五月六日

 モリアーティ教授の遣いで、ポーロックが魔犬を引き取りに来ました。つまりわたしを迎えに来てくれたのです。

 ステイプルトンには正体を隠している手前、わたしは飼い犬のようにリードをつけられた状態で連れていかれました。人目につかないよう、夜のうちに無人の荒野を横切り、朝一番の列車でロンドンへ戻る手筈です。ステイプルトンの目が届かなくなったところで、わたしはようやく人間の姿へと戻ることができました。

「ご苦労だったねイロナ。疲れているところ申し訳ないけど、馬車は誰にも目撃されないように、ここから三マイル先で待機させているんだ。あいにくそこまでは徒歩で向かうしかない」

「いいえ、わざわざ歩く必要はないわ」

 わたしは人間大の巨大なコウモリに変身すると、ポーロックの首根っこを足でつかんだまま、夜空へ舞い上がりました。

 ポーロックは最初のうち高さにおびえていましたが、少しするとすっかり慣れて、遊覧飛行を楽しみました。

「ああ、なんてステキな景色なんだろう。これが鳥の住んでる世界なのか。こんなにも広い。こんなにも遠い」

「鳥じゃなくてコウモリよ。まあわたしも、どうせ変身するなら鳥のほうがよかったけれど。カラスとか」

「そんなの何だっていいさ。飛べるというだけですばらしい」

「ところで、ヴァン・ヘルシングたちの件はどうなってるの? まったく音沙汰がなかったけれど」

 わたしはポーロックをぶら下げている片足を離しました。

 ポーロックは額に冷や汗を浮かべながら、「それが、とても言いづらいんだけど、まだ居場所をつかめていないんだ。連中ときたら、こちらの思っていた以上に雲隠れするのが得意らしくて」

「あらあら、それは困ったわね。大事な部下が一人死ねば、モリアーティ教授はもっとやる気を出してくれるかしら」

 ポーロックは力なく笑いました。「……ジョーク、だよね?」

「ジョークで済むかどうかは、おまえの返答しだいによるわ。アマーリアからの手紙に書いてあったの。ジェームズ・モリアーティという人物は、本当に信頼に足る相手なのかって。ひょっとしたら、わたしのことを都合よく利用しているだけなのではないのかしら」

「……ひとつだけハッキリ言えるのは、世界広しといえど、モリアーティ教授以上の情報網を握っている人間は存在しないということだけだ……。もしも教授に見つけられなかったとしたら、もうほかの誰にも見つけられないだろうね。……あいにくだけど、そうなったときは潔くあきらめてもらうしかないかな……」

 わたしはもう片方の足も離して、ポーロックを空中へ放り出しました。彼女は少女みたいにかわいらしい悲鳴を上げながら、地上へと落ちていきました。けれど地面に激突する寸前、ふたたびつかまえて助けてあげました。少しイジワルをしただけです。

「た、助かった……」

「どう? なかなかおもしろいジョークだったでしょう?」

 今さら焦ったところで意味はありません。どれだけ待たされるかはわかりませんが、これまで生きてきた歳月に比べれば、しょせん瞬きのような時間に過ぎないのでしょうから。

 ところで余談ですが、鳥がフンを落とすのは、空を飛ぶにあたって、できるだけ身体を軽くするためだそうですね。人間はいくら軽くなったところで飛べませんけれど。これ以上は彼女の名誉に関わるので、書き残さないでおきます。

 しばらくはロンドン見物でもして、のんびり過ごそうかと思います。それで気が向いたら、また夜遅く出歩いている娼婦でも襲うとしましょう。ヴァン・ヘルシングたちをおびき寄せられれば万々歳ですし、たとえ狙いどおりいかなくても血が飲めますしね。

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