第7話接触2
「はい。田中君は掃き掃除お願いね」
分担の結果、僕の担当エリアは教室の廊下前になった。まるで競技が出来そうながぐらい長々と続くクリーム色の廊下だが、何も僕達のクラスだけでなく、各教室もそれぞれ本日の生贄が召喚されている為、掃除のする長さは大した事がない。佐々木真由香から所々、柄の部分がハゲて年季の入ったほうきを、にこやかな笑顔で渡される。目を逸らしながら、ボソボソ礼を述べて頭を下げると、固まって喋りながら、掃除を始めている集団から、外れるように廊下の隅の方に移動した。
分かっている。今が千載一遇のチャンスであるという事は。
佐々木から笑顔でほうきを渡された時、「サンキュー。真由香ちゃん。〇〇△△✖︎✖️」とスムーズで滑らかに口を動かせばよかったのだ。
だが、できなかった。口が、頭が、心臓が、意思とは裏腹に各々の訳の分からぬ行動をしたからだ。
口は精神統一を急に始めたのか、黙して語らず。頭は「可愛いな。可愛いな。可愛いな」としょうもない事を一生懸命考え。心臓に関してはもはやなにも言うまい。
結果、そんな惨状を目の当たりにしていた二つの脚が、スタコラサッサと退散を決めたのである。
そもそも佐々木と同じクラスになり、半月経っているが、今日を除くと喋った記憶がないのだから、今日初めまして、初対面です。よろしくどうぞの状態だ。そんな奴が馴れ馴れしく、話し掛けられたら佐々木はなんと思うだろうか? 女性から一度でも悪印象、マイナスの評価を頂くとプラスの評価に持ってくには、大変な苦労を強いられるとどこかの本で読んだ事がある……。
いかん。ネガティブになるな! 恐れるな、変なプライドなど捨てるんだ!
柱が立っている影響で角の部分にホコリが溜まりやすいのか、マリモのような黒いごみくずがバラバラに密集している。ホウキを使い僕はバラバラに散らばるごみくずを、一箇所に集めていく。――次第に散らばっていたゴミ達が一箇所にまとまり、より大きな塊になりだした。僕の頭、口、心臓、脚よ。今ひとつ、今この瞬間だけでいい。力を合わせてはくれやしないだろうか。
「何、ぶつぶつ言ってるの? 田中君」
予想していなかった佐々木からの奇襲を受けて、肩が跳ね、口がこんがらがる。
「う、あ、そ、いいいえ、べつに」
佐々木が楽しそうに笑い、言った。「慌てすぎ。そんなに、びっくりしなくてもいいでしょ」
「す、すみません。ちょっと突然でしたもので」
「言葉遣い」佐々木が目を細め、口を横に広げてクスクスと肩を揺らす。
そんなに変な事を言っただろうか……。
突然笑い出した可愛い生物に対して、どういった反応をすればいいのか分からず、苦笑いと共に視線を泳がしながら、見守ることしかできない。
「……ねぇ、田中君。ちゃんと見えてる? 私のこと」
佐々木が細めていた目を丸めて、僕に一歩近づきながら、唐突に疑問符を投げかけた。
「そ、それはどういった意味で」
「私、幽霊じゃないよ。ほら?」
佐々木は僕の手首を掴むと何を思ったのか、自身の肩に僕の手を置いた。
「ね。ちゃんと実在してるでしょ?」
「は、はい」
「あはは、田中君照れてる。かわいい」
蠱惑的な瞳を向けられて、僕の体が石化してしまったように硬くなり動けなくなる中、心臓だけは未だに喧しいぐらいドラを叩く。
とんでもない女だ。いや、天使だ。どうなるんだ? このまま僕は捕食されるのか? それもそれで……待て、違う。そうじゃないだろ! なんでか知らんが、チャンスが降ってきたんだ。恋の女神によるチャンスが! いくぞ、言え。言え。言うんだ! 僕!
「……う、あの可愛いですね、とても」
「うん? 何、田中君?」
っあぶねー! 何を口走ってんだ僕は。佐々木に聞こえなかったからいいものの。奇跡的に立ったフラグを自らの手で真っ二つにへし折ろうとしてどうすんだよ、ボケが。佐々木に変な事を勘付かれる前に、「な、んでもな、っす」とボソボソ、ぶつぶつ言っておく。
「田中君。真面目だねー。だいたいの人達は掃除なんて適当にやって、はい、おしまいなのに」僕が無意識で懸命に集めていたゴミの集団を見ながら、佐々木が感心したそぶりで言った。
「た、またまっす」
「謙虚だねー。たまたまで、こんなに綺麗に集めれる人いないよ」
ぼっち歴の長い人生からか、掃除のスキルだけはそれなりにある。
林間学校で自分のだけでなく、他人のベットメイキングまで、快く二つ返事で応じて率先した、桜が舞い散る中学の春。プール開きの日、掃除が終わり、授業の後半フリータイムを設けられた際に、皆んなが、はちゃけて遊んでいる最中、プールの隅に転がっていた雑巾を使い、一人延長戦に突入したギラギラ太陽が輝く中学の夏。担当教師が急な体調不良の為、その日体育が丸々、自由時間になったにもかかわらず、一人黙々と校庭の隅の方で落ち葉拾いをしていた銀杏の香る中学の秋。一年の総体制を表すかのように、午後の時間割を丸々掃除に費やした、大掃除の日、周りの人達が冬休みの楽しい予定を立てる中、担任教師に呆れられる程、掃除を取り組んでいたキラキラとした粉雪舞う中学の冬。
学生時代には通過儀礼のように、無数の掃除イベントが存在している。その全てのイベントに対して、ぼっちであるが故に、真面目な姿勢で取り組んできた結果として、全く役に立たないスキルを身につけてしまったと、常日頃から思っていたが、あれら全ては、今この瞬間。この時、佐々木真由香に褒められるイベント回収のフラグだったのかもしれない。
人から褒められて嫌悪感を表す人間などいないだろう。しかも褒めてくれる人間がとびきりの可愛い子だったら、その喜びは計り知れないものがある。
僕は鏡を見なくても分かる程に、気味の悪い笑みを浮かべて「あ、っあります」と口を動かしていた。
佐々木は二言三言僕に対する褒め言葉を続けながら、腰を屈めると手に持っていたチリトリを使い、器用にゴミを集めていく。その綺麗な後ろ姿を見ていたら、多江さんのアドバイスを思い出した。
「きっかけのない人と、距離を少しでも縮めるには、何かきっかけを無理矢理作っちゃえばいいのよ。佐々木真由香ちゃんだっけ、その子は部活動とかやってたりしないの?」
多江さん曰く、佐々木が部活動に励んでいたら、自然な形で進展がしやすいと言っていた。接する時間が増えれば、人間少しは好意的な感情を抱くとかなんとかウンタラカンタラ……。
つまり、佐々木が所属する部活に僕が入部する事により、一般生徒からその上の部活仲間に無条件で昇格できる訳だ。
ありがたいことに佐々木はボランティア部に所属していた。
でも、いきなりボランティア部に入りたいなんて言ったら変だろうか? 一年なら分かるが、二年の、それも半ばの月に唐突にボランティアに目覚めましたなんて、そんな純粋な心を持った人間は稀にいるかもしれないが……。馬鹿野郎! いつまでも、いつまでも、逃げ道を探しながら同じことを考えるな! ええい、ままよ!
「あ、あのボラン、てぃあ」
「ん? 何かな田中君」屈んでいた佐々木が顔をこちらに向けて来た。相変わらず可愛い笑顔だ。
唾をひと液飲み入れると、慌てずに口を開ける。
「その、掃除が上手いですよね。ボランティア部に入っている影響何ですか?」
緊張から早口でまくしたてるように言ってしまった。佐々木は首を傾げながら、一瞬困ったような表情を見せていたが、ボランティアと聞いた時、頷きを一つした。
「ああ、よく知ってるね! 私がボランティア部に所属しているの」
「あの、ゆ、有名だから……」
今の台詞はやばいんではないか。大丈夫だろか? 気持ち悪がられてないだろうか? 大丈夫だろうか? 気持ち悪がられてないだろうか?
「あら、私なんかやっちゃったかな?」困惑した顔を作り、小さく笑った。「まあいいや。特別ボランティア部に所属してるから掃除が上手いわけではないよ」
「そうなんですか……」
佐々木は「私なんかより、田中君の方がよっぽど上手いと思うけどなぁ」といい、細かなゴミを少しでも取り残さない動作で、ミニほうきを動かしていく。
どうしよう、次の一手が頭の中に浮かばない。スームーズにいくと思っていた会話が呆気なく止まってしまった……。これ以上ボランティアの話を、蒸し返して聞くのはおかしいだろうか? またまた謙遜をと言いながら、掃除がかなり上手いですよと、不自然に持ち上げていたら、下手な押し売りのようになってしまい、かなり不自然ではないか? かといってこのまま、何も言わず行動を起こさないままだと、おそらく今後一生、佐々木真由香と話すことなどないのかもしれない。
「あの、」
「あ! もしかして田中君。ボランティアに興味があるとか?」
「え……」
今、本当に恋の女神が舞い降りているのかもしれない。
「なんて、そんな訳ないよね。若いうちから好き好んでやる人はなかなか、いないよねぇー。……あれ、それじゃ私って若くないの? 大変、田中君! 私ってもう若くないのかな!?」
自分の発した言葉によって、慌てた様子で僕に詰め寄ってくる佐々木を見て、思わず小さく吹き出してしまった。
「ひどーい、田中君。私のことおばさんだと思ってるんでしょ」むくれた顔を作り、腰に手を当てて、わかりやすい怒りを表す彼女を見て、僕は首を左右に振り終わると迷わず告げた「あの、ボランティアに、き、興味があります」
「あれ、そうなんだ。……珍しいね、なんでまた?」
「いや、興味が湧いたというのか、なんというのか」
「興味ねー」佐々木が真面目な顔付きになって続けた。「疑うようで悪いんだけどさ。本当に田中君はボランティアに興味を持ったの?」
「あの、それは……どういった意味でしょうか?」予想してなかった佐々木の発言に少し戸惑い面食らう。
「気を悪くしたらごめんね。……実はさ、田中君と同じような事を過去何人かに言われたことがあるの。『僕はボランティアに興味が湧きましたって』それ自体はとってもいいことなんだけど、問題はその子達が入部した後に起こったことなのね」佐々木は軽いため息を吐き、嫌な過去を振り返るように手を顔に当て続ける。「実はその子達は、ボランティア活動には一ミリも興味がなく、興味があったのはボランティア部に所属していた女子部員だった。――困った子達でしょほんとに」
「え、ええ。そうですね」大丈夫、だろうか。今、僕の顔は引きつっていないだろうか。
「まぁ、きっかけが己の恋愛感情を満たす為に入部したのであれ、おいおいボランティアに興味が湧きましたっていうのなら、まだ可愛げがあるんだけれど、実際は違ったのよね。入部する子、入部する子が、みんながみんな頭の中が常に恋愛脳で、好きな女子部員しか眼中にない子達ばかりだったの。そんな困ったちゃん達が入部してしまったボランティア部はどうなったと思う田中君?」
「いや、あの、すみません、わかんないです」
佐々木は人差し指を上に掲げて言った。「ズバリ、部が崩壊寸前になった」
佐々木から無意識に責めらている感覚を覚え、頷きも返せず、唾だけを強く飲み込む。
「恋愛脳な困ったちゃん達は、当たり前のように、目当ての女子部員に対して贔屓な扱いをする。それを見た、又は感じた他の女子部員は嫉妬の嵐で荒れ狂う。雲行きが怪しくなり荒れた部の空気を読んだ、真面目な部員達は部活を去っていく。そんな現状を見ていた部長ないし副部長は何故か、困ったちゃん達に文句を言わず、困ったちゃん達に、モテはやされていた女子部員を責め出す。女子部員は部活に居づらくなり、部を休みがちになる。……まだまだ続くけど、辞めとくね。暗い話になるから」
「は、はい。いや、なんかすみません」佐々木に向かい頭を数回下げた。佐々木は女子部員と普通名詞で言っているが、あの暗い語口からして女子部員は佐々木真由香で間違いないだろう。まさか、これは見透かされているのか……。嫌な汗が背中に湧き出た。
「いろいろあったけど、ボランティア部は現在かなり平和なの。軒並み困ったちゃん達を辞めさせたから」
「それは、誰が辞めさせたんですか?」
「困ったちゃん達にモテはやされていた女子部員よ」
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