「穴の開いた顔」

マンションの4階から下の階へと、

エレベーターは下降する。


中にいるのは、

スミ子とユウキと青年の三人。


駆け込んできた青年の顔は真っ青で、

息を切らしながらエレベーターの床に座り込んでいる。


それに見かねたのか、ユウキが青年に話しかけた。


「なあ、さっきエレベーターの入り口で見た着物の爺さん。

 死んだって聞いたけど、いつ頃亡くなったんだ?」


…もちろん、本当に上の階にいた老人が

死んでいるかどうかは確認しない。


相手の神経を逆なでするような

質問をユウキはしないだろうし、

スミ子だって、あの三角布をつけた着物姿の老人が

仮装ではないことぐらい何となく察していた。


すると、青年は皮肉げな顔をユウキに向ける。


「言っただろ2週間前に心筋梗塞で孤独死したんだよ。

 頼む、ちょっと休ませてくれ…」


ぐったりとする青年。


ユウキはスミ子に顔を向けるも、

スミ子は首を横に振った。


…今まで、このマンションで

人が死んだという話は聞いたことがない。


2週間のうちに住人に何かトラブルがあったのなら、

パトカーや救急車が来るはずだ。


それでなくとも孤独死なんて出れば、

マンションは噂で持ちきりのはずだ。


そんな、スミ子の表情を察したのか、

青年は下を向いたまま「けっ」と笑った。


「ま、知らねーよな。事実を知ってるのはごく一部の人間だもの。

 俺もバイト先の葬儀屋で聞かなきゃ知らないままだったし…」


そして、青年は語りだす。


なぜ死者であるはずの老人が、

マンションを徘徊するようになったのかを。


…最初に知ったのは管理人だった。


老人が二日以上外出することがなかった場合、

緊急の連絡先に電話を入れるよう、

管理人は老人に事前に頼まれていた。


そして一週間後。


郵便受けに新聞紙が溜まっていると住人から連絡を受けた

管理人は老人が外に出た様子がないこと確認し、

指定した連絡先に電話を入れた。


駆けつけたのは総合病院の女性医師で、

自分はかかりつけの医者だと説明した。


医師の立会いのもとドアを開けると老人はすでに死んでおり、

遺族もいなかったことから速やかに死亡診断書の発行と、

女性医師の指定する葬儀屋のもとで火葬の手続きが行われた。


そして、依頼された葬儀屋が部屋で支度を整え

遺体を運び出そうとすると…


「…遺体が消えていたんだ、丸ごとな。」


青年はそう言うと顔を伏せた。


「以来、死んだ爺さんが廊下をうろつくようになった。

 死んだ直後の時と服装は一緒で、死装束に顔に布を当てた姿。

 だが、管理人も死亡の診断を出した医師も何も言ってこない。

 葬儀屋は撤収、遺体は放置。誰も調査をしようともしない…」


青年は虚ろな目でスミ子を見上げた。


「死体に出くわした住人は十中八九、引っ越している。

 残ってる奴は何も知らないか…よほどの物好きぐらいだ。」


その言葉に、スミ子は戸惑う。


自分はそんな事実をまるで知らなかったし、

徘徊する死体なんてマンションで一度として見たことがない。


今だって、あの老人さえ見なければ、

とても信じられるような話では…


と、その時ユウキが階数表示を指さした。


「おい、なんか変じゃね?」


スミ子は顔を上げ…気づく。


エレベーターの階数表示。

スミ子の住む4階でランプが何度も点灯している。


エレベーターは確かに降っているので

単なるランプの故障かと思ったが…


「…え、なんで?」


スミ子の口から思わず声が漏れた。


降りたはずのエレベーター、

しかしドアのガラス越しに見えるのは先ほどと同じ光景。


マンションの4階の廊下。

着物姿の老人が目の前に立ち尽くす光景。


下降するエレベーター。

しかしどこの階に行っても老人がいる。

表示は変わらず、同じ階にたどり着き…


「うわあ…!」


青年は叫び声をあげると隅の方まで逃げていく。


「何で、なんで俺たち同じ階に止まってるんだよ!」


悲鳴のような言葉。

だがそれは事実だった。


4階のランプは幾度も点灯し、

外には同じ老人と廊下の光景が広がっている。


しかし、見える光景は必ず同じではなかった。


降りるたび、エレベーターのガラス越しに

コマ送りのように映る外の景色。


廊下と「4階」の階数表示。


そして顔が布で覆われた老人。

遭遇した時と同じドアの前にたたずむ老人。


だが、その布がわずかにめくれていく。


端の方から少しずつ、

風でめくれるように顔が見えていく。


コマ送りのようにその布は引き上げられていき…


「同じだ!俺がめくったときと同じだ!」


顔を涙でぐしゃぐしゃにした青年の言葉。


老人の顔、そこには穴があった。

口が異常なほどに大きく開いたかのような大きな穴。

顔の中央にぽっかりと空いた穴。


それがエレベーターの向こうで、

連続写真のように何度もスミ子たちの前に現れる。


「…まずいな、あれは『虚人うろびと』だ。

 虚に完全に飲み込まれた『虚人うろびと』だ。」


ユウキは老人を見て、

焦ったようにそう告げた。

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