5.



 一時間が経って、レブナントは自分の後悔が遅すぎた事を知った。


 仲間を失った彼は、何度も転移の仕掛けに飛ばされ、完全に方向感覚を失っていた。しかも迷路を歩いている間、常に誰かに見張られているのを感じる。それが余計に彼を苛つかせた。

 いつまでも続くかと思われた罠をついに抜けると、彼は巨大な青いタイル張りの広間にたどり着いた。

 そこもまた異様な様式だった。広間の中央には光る立方体キューブが荷のように無数に積まれていた。立方体は時々消え、また新たな四角が天井から現れては落ちて積まれ、それを繰り返していた。

 レブナントは目を細めた。各ブロックの内部に何かが透けて見える。映っているのは、彼がこれまで歩いてきた箱部屋の中そのものだった。転移した空間はここで次々と積み重なり、新たな場所へと送られているのだ。

 レブナントの怒りが頂点に達した。彼は帯刀していた剣を抜いて、地面に突き刺した。

「この意地くそ悪い遊戯ゲームを止めやがれ!」

 怒りの声が広間中に反響した。


「汝はわが宝珠を望む者か。是か否か」

 声は突然、レブナントの頭にはっきりと届いた。

「そうだ! 我が国は侵略の危機に晒されている。宝珠の護りの力、それを貰いうけに来た!」

「ではその為にいかなる犠牲も厭わぬか。是か否か」

「犠牲? はっ! 仲間の命だけでは奪い足らないのか? なら俺の命をくれてやる!」

「是か否か」

「是だ!」

「よろしい、では儀式の場に案内する」


 レブナントが浮遊感を覚えたのは一瞬だった。すぐに足が硬い地面をつかんだ。

「これが最後の転移ならいいんだが」

 古戦士は毒づいた。

 その広間ホールは今までのどの部屋よりも広く、明らかに神聖な雰囲気が漂っていた。壁沿いに左右に並ぶ円柱が、中央奥の高い舞台へ誘うように配置されている。

 舞台の上には演壇があり、挟むようにして左右にひとつずつ、立方体のブロックが置かれていた。


「神託の時がきた」

 今度は頭ではなく広間全体に声が響いた。演壇の前に演説者が灰色のローブ姿であらわれた。フードの中は暗く表情はわからない。

「今宵は二名の嘆願者。ひとりはセヴェル自治領の守護者レヴナント。そしてひとりは黒い心臓の精霊師ジャーゲルト。どちらも国を護る任を持つ者たち」


 外連味がかった声に、レブナントがはっとして周囲を見渡すと、左背後にアルビノの若者を認めた。

 自分と同じ命令――しかもネグルの精霊師とは、やっかいな相手になりそうだ。レブナントは警戒を強めた。

 同じようにジャーゲルトも、守護者の鎧に身を包む古戦士を視界に入れていた。レブナント返り人の名は戦場では無名ではない。


 お互いを見定めている時間を、無感情な声が遮った。「互いの供物をここに」

 声の主は灰色のローブから両腕を出し、左右の立方体に掌をかざした。すると立方体の内面が蛍のように光を発し、その像を映し出した。


「ジュビア!」「イヴリース!」


 戦士と精霊師はまったく同時に声を上げた。

 レブナントが見たブロックの一面には、箱部屋の壁にもたれるジュビアが映っていた。彼女の腕は無残にも肘から切り落とされ、鮮血に染まっていた。血止めの布をきつく巻き、苦痛に悶える表情が痛々しい。

 反対側の立方体に映るイヴリースを見て、ジャーゲルトは唇を噛んだ。彼女は暗い通路の汚泥の中で倒れていた。まだその手には剣を握っており、弱々しく指が動いているが、顔は伏せたままで、まもなく訪れる死を待つしかないように見えた。


「供物を捧げて宝珠を受けるもよし。宝を諦め、供物を救い帰るもよし」

 声の主が両手を天に捧げると、その手の上に万色に色めく宝珠が浮かび上がった。

「選ぶ道はひとつ。宝珠もひとつ」

 ローブの男は壇上に置かれていた、分厚い装丁の本を白紙のページを開くと、いずこから出したペンを手にし言った。

「選択せよ。我は汝らの最後の言葉を書き綴るのみ」


 レブナントもジャーゲルトも硬い表情のまま、押し黙っていた。

「この問いに悩む人間は多い。みな己の中で、答えは出ているというのに。比べる魂の数を数えてみるがいい。それが真実であろう」

 ローブの影は同情するように言った。

 レブナントは天を仰いだ。守護者として、返り人として戦ってきた半生に想いを馳せた。

 ジャーゲルドは左腕の傷から床に落ちた血だまりを、じっと見つめていた。教会、ネグルの家族たち、流れた血、孤児、そして、家。

 二人は初めて顔を見あわせた。立場の異なる男たちの視線が、決意の目が、互いに強い意志と共に絡まった。


「時はきたり」

 声の主の務めは同情ではなく、答えを聞くことだった。

「さあ選択せよ。是か否か――」

「否!」

 二人の返事は一言たりともたがわなかった。

 声の主は一瞬、驚いた様子だった。だが職務には忠実だった。

「選択は下された。双方の国はやがて滅びるだろう。宝珠は手に入らず――」

「否!」

 レブナントは剣を抜き、強い口調で宣言した。

「守護者も国も滅びることはない。なぜなら宝珠は我々が手に入れるからだ」

「黒い心臓の名にかけて」

 ジャーゲルトは次の言葉を最後に、精霊を呼ぶ詠唱に入った。

「お前を滅してな!」


「馬鹿げている!」

 声の主は割れんばかりの声で叫び、目の前の本を閉じた。

「残念だが、汝らの選択は綴られない」

 灰色のローブが一気に膨れ上がり、その存在が巨大化していった。


 声の主の前に、ジャーゲルトの呼び寄せた巨大な風の精霊の姿があらわれた。


 広間は間もなく光と風の渦に包まれていった。

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