第6話接触1

「1日お疲れさんでした。明日も生きてまた会いましょう」

 もやしのように細身の体型にもかかわらず、声は意外と野太く、しっかりとしている担任教師の号令が終わると、先程まで静かであった教室は騒めきに包まれた。仲のいい友達同士集まって話しだす者。そそくさと退散する人。好きな部活動の時間が始まるとあって、部活用の大きなショルダーバッグを肩に提げて、楽しげに教室を飛び出す連中。いろいろ心持ちで開放感に浸る人達が居る中、一部その空気を味わえない人々がいた。


「はぁーだる、だる、だる、だる。ダルメシアン」

「だよなぁー。先週も俺やった気がするんだが、なんかの間違いか?」

「てか、掃除のジジイ雇ってんだろ? なんでタダ働きで俺たちがしないといけないんだ?」


 教室の中心から南西に位置する左隅の一角で、クラスの男子三人が固まり、各々、口々に不満を吐いていく。気持ちは分かるが、僕の目の前でため息を吐くのだけは辞めてくれ。せっかく気持ちを整えていたのに、全てが崩れそうだ。


 我が校は社会のなんなるかを、精神的になんたるように学ぶ為、各席を大雑把にまとめた島ごとで、放課後に簡単な掃除をすることが、義務付けられている。入学式の日、かなりの時間を使い長広舌をふるっていた校長は、その中で掃除を行うことが、いかに素晴らしいのかを熱心に述べていたが、僕はあいにくその時、船を漕いでいた為、未だに何の為に掃除をするのかをよく分かっていない。


 今、目の前で不満を垂れているクラスメイト。名前が思い出せないが、角刈り。ロン毛。坊主。の三人も入学式の日、掃除のなんたるかを聞き逃していたのだろう。でなければ、あんなに喋っていた校長が、可哀想で浮かばれない。

「もうさ、いっそ帰っちまうかぁ?」

 自分の机に座っていたロン毛が妙なイントネーションで、勝手なことを言い出した。

 ロン毛よ。帰っちまうかぁではなく、帰っちまうかぁだからな。今のは少し違和感があったぞ。


「いいね、いいね、それウィーね」

 ロン毛の机に集まっていた一人である角刈りが、両手を振り上げて同意を表す。

 角刈りよ。それウィーねではなく、それウィーねだからな。今のは少し違和感があったぞ。

「よっしゃ、んじゃベーレル前にかえろーぜぇい」

 同じく、ロン毛の机周りに集まっていた坊主が、腹から元気よく声を出した。

 坊主よ。……何故だ! 何故お前だけ完璧なイントネーション何だ!?

 思わずツッコミを入れたくなったが、普段関わりのない彼らに、いきなり絡むことなどできなかったので、せかせかと荷物をまとめながら、帰り支度をしている彼らを、静観することしかできなかった。


「こら。何をしているのかな君達?」

 この世に天使がいるのならきっとこのような、耳ではなく脳を揺さぶる、不思議で魅惑的な声なのかもしれない。


 佐々木真由香。


 朝から僕の心臓をどくどくと高鳴り、おかしくさせる危険因子。彼女と何とか接触を試みない限り、この動悸は改善することなく、時間が経てば経つほどに苦しく、強大な恋のガンへと変わり、いつか僕の身が滅ぶだろう。大袈裟に言ったつもりはなく、彼女の姿を認めた瞬間、心臓に、尋常ではない量の血液が送られている。

空気と救いを求めるように、首を動かしながら教室内を見渡した時、丁度、教室を出て行く悪友の隆聖と目がかち合った。


 隆聖は周りには分からないほどの早業で、綺麗な敬礼を行うと、口を大きくパクパクと動かす。それから軽く頷き教室から出て行った。


……今、何と言ったんだアイツは?


 場面的に海よりも深そうな言葉を、口パクで隆聖が述べていたが、ドラマのように上手くは行かず、拾うことが叶わなかった。しかし、アイツの勇姿だけはしっかりと受け取ることができた。そうだな……。多江さんや隆聖の為にも今日勇気を振り絞って言おう。


「帰りたい気持ちは分かるけど。帰ったら帰ったで、少しの罪悪感が芽生えるよ? そんな状態を抱えたままじゃ、家で満足にくつろげないでしょ。たかだか15分もないんだから、一緒にがんばろ、ね?」


 逃げようとしていた三人は天使、佐々木の言葉により、自身の非を認め改心したらしい。大人しく返事をすると、荷物を机に戻して、教室の隅に鎮座している掃除用具入れに、向かって歩いて行く。

佐々木真由香おそるべしと言うのか、僕が同じことを、あの三人に言っていたとしたら、すんなりと穏便に物事は進んでいないだろう。……くそ、今の光景を少しでも羨ましいと思ってしまった自分が情けない。


 三人を片付けた佐々木は、他の掃除当番者にも声を掛けて行った。佐々木の言葉掛けにより、覇気のなかった連中は次々と闘志を燃やして行く。そんな佐々木を椅子に座りながら目で追っていたら、なんと張本人と目が合ってしまった。

「あら、あなたもオサボリさんかしら?」

「いえ、あ、いえ……」(嫌だな、違いますよ。ただ少しだけ、休んでいただけです。ははは)

「まぁねぇ。学生の本分は勉強って声高々に言っているのに、掃除を徹底させるのもどうかと思うけどね」

「あ、そ、っすね」(分かります、分かります。だいたい、先生が一切手を出さずに生徒だけに掃除を押し付けるのにも、僕は疑問ですね)

「でも、めんどくさいのは分かるけど。ルールはルールだから守らないと。よく言うでしょ、小さな綻びが学級崩壊を招くって」

「……はぁい」(それ、知ってます。聞いたことあります。この前、テレビでやってました)

「だからさ、一緒にがんばろ。田中君」

「・・・え」(・・・え)


 わざわざ僕の席に近付き、腰を屈めながら、可愛い笑顔で話していた、佐々木の表情が曇った。

「ごめんなさい。私、なんか変なこと言ったかしら?」

「あ、いえ……。僕の名前知ってるんですね……」

 佐々木真由香と同じクラスなってから半年過ぎているにもかかわらず、今日、初めて彼女がお腹を抑えて笑う姿を見た。


 僕のぼっち列伝高校生編が華麗に幕を開いたのは、高校一年生の時だ。二年生に上がり、腐れ縁の隆聖と同じクラスになった為、高校でぼっちだった期間は今の所、一年間だけである。

 一年生の時クラスの空気だった僕は文字通り、その存在さへも危うい状態だった。ある日のホームルームの時、担任の先生が僕の名前を読み上げたことがある。それは確か役員会への案内だった気がするが今となっては、よく覚えていない。とにかく、その時先生が僕の名前をフルネームで読み上げた。すると、どうだろう目の前の席に座っていた女子がポロリとこんな一言を漏らした。「田中拓真?  誰それ?」思わず、僕です! と声を張り上げそうになったが、そんなことができるなら、そもそも女子に認知されているはずであった。できないということは、そういうことであったのだ。


 名前を覚えてもらっていなかった僕だったが、その時は別段深く気にしていなかった。だが、その出来事は複線に過ぎず、学祭のクラスTシャツを作った際、僕の名前だけ、いくら探しても見当たらなかったことがあった。それ以降、完全にクラスから僕は消失したんだと悟った。

2年に上がり、連む人間がいるおかげか、1年よりも名前を認知されることが増えたが、女子からはからっきし駄目だった。佐々木真由香かもその最もたる一人だと思っていたが、違った。僕はどうやら彼女の事をかなり軽視して見ていたのかもしれない。


 彼女がモテるのは容姿だけでなく、その中に性格も含まれているに違い。


 おかしい。喜ばしい事のはずなのに、彼女の魅力が分かった所で、喜ぶどころか益々心臓がおかしなメロディを奏で始めてしまった……。



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