「提示」

老婆が誰かわかった瞬間、

スミ子は自分の周囲が明るくなり、

床の上に立っていることに気がついた。


みれば、その場所は先ほどまでいた総合病院の手術室で、

未だ呆然とするユウキと曽根崎の姿もある。


だが、次の瞬間。


一人の女性の泣き声が静けさを打ち破った。


「やめて、死なないで、未来の牛はどうなるのよ!

 私の娘はどうなるの結衣花はどうなるのよ!」


手術台の上の女性に心臓マッサージを施す女性。

牛の頭部を持つ動かぬ妹を必死に蘇生させようとする女性。


涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、

天城ハルカはがむしゃらに

心臓を動かそうとマッサージを繰り返す。


「お願い、お願い、お願い…」


だが、心電図は動かない。

傷だらけになった妹は息を吹き返さない。


スミ子は気づいていた。


天城ハルカの妹はスミ子たちが来た時点で、

すでに死にかけていたのだと。


天城カズラに利用されながらも、

空間のエネルギーでわずかに命を繋いでいたことを。


「そんな、そんな…」


天城ハルカはすすり泣く。

母として子供のようにすすり泣く。


「いや、嫌よ。妹のような境遇の孫なんて欲しくない。

 信者に道具にされる子供なんて欲しくない。

 あんな空間の中で見た娘の未来を私は決して受け入れられないわ。」


その時、スミ子は気づく。


あの吹雪と砂塵の狭間で見た女性。

白衣の女性が誰であったかを。


「結衣花、結衣花が死ぬなんて私は耐えられない。

 あの子が生贄として子をなして死ぬなんて耐えられない。」


そうして、彼女は手近にあるメスを取る。


「もう、いっそ…」


その瞬間、とっさにユウキが腕をとり、

天城ハルカが自身の頸動脈を切ろうとするのを止めた。


「おい、おばさん。それだけはダメだよ。

 天城家は実質あんたが仕切っているんだろ。

 死んじゃったら残った信者の始末をどうするんだよ。

 余計ややこしいことになるだろうが。」


「でも、でも。きっとこのままじゃあ…」


スミ子はその時、不意に閃くことがあった。


先ほど、スミ子たちが進んだ吹雪の空間。

そこにいた牛の顔をした女性の行列。


スミ子がその列の縄を切った時、

後続の女性たちの影が消えたこと。


そして前から二番目までの女性は救えなかったが、

彼女から「ありがとう」と確かに言われたこと。


その、意味するところはもしかして…


「天城ハルカさん。あなたの娘さんは亡くなるかもしれませんが、

 その代わり、未来の牛を生んでいないかもしれません。」


「え?」


疑わしそうにスミ子を見る天城ハルカ。


しかし、それくらいはわかっている。

大事なのは彼女に事実を提示することだ。


スミ子は天城ハルカに素早く近寄ると、

彼女の手を取りこう続けた。


「これからその証明のために空間をたどって未来に行きます。

 そこで娘さんの子供達を見に行きましょう。

 信じるか信じないかはあなたが決めてください。」


これは、賭けだった。


空間を開き、きちんと天城ハルカの

娘の元に行くことができるか。


内心、スミ子は不安で仕方がなかった。


自分の力で空間を開けて未来に行くなど、

できるのかすら怪しかった。


だが、この数日中に

スミ子は二年後の未来へ行っているし、

何より未来の自分が過去へと来ていたではないか。


自分を信じよう、今だけは。


…そして、スミ子は深呼吸すると、

静かに空間に穴を開ける。


空気をつかむようにし、

慎重にカーテンを引くように動かす。


すると、何もないはずの空気の中に

ひと一人分は入れそうな穴が開いた。


「さ、一緒に行きましょう。」


スミ子は天城ハルカを伴いながら、

穴の中を進むことにした。

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