうな距離まで。パーソナルスペースが相当狭いらしい。辰子は胸が高鳴るのを感じながら、平静を装って答える。

「ああ、アレ? えっとね、『吸血鬼ドラキュラ』って知ってる? イギリスの女流作家が書いたヤツ」

「ミナ・ハーカーよね。当然知っているわ。世界的に有名だもの」

「まァそうだよねェ。これはそのパスティーシュ――つまり二次創作なんだよ。あと、シャーロック・ホームズも出てくる。どっちもヴィクトリア朝が舞台だから、定番の組み合わせだね。図書室の棚に一冊だけヒッソリ並んでるのを見つけてさ」

 本作はドラキュラ伯爵夫人の日記形式を取っている。トランシルヴァニア伝承が取り上げられており、スコロマンスが出てくる。言うまでもなく、この女学院の名前の由来だ。創設者アラニュ・ジャーダはハンガリー系ユダヤ人で、第二次大戦中ナチスドイツから逃れてアメリカへ亡命した。その後、進駐軍の夫と結婚して来日。日本が気に入って移住し、スコロマンス女学院を設立したという。

「フレデリカも読む? アタシが読み終わったら貸してあげる」

「うーん……わたし、日本語をしゃべるのは問題ないけど、文章読解はまだチョットむずかしいのよね。その本の日本語はカンタン?」

「あー、翻訳書なせいか、けっこう表現が堅苦しいかも」

「ならエンリョしておくわ。日本語の読解スキルがもっとアップしたら、自分で図書室から借りてみるから」

「そっか。なんかごめんね」

「謝るようなコトじゃないわ。でもうれしい。辰子はやさしいのね」

 フレデリカがさらに密着してくる。吐息が顔にかかる。蜂蜜のような甘い匂いがして、それを嗅いでいると、辰子はアタマがクラクラしてきた。

 これは何かわからないがまずいと、辰子はフレデリカから身をはがした。「シャ、シャワー、先、入らせてもらうねっ」

 そそくさとバスルームへ逃げ込む。この寮にいわゆる大浴場はなく、部屋にそなえつけの小さなバスルームしかない。これまで辰子はひとりだったので気兼ねなく使えていたが、今後は順番やタイミングなど考える必要があるだろう。

 と、辰子がカラダを洗っていると、バスルームの扉を開けて、石まとわぬ姿のフレデリカが侵入してきた。「おジャマしまーす」

「チョ、チョット、フレデリカ! なんで」

「なんでって、ハダカの付き合いってヤツでしょ? 日本人はそうやって絆を深め合うって聞いたのだけれど」

「それはもっと大きいお風呂の場合! ここじゃ狭いからムリ!」

「そう? 何ごとも試してみなきゃわからないわ」

 フレデリカはシャワーカーテンを開け、浴槽のふちをまたいで強引に入り込んでくる。ふたりで並ぶだけの余裕は十分あったが、シャワーカーテンを閉じるとイッキに窮屈さが増した。

 事前に想像していたとおり、フレデリカのカラダは綺麗だった。引き締まって均整が取れていて、まるで作り物めいた美しさ。同じ女でも思わず見惚れてしまう。下っ腹のあたりがゾワゾワする。

「背中を流してあげる」フレデリカは自分のカラダにボディーソープを塗りたくると、辰子のカラダに抱き着いて密着し、ゆるやかにこすりはじめた。肌のやわらかな感触が伝わってくる。さらに手のひらと指先が、辰子のカラダのすみずみへと伸びていく。首筋や脇の下を撫で上げ、ヘソをほじくり、尻の割れ目をなぞる。

「ヤ、ヤダ、くすぐったい、そこ、やめ、あっ、アハ、ダメだって、チョット、あン、そんなトコ、んあ、キタナイ、うひっ」

「ホラホラ、ジッとしていないと危ないわ。すべって転んじゃう」

 まるでヘビに全身を這いまわられているような気分。とはいえ不快というワケではなく、だからこそ理性が警告を発しているのだった。このままではイキつくところまでイってしまうと。

 カラダが熱い。息苦しくて呼吸が荒くなる。心臓が破裂しそうなくらい脈打っている。

 蜂蜜の匂いがする。蜂蜜の甘い匂いが。

 けれども、その奥に、何か、血生臭い――

「ひゃっ!」不意打ちに冷水のシャワーを浴びせかけられ、辰子はわれに返った。

「アハハハハ! ごめんなさい。おどろいた?」

「心臓が止まるかと思ったよ……」

 シャワーをお湯にして、フレデリカは泡をていねいに洗い流してくれた。それからタオルでカラダを拭いてくれる。

「アハハ、ハダカの付き合いって思っていた以上に楽しいのね。これなら毎日やってもいいわ」

「そ、それはさすがにチョット」

「エッ? 辰子はわたしとお風呂に入るのイヤ?」

「べつにイヤってワケじゃないけど……」

「じゃあ問題ないわね。これからは毎日いっしょに入りましょう。エンリョしなくていいのよ。わたしとあなたの仲じゃない」

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